【アメリア】Flavor of the Month 42 中西梨恵さん
読み物
Flavor of the Month
<第42回>  全4ページ


翻訳は世界中どこにいてもできる魅力的な仕事

坂田:ロシア在住時代に、現地で持ち込まれる翻訳をなさっていたということですが、どのような内容のものがありましたか?

中西:それは本当にいろいろなものがありました。日本車や日本製の電気機器の説明書とか、ちょっと怪しげな薬のパンフレットとか。現地では大学に勤務していたのですが、大学と日本との間に交流があった場合に、交流を報じている新聞の翻訳をしたり、日本の大学との連絡の際に文書を作成したり。留学を希望する学生の論文を翻訳したこともありました。通訳に駆り出されることもありました。

坂田:通訳・翻訳をいずれは仕事にしたいと思ったことはありますか?

中西:はい、あります。ロシアに滞在して4年以上が過ぎた頃です。大学での学会の原稿などを自分で書くようになって、「あ、ロシア語できるようになってきたな」と感じました。教えていた大学の設備や環境では、日本語教師として自分にできることの限界が見え、新たな目標を自分に課す時期にも来ていました。特にきっかけというものはなく、ある程度自由にロシア語の読み書きができるようになった時点で、「翻訳」という仕事に興味を持つようになったのは、とても自然な流れでした。

坂田:通訳もなさっていたということですが、通訳ではなく翻訳に興味を持たれたのはどうしてでしょう?

中西:通訳にも翻訳にも興味はあります。どちらも外国語を訳す、という点では共通していますが、「通訳」はぶっつけ本番ですよね。もちろん、ある程度下準備をすることはできますが、基本的には裸一貫で出かけていって、あらゆる問題をリアルタイムで処理しなければなりません。「通訳」には語学力に加えて、精神面、体力面でのタフさが要求されると思います。「翻訳」はその点、どんな資料に当たってもいいし、何度書き直してもいい。そうやって時間をかけて最良のものに作り上げていくという面白さがあります。また、「翻訳」は基本的に世界中のどこにいてもできる、というのも大きな魅力です。


坂田:ロシアで5年間日本語教師をしたあと、モンゴルに移られたのですよね。その理由は?
結婚式。ブリヤートのモンゴル総領事館にて
中西:実はロシアで結婚をしたんです。赴任したブリヤート国立大学の同じ学部に、モンゴルからモンゴル語&チベット語を教えに来ていた夫がいました。外国人教師用の宿舎でも一緒だったので、そこで恋が芽生えたのです。結婚式はブリヤートのモンゴル領事館で挙げました。その後、長女も生まれました。2003年に夫がロシアで博士号を取ったのをきっかけに、夫の国であるモンゴルへ移住しました。私がいたブリヤートというところは、日本への交通の便が悪かったので、小さな子どもを抱えていたこともあり、いざという時のことを考えるとちょっと心配だったんです。その点モンゴルは日本への直行便も大使館もあるので安心でした。

坂田:モンゴルでも日本語を教えていらっしゃったのですよね。モンゴル語はいつ、どのように学びましたか?

中西:ロシアにいた頃から、夫を指南役としてコツコツと勉強していました。ただ、お互いにいい加減なので知識は穴だらけです(笑)。実は大学に入学するときに、専攻をロシア語にするかモンゴル語にするか迷った経験があります。結局ロシア語を選びましたが、3年生のときにモンゴル語専攻の1年生のクラスに入れてもらって、3カ月だけ勉強しました。でも、ついていけずに挫折しました。実は、そのとき知り合いになったモンゴル人の留学生と、10年後モンゴルで再会したんですよ! それまで何回か試みてできなかったのに、モンゴル国立大学に日本語教師として勤め始めたら、彼が上階で日本語を教えていたんです。びっくりしました!


坂田:それは嬉しい偶然ですね! 日本語教師についてはロシアでの経験があったわけですが、モンゴルで日本語を教えるのもスムーズにいきましたか?

中西:日本語を教えた経験があったので、教えること自体にさほど問題はありませんでした。ただ、私のモンゴル語のレベルがロシア語ほどではないために、『直説法』つまり日本語で教え始めることになりました。学生が優秀だったこともあって、結果はすぐに出ました。彼女たち(教えていた学生のほとんどが女性でした)の日本語上達率は、私のモンゴル語の比ではありませんでした。ロシアでは、「ロシア語を上達させたい」という思いもあり、授業はロシア語一辺倒でしたが、もっと日本語を使うべきだったと、今は反省しています。


坂田:ロシアとモンゴルの生徒は日本語学習に対して積極的でしたか?
大学の先生方、学生たちと、春先のピクニック。この写真には、ロシア人、ブリヤート人、トルコ人、タタール人、モンゴル人、日本人がいます
中西:ロシアのブリヤートというところは、ロシアでは田舎の範疇に入るのですが、大都市モスクワの学生に引けをとらないレベルだったと自負しています。田舎ですから、娯楽がないんですよ(笑)。だから、みんなよく図書館に行って勉強していました。ただ、距離的に日本から遠く、いちばん近いハバロフスクの日本領事館でも列車で2泊3日かかるというのが難点でした。日本語の資料を借りに行くこともできません。赴任中に留学生を出す、というのが目標でしたが、達成することはできませんでした。その点、モンゴルは大変恵まれています。モンゴルでの日本語学習熱は非常に高く、小中学校で日本語を勉強しているところもたくさんあります。ウランバートル市の中心には、モンゴル・日本センターがあって、図書も上級の日本語講座も充実しています。私費、国費含めて、留学のチャンスも多く、現在も私の教え子が3人、文部科学省留学生として、日本の大学で学んでいます。


坂田:モンゴルというと、日本の角界でも活躍している力士がいますし、日本人と顔も似ていて、とても親近感を感じます。モンゴル語というのは、どんな言語ですか?

中西:実は、モンゴル語の文法は、日本語や韓国語の文法にとてもよく似ています。ですから、モンゴル人が日本語を学習する上での難易度は、ロシア人のそれとは比べものになりません。ロシア人の学生に日本語を教えるときには、まずロシア語と日本語の言語としての仕組みの違いを十分に理解させる必要がありました。ロシアでは、卒業するまでに日本語をまったく習得できない学生も多かったのですが、モンゴルでは、不真面目な学生でも、ある程度の日本語を話せるようになるのは、そういったことがあるのでしょう。朝青龍も白鵬も日本語がとても上手でしょう? でも、似ているからこそ間違えてしまうこともあるんですよね。朝青龍が、私の学生がしていたのと全く同じ間違いなんかをしていると、思わず頬がゆるんでしまいます。


坂田:朝青龍もする間違いって、どんな間違いですか?

中西:最も多いのが、敬語の間違いです。以前朝青龍が自分の娘のことを「私の娘さんが」と言っていたことがありました。同じように夫のことを、「私のご主人が」という間違いはよくあります。それから、「誰々を手伝う」をモンゴル語の文法のまま訳して「誰々に助ける」といってしまうのは、何度教えてもなかなか直らない間違いの代表選手です。

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