【アメリア】みんなで作るインタビュー9・中島英述さん LLC紹介編
 
  みんなで作るインタビュー


 [紹介編]
読み物  
洋楽の歌詞対訳や音楽関係の翻訳を数多く手掛ける中島英述さん。音楽好きにとって憧れの分野ですが、どうすればこの分野の仕事を受注できるのか見当もつかないという人は多いのでは。果たして中島さんはどのようにして活躍するようになったのでしょうか。

 第9回 中島英述さん
 
<第9回> 紹介編|インタビュー編   全2ページ
僕にとっての英語はライナーノーツを読むことだった

 子どもの頃は親の勧めでピアノを習い、中学ではポピュラー音楽にはまり、高校・大学時代にはパブ・ロック(70年代、ロンドンのパブを中心に起こったロック・ブーム)をきっかけにして洋楽にのめり込んだ。中島さんの青春時代は音楽なしでは語れない。「僕にとっての英語は、輸入盤レコードのライナーノーツを読むことだった」と語る中島さん。レコードを買うと、家に帰る前にまず喫茶店に寄って、辞書を片手にライナーノーツを読んだという。「早く聞きたいんだけど、その前に喫茶店で英文を読む、その時間も大切だった。現地のシーンについて、その国の文化についてなど、ライナーノーツには音楽を聴くだけではわからない情報がいっぱい詰まっていましたから」
音楽活動と仕事の両立は無理?

 
 学生時代にバンド活動をしていた仲間も、就職と同時にその数が減っていった。今から15年ほど前のこと。サラリーマンは仕事優先が当たり前の時代だった。「でも僕には音楽を諦めることはできなかった。プロになろうというのではなく、アマチュアとして仕事と両立させながら音楽活動を続けていきたかったんです」。会社から転勤を言い渡された中島さんは、何とか音楽を続ける方法を模索する。そんなとき、雑誌で翻訳学校の案内を見つけた。試しに短い課題文を訳して送ってみると、思いのほか良い評価が返ってきた。フリーの翻訳家になれば、音楽活動と両立できるかもしれない。すべては、そんな安直な思いがきっかけだった。しかし、現実は……。

 
好きな音楽なら誰にも負けない!

 
 会社勤めを続けながら翻訳学校で5年間勉強をした。読解力不足を痛感し、大学受験用の問題集で文法を徹底的に勉強し直したりもした。翻訳の仕事を得るにはまだ十分な実力とはいえなかったが、会社で責任のある仕事を任されるにつれ、音楽との両立はより厳しくなっていくばかり。会社員を続けるのはもう限界だった。翻訳の仕事のあてはまったくなかったが、29歳で会社を辞めた。
 「この分野の音楽なら人に負けない知識がある!」 そこで中島さんは自分の得意な音楽関係の出版社やレコード会社に翻訳者として売り込みに行った。営業用のツールとして用意したのは、ロンドンの古本屋で買い込んだ音楽雑誌の記事を翻訳したもの。訳文を見てもらうのと同時に、この分野の情報収集にかけては誰にも負けないということをアピールしたかった。
 自分の好きな音楽CDの対訳も見せた。プロの手によって翻訳された対訳でも、気に入らないものが随分とあったからだ。「僕ならこう訳すのにという思いをずっと前から持っていました」。既存の対訳と、自分の対訳と、比べてほしいと担当者に差し出したのだ。そんな中島さんの音楽に対する熱い思いを面白がってくれる人がいた。少しずつ、翻訳の仕事が入ってくるようになった。

 
最初の仕事は情熱で勝ちとる!

 音楽関係の翻訳だけでは生活ができないので、サラリーマン時代に知識を得た化学分野の実務翻訳も手掛けるようになった。トライアルを実施している会社はたくさんあったが、それにはあえて応募せずに、直接、企業にかけあったという。「翻訳だったら僕よりうまい人は大勢いる。実力がない分、積極性をかってもらおうと思ったわけです。本当に仕事がほしかったので、そのための努力は惜しみませんでした」
 そんな熱意を認めてくれる人がいた。とはいえ、そうしてもらった仕事の出来が悪ければ、次のチャンスは絶対にない。仕事が取れたら、後は必死でその分野の勉強をした。
 
歌詞は“感じる心”で翻訳する

 
 数多くの訳詞を手掛けてきた中島さんだが、「歌詞の翻訳というのは、僕が経験した翻訳のなかでも一番難しい」と断言する。「作詞者は自分の頭のなかにある伝えたいイメージを歌詞にします。そうして出来上がった歌詞というものは、必ずしもすべてを語ってはいない。すべてを語れば、それは一冊の本になってしまう。だから、伝えたいものを少ない言葉のなかに詰め込んでいるわけです。つまり言葉と言葉の間に、そのアーティストの世界がある。本来伝えるべきは、そちらのほうだと思うんです」。それを読みとるためには、英語がわかるだけでは不十分だ。アーティストの生まれた国、文化、思想の背景、生い立ちなど、あらゆるものを知ったうえで、はじめて歌詞が理解できると中島さんは考える。
 「でも、限られた時間の中でそれをするのには無理があります。それに、歌詞は必ずしも文法的に正しいとは限らないし、英米には、意味ではなく、韻を踏むことを中心に作られた曲もあるから、言葉の意味を考えすぎて遊び心を忘れてしまうと、訳のわからない対訳になってしまいます」
 最後に中島さんはこう付け加えた。「歌詞の対訳をするときに必要なのは“感じる心”です。絶対にやってはいけないのは、字面を追って、単に日本語に置き換えるという作業です」


伝えたい何かを持つことが大事

 
 中島さん自身、今でも音楽活動を続け、また好きなアーティストの日本公演のプロモーションなども手掛けている。「プロモーション活動も、僕にとっては翻訳と同じなんです。言葉の翻訳ではなくて、音楽という外国の文化を日本に伝えるという意味で」
 翻訳という作業は、音楽でいうと楽器を弾く技術と同じだと中島さんは言う。「楽器は、練習すれば誰でもある程度弾けるようになる。でも肝心なのは音を奏でること自体ではなく、その音楽によって人を感動させたり、幸せな気分にさせたりすること。翻訳も同じで、訳すこと自体は単なる技術であって、目的じゃない。"伝えたいもの"があるから翻訳という作業が必要になってくるんです。僕の場合はそれが音楽だった。逆に言えば、音楽という好きでたまらない分野が先にあったからこそ翻訳家になれたのかもしれない。音楽にのめり込んだあの時代があったことを、今とても幸せに思っています」

 
翻訳をとおして自分がやりたいこと……


 中島さんは2001年9月に初めての訳書『パブ・ロック革命』を出版した。「パブ・ロックは僕の音楽の原点です。最初から、この本を訳せる人間は僕しかいない、と思い込んでいました。付き合いのあったシンコーミュージックさんにレジュメを持ち込み、半年がかりで口説き落として、ようやくGOサインをもらいました」。この本を翻訳したことで、中島さん自身、今まで雑誌などで断片的に情報を得ていたパブ・ロックというものをより把握することができたと言う。同時に、翻訳という手段によって自分は何をしたいのかもはっきりしたと。
 最初は、音楽を続けるために生活を支える仕事にすぎなかった翻訳が、次第にライフワークの音楽とリンクしはじめた。今までやってきた音楽が翻訳を後押しし、翻訳とは無関係だと思っていたさまざまな経験が翻訳作業に役立ってきている。
「翻訳者には人生経験が必要だといわれる所以がようやくわかってきました」

 


  
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