【アメリア】Flavor of the Month 98 橋本 真砂子さん
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Flavor of the Month
<第98回>  全5ページ
「ぜったいこの道で生きていこう!」自分を追い込むためにもフリーランスに。「あの時のあの決心に間違いはありませんでした」

岡田 :今では多くの吹替作品を世に送り出している橋本さん。基本となる英語力はどのように身につけられたんですか?

橋本 :高校の1年間と大学を含め、全部で7年間ほど米国に留学していました。英語はその時に身につけました。

岡田 :高校からアメリカということは、若い頃からかなり英語にご興味が?

橋本 :はい。子どもの頃からとにかく映画が大好きで、英語もその影響で好きになりました。テレビに厳しい親で、バラエティ番組などは見せてくれなかったんですが、唯一見ることができた番組が映画と時代劇。「金曜ロードショー」の時間になると一家がテレビの前に大集合するんです(笑)。その時だけは母も家事禁止でした。特に「スターウォーズ」は当時地上波で再放送されるたびに見入っていた覚えがあります。私の場合、映画好きも英語好きも、すべてスターウォーズからはじまりました。私の原点はスターウォーズなんです!(笑)

岡田 :スターウォーズがはじまりなんですね! では大学でも映画関係を?

橋本 :そのつもりでしたが大学2年生の時に父が亡くなり、将来的に安定した専門をとったほうが安心と思い、3年から専攻は生化学、バイオケミストリーにしたんです。

岡田 :え、それでは橋本さんはリケジョなんですか?

橋本 :「にわか理系」です(笑)。日本人って高校まである程度勉強していれば理系の素地ができているから、はじめてみると文系の科目より苦にならず、面白かったというのもありますね。ガチガチの化学者志望の学生とは比べものになりませんでしたが、なんとか卒業できました。

岡田 :卒業後は日本に帰国されてお仕事を?

橋本 :アメリカでも仕事を探したんですが、思うようなお仕事がなく、思い切って帰国しました。しばらく派遣の仕事をしましたが、アメリカ帰りで日本語もあやしくて、敬語もグチャグチャ(笑)。しかも社会人研修など受けていませんから、社会人としての規範がなってない。ある派遣先で社内翻訳の仕事に就いたとき、父親くらいの年の上司に、すっごく怒られながらもすっごく教育してもらったんです。あの経験がなければいまだに社会人失格かもしれません(笑)。

岡田 :当時、映像翻訳の道を考えたことは?

橋本 :その頃は26歳でしたが、まだ具体的に考えてはいませんでしたね。英語力はあったので派遣の仕事はありましたが、なかなか思うような仕事に巡り合えずに悩むこともありました。そのうちに、英語力と好きな映画をミックスできないかと考えるようになり、映像翻訳という道を意識するようになったんです。お金を貯めて30歳になったころに翻訳学校に通いはじめ、いつかはフリーランスになろうと決心しました。

岡田 :そこからいよいよ映像翻訳の道に進むことになったんですね。

橋本 :そうですね。「ぜったいこの道で生きていこう!」と強く決心しました。しばらく週2回ほど大学の教授秘書などの仕事もしていましたが、自分を追い込むという意味でも早く独立しようと思い、いよいよフリーランスになりました。見切り発車だったのは否めませんが、その分お仕事も定期的に入ってくるようになったと思います。今、振り返ってみると、あの時のあの決心に間違いはありませんでした。

岡田 :「自分を追い込むためにフリーになる」―――思い切った決断でしたね。その時の決断があってこそ、今の橋本さんがあるんですね。

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