【アメリア】翻訳ドラマ大賞
 
翻訳コンテスト
 
 
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小浜杳 さん

  「はい、それじゃテスト用端末開いて。用意……はじめ!」

 いっせいに手元のパームトップを起動する音が教室に充ちる。ディスプレイから漏れるうす黄色い光(フットボールのルール以上に複雑なことは考えられないテルによれば、「ションベンみてえ」な色)に照らされて、だれの顔も一心不乱にコントロールパネルを操るエイリアンみたいに見える。必死に画面をのぞきこむクラスメートの顔を一瞥して、いつものように瑛[あきら]はなんだか笑ってしまいたいようなおかしさと、少しばかりの居心地の悪さを感じた。クラス全体がひとつの船になって空を颯爽と昇っていくのに、自分だけ地上に残されてぽかんと頭上を見上げているような、へんな気持ち……。

 不審そうな顔をした女教師と目が合い、瑛はわれに返って、自分のディスプレイに映るテスト問題に意識を集中させた。


以下の会話を第一国語に訳しなさい。

 Peace: Hi Spring.
 Spring: Hi Peace.
 P: How was your vacation?
 S: It was great. We went to the Galaxy Land on the moon.
 P: Really? What was it like?
 S: Oh it was absolutely weird. You can even cyber-travel to   Procyon.
 P: Man that's so cool.

 第二国語は得意科目だ。しかもいまのテストはみんな、学習途上生がインフェリオリティ・コンプレックスを抱かないようにデザインされている。瑛にとっては考えるまでもなく手が動くレベルの問題で、ただ先週の授業で同様の会話をトラレ5にかけたとき、ソフトがたたきだした解答を思いだすだけでよかった。

 ピース: ハイ、スプリング。
 スプリング: ハイ、ピース。
 ピ: ヴァケーションはどうでしたか?
 ス: グレイトでした。わたしたちは月のギャラクシー・ランドに行ってきました。
 ピ: 本当ですか? どんな感じでしたか?
 ス: オー、完全にウィアードでした。プロキオンまでサイバートラベルもできるのです。
 ピ: マン、それはとてもクールですね。

 そう、これでいいはずだ。模範解答もほぼ一字一句このとおりなのは間違いない。そう確信しながらも、すばやい手つきで答えをキーボードに打ちこむ瑛の心には、どこかわりきれないもやもやしたものが残った。トラレの処理能力は万全だ。バージョン5にはいまのところわずかなバグも見つかっていない。だけど――と、瑛はまたディスプレイから目を泳がせて物思いにふけった。

 ジュリエットやクラスの優等生、チャン・リーファにはかなわないかもしれないが、瑛も第二国語を話したり聞いたりする能力ではかなりいい線までいっていると自負している。その自分の感覚からいって、もとの会話から受ける印象と、第一国語訳がなんとなく違うような気がするのだ。そのかすかな違和感は、近ごろ第二国語の授業を受けている最中にふと浮かんできてしまう、おなじみの疑問だった。どこがどうとはっきりはいえないし、もちろんテストなんだからこれでいいんだろうけど……。

 背後からとがったハイヒールの音が近づいてくる。教師の視線を後頭部に感じ、瑛は無理に心を画面に引き戻した。続く問題を機械的に解答していきながら、頭の片隅では、以前おばあちゃんに聞いたトラレの歴史を思いだしていた。

 数十年前、ソフトウェア・カンパニーの最大手メインフレームが画期的な多言語変換ソフト〈トランスレイター〉シリーズを開発して以来、学校や企業における第二国語翻訳は飛躍的に簡便化された(「そのころはまだイングリッシュと呼ばれていて、第二国語には採用されていなかったのです」とおばあちゃんは信じられない顔をした瑛とジュリエットに話してくれた)。初代はまだ膠着語に難があった〈トラレ〉も、バージョン3あたりからほぼ完璧な信頼性を発揮し、十年前に最終形とまでいわれたバージョン4が発売されると、たちまち全国のプライマリスクールやセコンダリスクールの標準教育ソフトとして一括導入された。「トラレの第一国誤訳は深みに欠ける」というような意見も一部の旧時代人からは出てきたそうだけど、同じころイングリッシュが第二国語に採用されたという背景もあって、時代の流れにはだれも逆らえなかった。膨大なスラングやストリート表現を網羅したバージョン5が発売されるころには、トラレは教育界やビジネス界だけでなく出版、メディア、政治の世界にまで浸透し、公式な外交文書から最新ゲームコントローラの説明書にいたるまで、トラレなしでは夜も日も明けないという一大独占市場を作りだしていた。……

 「はい時間です。そこまで」

 ピーッというアラームが鳴ると同時に教師の甲高い声が響いて、瑛の目はやっとミルクのようなもやに包まれた空想世界から、うす黄色く光るディスプレイの文字に焦点を結んだ。ぼうっとしながらも手は動いていたらしく、答案フォームの空欄はすべて埋められ、画面には巨大なピンクのメッセージボックスが「サブミットしますか?」と点滅している。リターンキーを押して答案を教師の端末に提出すると、にわかに騒がしくなったクラスの熱気にのまれるように、瑛はひとつ大きな息をついた。

 教師が出ていくと同時に、だれもが席を立ってはじけるようにしゃべりだした。テルやとりまきが下品なジョークを大声でわめき、それをあおるようにバカな女子がきゃあきゃあ笑いあっている。この春、ロウアーセコンダリ二年に進級したとたんにみっともないまばらな口ひげを生やしだしたテルのどこがいいのか瑛にはわからなかったが、女にも男にも人気があることだけは確かだ。強いオスとそいつにかしずくメスたち。絶滅種を特集したディスプレイ番組に写っていた哺乳類の群を思いだし、

