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  情報コラム
アンゼたかし映像翻訳トーク!トーク!トーク!

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翻訳者としての作品との距離感、絶妙な訳し加減を求めて……

アンゼ: ぼくは、劇場公開作品を訳しはじめるようになって、いろいろと迷いが生じた時期もあったんですけど、菊地さんは壁にぶつかった経験とかはありますか? 

菊地: まあ、「13日の金曜日」とかやってるぶんには、セリフは「キャー」とか「わー」とかだから、あまり迷わないんだけど(笑)。ただ、翻訳者の立ち位置の問題はいつも頭にあったかな。たとえばアメリカ映画であれば、一方には、アメリカ文化のなかにいるアメリカの映画人がいて、こっち側には日本文化にどっぷりつかってる日本の観客がいる。翻訳者の役割っていうのはその間を取り持つことなんだけど、大切なのはその立ち位置だと思うんだ。
 立ち位置とか距離感は訳語ひとつでも変わってくる。有名な話だけど、フランス映画の字幕翻訳家の秘田余四郎先生が、『天井桟敷の人々』で、フランス庶民のタバコ“ゴロワーズ”を“ゴールデン・バット”と翻訳したことがあった。

アンゼ: 日本のタバコに変更しちゃったわけですね。

菊地: そう。“ゴロワーズ”は、フランスでは労働者階級向けの安いタバコとして知られてるけど、そんなことは当時の日本の観客にはわからないからね。だけど、“ゴールデン・バット”というふうに日本のタバコ名に言い換えれば、即座にイメージできる――労働者が吸うような、臭くて安いタバコなんだろうな、と。

アンゼ: あと、ノンフィルターで。

菊地: そうそう! だからこれは名訳だと思うんだよ。日本の観客に寄り添って、わかりやすく翻訳するわけだよな。

アンゼ: でも、そうするのがふさわしくない場面もありますよね。

菊地: そうだね。たとえば、名優シャルル・ボワイエがホテルの給仕長役を演じた『歴史は夜作られる』で、ブイヤベースっていう料理が何度も出てくるんだけど、当時の日本では、ブイヤベースなんて誰も食べたことがない。だけど、字幕を付けた清水俊二先生は、“ブイヤベース”とそのままカタカナで表記して出した。まあ、そのおかげかどうかはわからないけど、いまでは日本でもブイヤベースを知らない人はあまりいないよね。だから、オリジナルの側に立つというのと、日本側に立つというのと、両方ありえるんだよね。

アンゼ: 菊地さんご自身が訳した作品で、そういう「訳し加減」みたいなものの重要性を特に感じた作品はありますか?

菊地: やっぱり『バグジー』かな。ウォーレン・ベイティとアネット・ベニングが出てる映画で、『カサブランカ』みたいなラブ・ストーリーなんだけど、とにかくセリフ一つひとつがおしゃれなんだよ。で、英語としておしゃれなのはすごくわかるけど、日本語にできないでしょ、みたいな(笑)。

アンゼ: そのおしゃれ感を、日本語でどう出したらいいのか、っていう葛藤ですよね。

菊地: そう。いまならもう少しうまく訳せたかもしれないけど、そのころはまだ日本語の表現力も未熟だったし、「ああ、これは日本語にできないな」と。でも、やっぱりおしゃれ感はなんとか出したいと思った。ただ、あんまりそこにこだわりすぎると、観客のほうはわけがわからなくなってしまう。逆に下手くそな字幕って思われるかもしれない。そこの葛藤っていうのがあって……

アンゼ: そういう「さじ加減」みたいな部分での、菊地さんなりの哲学というか、ポリシーは何かありますか?

菊地: 若いころはね、原文に近いほうが断然いいと思ってた。あんまり「飛んだ」翻訳ではなくて、原文に近い翻訳を心がけたほうがいいって。ただ、『バグジー』を翻訳したころから、それだけでは無理かもなあ、と感じはじめた。
 まあ、そのときからってわけじゃないけど、戸田さんの気持ちがよくわかるようになったんだよね(笑)。戸田さんの翻訳ってよく飛んでるって言われるでしょ? 「飛ぶ」っていうのは、原文から1回離れてみて、日本語としてその映画にぴったりはまる字幕を作るってことだよね。ぼくも、『バグジー』以降は、そういうのもありだな、と思うようになったよ。ただ、あんまりやりすぎると変になっちゃうから、バランスは永遠のテーマだけど。

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