【アメリア】Flavor of the Month 49 安本智子さん
読み物
Flavor of the Month
<第49回>  全4ページ


東京で翻訳修業を積むも大きな挫折を味わうことに

坂田:東京では出版社でアルバイトをされていたそうですね。それも貴重な体験ですね。

安本:はい。東京や横浜の書店営業を経験しました。肉体的にハードではありましたが、数多くの棚を研究できたことは非常にためになりました。売る側の視点をかいま見ることができました。また、当時は出版不況の嵐が吹き荒れていて、特に海外文芸のマーケットは縮小する一方、という時期でした。大手出版社が軒並み翻訳ものの出版点数を減らしていました。そういう現実を、わたしは書店をまわりながら身をもって実感しました。

坂田:翻訳の勉強の進み具合はいかがでしたか?

安本:出版社などが開催していた翻訳セミナーやオーディションに積極的に参加し、短編小説の一話を翻訳させていただくことができました。また、リーディングのお仕事を紹介していただいて、その仕事が翻訳につながり、3冊ほど下訳も経験しました。ただ、締め切りに間に合わせるのがやっとで、翻訳そのものの出来はよくなかったと思います。下訳では、「原文が透けて見える」「日本語として不自然」ということを指摘されました。期待に応えられず悲しかったですが、そのときはそれが自分の限界だったのだと思います。東京でプロの翻訳者、出版人の仕事ぶりというものを目の当たりにした私は、それまで一生懸命やってきたつもりの自分がいかに未熟かということも思い知りました。

坂田:翻訳家への道は平坦ではなかったということですね。

安本:そうですね。上京して1年半、楽しいことも苦しいこともたくさんありましたが、ちょうどそのころ実家の事情などいろんなことが重なり、また自分自身の体力的、経済的な限界も感じていて、帰郷を決意しました。2000年の秋に、再び故郷に戻り、結婚し、実家の事業を手伝いはじめたのです。それ以来、昨年の春に再びアメリアに入会するまで、わたしは翻訳というものから完全に離れていました。

坂田:翻訳の勉強もやめてしまったのですか。

安本:そうです。子どもが生まれて育児にかかりきりになっていたのと、家業の方が大変でそれどころではなかったからです。

坂田:家業というと?

安本:曾祖父が始めた事業で、山から原鉱を掘り出し、選鉱場で数十日かけて精製し、自然乾燥させて出荷する、というものです。原土を水に溶いて攪拌し、比重の差を用いて選別し、沈殿させて水を切り、高圧プレスで純度の高い粘土ディスクに押し固め、自然乾燥させるのです。泥と汗と機械と……何というか、もろに男の世界なんです。そういう実家で、私は姉と二人姉妹。跡継ぎがいないという問題がありました。姉も私も、まあごくふつうの娘でしたから、そんなマッチョな事業を引っ張っていけるような器量はありません。といって、お婿さんだってきません。ボーイフレンドだって逃げていってしまいます(笑)。姉は事務所を手伝っていましたが、私が翻訳の勉強を名目に東京へ行ったのは、そういう状況から抜け出したいという気持ちがあったと白状します。ともかく、東京から帰ってからは姉に代わって私が家業を手伝いました。仕事は予想以上に大変で、それ以外のことに気持ちを向ける余裕はなくなってしまいました。このころの私は、翻訳に関しては落伍者でしたね。

坂田:翻訳家を志して、実際にその夢が実現するまで、ずっとスムーズにいくかというと、そんなことはないですよね。みなさん、多かれ少なかれ、挫折を味わったりや休止を余儀なくされていると思いますよ。

安本:そうですね。ただ私は自分の家庭を持つことができて、それまでになく満たされた気持ちで生きられるようになったので、後悔はありませんでした。むしろ、後回しにしてきた宿題をやるつもりで実家に向き合いました。それがまあ、皮肉な話なんですが、すでにその頃、会社を取り巻く状況がすごいスピードで変わりはじめていて、結局、父は事業の継続を断念して、実は現在は残務処理の過程にあるのですが。

坂田:そうなんですか。残念ですね。

安本:残務処理はまだ当分続きそうなのですが、私としては次なる目標を模索する時期がやってきたという感じでした。昨年春、事務所のパソコンから、ふとアメリアのサイトをのぞいてみて、びっくりしました。すごいことになってる! ボーダレスだ。ついにここまできたか……。日常業務はどんどん少なくなってきていましたので、とにかくアメリアに再入会することにしました。

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