 (ニホンザルみたいだな)

と意地悪なことを考えた。でも、口にはしない。瑛はこのセコンダリでも有名な〈ダム・デュード〉でとおっているのだ。名づけた連中は陰口のつもりらしいが、自分ではひそかにその呼び名を気に入っていた。無口なやつ。――要は変人ってことだけど。

 はあ、と妙に年寄りじみたため息をついて瑛は教室をあとにした。声と足音とネットゲームの電子音で騒々しい校舎を足早に通りすぎるあいだ、いつものようにだれの声もかからない。

 校庭に出ると、九月の空はまぶしいほど高く澄んでいた。学校の裏手にそびえるAAS[アンチ・エアポリューション・システム]のタワーが、はなばなしい勝利を象徴するモニュメントかなにかのように、陽の光を反射して銀色に輝いている。テスト後に早々と帰途につく生徒はほとんどいないらしく、校庭は閑散としていた。校門を出ると、はるか頭上からかすかな金属音が響いてきた。見上げると、ひとすじの白い雲。――月面定期船だ。
 瑛の胸にも、やっと最後のテストが終わった開放感があふれてきた。

 「ハイ、デュード」

 甘ったるい声を背中に受け、ふりむくとミヅキがにやにや笑っていた。また髪を染めなおしたらしく、今度はコッパーなんとか色とかいう赤毛を複雑なカールにしている。幼いころ隣同士だったよしみでクラスが違ういまでもときどき瑛にちょっかいを出してくるのだが、からかい半分の同情からだとわかっていても、男子に人気のあるミヅキに声をかけられるのは悪い気はしない。珍しく「ハイ」と明るい声で返した瑛の隣に、当然のようにミヅキが並んで歩きだした。

 「なにシケたツラしてんの。テスト終わったのに」

 「まあね」

 「第二できる人はいいよね、余裕で。あたしなんか頭がブランクになっちゃって、もうだめ。ぱーっとごはんでも食べて忘れたいなァ」

 小首を傾げて上目遣いをする得意のポーズで瑛を見やったが、相手はまたなにか浮かんだらしく、口をつぐんで思いにふけっている。ミヅキはマニキュアを眺めたり、買ったばかりのネオ二十世紀風のミニの丈を引っぱったりしながら、しばらく様子をうかがってみた。瑛のクラスメートらしい一団がひやかしの声を上げて脇を走っていったが、それにも気づかないらしく黙々と歩いている。ミヅキがわざとらしくあくびをしてみせても反応がない。あきらめて行ってしまおうとしたとき、不意に瑛が顔を上げて、「どうだったのかな」といった。わけがわからず黙っていると、ミヅキにというよりは自分に問いかけるように、瑛が前を向いたまま話しだした。

 「昔の人のことを考えてたんだけどさ。おれたちにはいまトラレがあるけど、あれが開発される前って、そんなに大昔じゃないわけじゃない。旧時代ってみんないうけど、百年も経っていないわけだし、そのころはどうやって翻訳してたんだろうって考えると、なんか不思議な気がしてこない?」

 返事がないので顔を横に向けると、ミヅキは天然記念物のシプリヌス・カルピオ――旧名コイ――でも見つけたみたいに、変な色の目をして瑛を見かえしていた。

 「なにいってんの。トラレがなくたって、そんなの……なんか知らないけど、それに代わる別のものがあったんでしょ。それがどうしたのよ」

 「ちょっと思ったんだよ。ソフトっていうのはツールの一種だよね。ツールだけど、もうそれがないとどうしていいかわからないほどおれたちの生活に入りこんでる。そうすると、そのツールがなかったころの人の生活って、だんだん想像できなくなってくるっていうかさ。たぶん考えることとか、しゃべることも違ってて、生活のリズムもいまとは違うと思うんだけど、そういうのが感覚としてわからなくなってくる。だからときどき、すごく知りたくなるんだよね。タイムスリップかなんかしてさ。旧時代の生活なんてすごく不便だったんだろうけど、いまは見ることもないからさ。どんなだったのかなあって……」

 「やめてよ、なにそれ、リアクショニズムじゃない。危険思想だよ。A級だよ」

 ミヅキがあわてて声をひそめる。いつも媚びるように見開かれている目が、本当の恐怖におびえていた。一瞬ひるんだ瑛は、自分の不安も吹き飛ばすように大げさに笑ってみせた。

 「バーカ、こんなハマシティの真ん中にIP[インテリジェント・ポリス]なんかいないよ。それにA級は実行犯だけ。思想犯はよくてCなの。逆行思想で罰金とボランティア活動程度だよ」

 いいながらも、思わず瑛は周りを見回した。二人はジェットレイルのターミナル前に着いていた。中央が吹き抜けになった巨大な円筒のターミナルビルが、威圧するように目の前にそびえている。到着したばかりのブリットトレインが大量のビジネスマンを吐きだし、あふれる人波がわれ先に高速エスカレータを下ってくるところだった。入れ違いにブリットトレインに乗りこもうと、学生の群が二人を押しのけるように上りのエスカレータに突進していく。そのなかにだれか知った顔を見たらしいミヅキが、「またね」とそっけなく瑛にいって駆けだしていった。

 拍子抜けしてぼんやり立ちつくす瑛の目に、ミヅキがテルの腕に手を回してエスカレータに乗りこむ姿が映った。

 
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