【アメリア】Flavor of the Month 3・市川昌基さん
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Flavor of the Month
<第3回>   全2ページ






  




坂田:さて今回は、男性会員の登場です。市川さんは、英語に対する思い入れがかなり強いご様子。そのあたりを、じっくりと語っていただきましょう。ではまず、ありきたりの質問ですが、なぜ翻訳を始めたのですか? 教えてください。

市川
:話せば長くなりますよ。いいですか?

坂田
:むむっ、なるべくコンパクトにお願いしますね。

市川
:翻訳というか、英語を勉強している理由をお話したほうがいいですね。翻訳歴は短いんで(笑)。そうはいってもスタートは漠然としているのですが、たぶん姉の影響があると思います。洋楽が大好きだったんですよ、今もそうですが。小学生の頃からサブリミナル的に聞いていたんでしょうね。デス・メタル系ですが(笑)。朝起きると叫び声が聞こえてくるといった感じ。それでも俺自身はデス・メタルではなくて最初ハマッタのはボン・ジョヴィでした、当時、流行っていたので……。"ラブ・バラード命!"状態です。今思えば、スタートはその頃ではないかと思います。

坂田
:ラブ・バラードだと、歌詞の内容を詳しく知りたくなりますよね。

市川
:そうなんですよ。それに加えて、その頃テレビで『FAMILY TIES-ファミリータイズ-』というマイケル・J・フォックスが主人公のファミリードラマが放映されていたんです。そのドラマが大好きで「英語で何を話しているんだろう」と興味を持つようになって。英語が聞き取れると「ああ、自分もこういう風に話せばいいんだ」と。

坂田
:じゃあ、中学校では英語は大の得意科目だったの?

市川
:いや、得意っていう意識はありませんでしたね。学ぶという意味で英語を意識しだしたのは、高校に入ってからです。特にとりえがあったわけではないんですけど、その頃、たまたま英語の点数だけは悪くなくて……。唯一、勉強してもっと伸びそうだったのが英語だったんですよ。その頃初めて英会話学校にも通った記憶があります。

坂田
:英会話学校以外にはどんな勉強を?

市川
:基本的には英会話中心でしたね。英語で考えて、英語で話すっていう形で、いわゆる翻訳みたいな日本語を間に介することはなかったです。とにかく日本語と同じレベルで英語を話したかったので、大学の最初のころ何回か、短期留学したりしました。アメリカです。そこでメチャメチャ感動したんですよね。

坂田
:何に感動したのですか?

市川
:まずですね、こんないい人は見たことないぞというぐらい、いい人達だったんです。英語とあまり関係ないですね(笑)。それまで自分は、黙っている男のほうがカッコイイというイメージがあったんですよ。それがですね、そこの人たちは、ものすごく素直に感情を表現するんですよ。

坂田
:そこで、自分も英語でもっと表現したくなったということですね。

市川
:それまで、英語を勉強するのは、他人に対する虚栄心というのもあったと思うのですが、もう、そういったものではなくなりましたね。本当に会話をしたいと思ったんです。しゃべりたくてしょうがなかった。自分の考えを英語で述べたい。だから、漠然と通訳になりたいと考えるようになりました。ただ、「一回外国にいったぐらいで通訳だなんて」ってまわりの者からはバカにされましたけどね(笑)。




市川:大学生の頃、自分に対して甘々だったので、これではいけないと思い、4年生になる前に1年間休学をしてニューヨークに行きました。

坂田
:ニューヨークで、語学学校に通ったのですか?

市川
:はい。ただ絶対にスパルタで厳しい学校に行きたくて、そういうところを選びました。あと、StructureやGrammar、Writing、Communication、Readingといった内容がいろいろしっかりしているところですね。学校は9段階のクラスわけがあって、試験の結果、レベル7のクラスに入りました。

坂田
:では、ここでの勉強はスムーズに進んだのですか?

市川
:いやいや、挫折の連続でした。年に何回か、合格すれば次のレベルのクラスにあがれる進級テストがあるんです。一度目は見事に落とされました。理由を聞きに言ったら、論文はリサーチが足りないし、会話はまとまっていない、文法はなんじゃこりゃ、って。もう悔しくて泣きましたね。で、次の学期は死ぬ気でやりました。2度目の進級テストでは無事合格。すっごく嬉しかったですね。

坂田
:ものすごく勉強したんですね。

市川
:それまで"真剣"ってどういうことなのか、わかっていなかった。その時初めて「あっ、これが"真剣"にやるってことなんだ」って。俺にとってターニングポイントでしたね。芯から鍛え直してもらいました。

坂田
:そうすると、通訳への思いが、ますます熱くなっていったのですか?

市川
:はい。就職がせっぱ詰まってたってのもあると思います。通訳を目指そうと思い、日本に帰ってからは通訳系の専門学校に通いました。でも、本格的に勉強を始めてみると、とりあえず英語で話すことはできるんだけれど、通訳として全くダメ。自分で納得できないくらいボロボロだったんです。それは専門知識がないからなんですよね。その頃の授業というのが、中東アジア関連のニュースを教材にしていたのですが、知識がないと全然太刀打ちできないんです。それから、日本語と英語がうまくリンクしていなかったということもあります。

坂田
:では、就職はどうなったのですか?

市川
:実はニューヨークでコンピュータの学校にも行ったんです。その頃、向こうで知り合った日本人の方に「パソコン系の会社に就職してみないか?」と誘われて、面白そうだったのでコンピュータ会社に就職しました。3年間勤めて、今年(2001年)の1月に辞表を出しました。

坂田
:3年間、仕事では英語と接することはなかったのですか?

市川
:そうですね。コンピュータのマニュアルなどは英文でしたが、その頃、自分が追い求めていた会話としての英語はほぼなかったです。ですから、プライベートで独学を続けていました。実は、入社前から会社は3年で辞めようと決めていたんです。仕事は面白くなってきていたのですが、英語(の面白さ)には敵わなかったですね。

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