翻訳の仕事獲得とスキルアップを応援する有料の会員制サービス
翻訳者ネットワーク「アメリア」

  読み物
 
 
   全5ページ
 

■転機になった『ビリーの死んだ夏』

田口:川副さんは25年ぐらい前に僕のクラスの生徒だったわけですが、フェローに来る前は何かやってらしたんでしたっけ?

川副: ふつうに専業主婦をしてました。それで30歳を過ぎたころに「このままでは社会から取り残される」というよくある主婦の焦りに駆られて(笑)、フェローで文芸翻訳の勉強を始めたんです。子供が小さくて通学できなかったから最初は通信教育。でも、勉強しているうちに本気でやりたくなってしまって、矢田尚先生の映像クラスに通い始めたんです。フェローが青山に移ったばかりのころで、通える時間に文芸クラスがなかったこともあって。

田口:そうだそうだ。

川副:通い始めて2年目ぐらいに衛星放送が始まって、仕事をもらえるようになって、ドキュメンタリー番組のナレーションはずいぶん訳しました。でもやっぱり文芸がやりたくて、矢田先生のクラスの3年目ぐらいのときに田口先生の昼間のクラスができたので、並行して受け始めました。そしたら映像制作会社の担当者が退社してしまい、そっちの仕事は自然にフェードアウト。それ以後は文芸一本です。

田口:俺のクラスには何年いたんだっけ?

川副:少なくとも5年はいましたね。3年目ぐらいのときにロマンスの仕事をもらえるようになったので、それをしながら通ってました。

田口:ロマンスはフェローからの紹介だったの?

川副:最初はそう、たしかサンリオだったかな。それからハーレクインもやるようになって、それをしながら先生のクラスに通ってて、5、6年目ごろに先生に「ミステリ・マガジン」に紹介していただいたんです。で、短編を2つ3つやったところで、先生が「もうお前は出ろ」と。まだ本も出してなかったから、不安だったのに(笑)。

田口:あ、そうだったっけ。ちょっと早かったんだ。それで第1作目は?

川副:早川書房からもらった映画のノベラーゼーションで、タイトルは忘れちゃいました(笑)。本にならなかったんですよ。マコーレー・カルキンが主演した実写とアニメが混じった映画(注 『ページマスター』)で、試写会をやったら「これまでに見た映画でいちばんつまらない」って酷評されちゃって(笑)。買い取りにはしてもらえたからよかったですけど。その次が『ロブ・ロイ ロマンに生きた男』というノベライゼーションで、ハーレクイン以外ではこれが最初です。

田口:それは買い取りだったの?

川副:いや、印税でした。

田口:最初の本が出せなかったからだ。結果的によかったじゃん。コケた本をカウントしてくれたんだよ。

川副:それからポケミス(注 ハヤカワ・ポケット・ミステリ)が来て、わりとポンポンとやらせてもらいました。新人だから仕事がかぶることもなくて、1つ終わったらまた次という感じで。

田口:だいたい終わったころに次の本をくれるみたいな、そういうペースで仕事ができた時代だよね。当時はミステリが多かったの?

川副:ポケミスのあとは、ミステリーの枠よりはちょっと広い「ノベルズ」(注 ハヤカワ文庫のジャンルの1つ)のものを頼まれて、しばらくノベルズものをやっていたんです。そしたら『ビリーの死んだ夏』が来て、これが転機というか、依頼される仕事の変わり目になりました。『ビリー』をやってからはわりと純文学っぽいものとか女性ものとかを頼まれることが増えていって、そしたらすごく居心地がよくなってきちゃって(笑)。

田口:与えられて自分が訳したいものに気がついた。

川副:そうですね。『ビリー』のときは原書を読んでいる時点ですごくときめいたんですよ。「こういう本がやりたかったんだ」ってちょっとわかった気がした。本が出るとごく一部で評価され、自分がいいと感じたことを書評家の方も書いてくださって、確信に変わりました。それ以降、さっきも話したように純文学とエンターテインメントの間に位置するような本を頼まれることが多くなって。編集者の方が『ビリー』を読んでくださってそうなったのかどうかはわからないですけど。

田口:いや、そういうことってあるんだよ。この人はこんなのをやってるんだなというのが頭にあると、編集者もやっぱり似たような本を頼んでくるからね。



ページトップへ