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■翻訳家の決起宣言!

田口:ところで、いまの翻訳界を川副さんはどんなふうに思われますか。

川副:厳しいと思いますね。私は売れた本をそんなにやったことがないんで(笑)。

田口:でも『きみのなかのあなた』は売れたじゃない。

川副:「きみの」じゃなくて「わたしの」です(笑)。苦節二十数年にして初めて、映画になるとこういうこともあるんだなと思いました。でも、そういうことでもない限り、部数も含めてすべてが大変じゃないですか。あとこのまえ芹澤恵さんとも話したんですけど、文学少女だったような人が読む本がすごく少ないと思うんですよ。ロマンスとかコージーミステリーのような本にはしっかり読者がついているのに、文学系の翻訳書には売れてるものがあまりない。
だから『ミスター・セバスチャン』のような本が売れる方法がないかなと本気で思いますね。いちばん動きの鈍い分野だから。

田口:ジャンルとしてね。

川副:そうです。むかし『小公女』とか『若草物語』とか『赤毛のアン』とか『風と共に去りぬ』とか、そういう本を読んで読んで育った女子が読む本があまりにも少ないんですよ。ロマンスかコージー、じゃなければ純文学というふうになっていて、その間にあるような本が埋もれてしまっている。出してはいるんだろうけれど、読者に見えない。その状況をなんとかしたいですね。

田口:ジャンルを作っちゃうっていうのも1つの手なんだよね。「これはこんな本です」と命名しちゃうわけ。命名することによって、実際にジャンルがなくてもジャンルとして確立されていく。むかし五木寛之とか野坂昭如とかが出てきたときに、純文学でも娯楽小説でもない彼らの小説をさして、誰かが「中間小説」という言葉を考えたんだよね。で、命名したことによって、新しい小説雑誌ができたりした。そういうことだって起こり得るんだよ。一方で、『小公女』とかが面白かったというのは、西洋に対する憧れがあったり舶来ものを有り難がった時代の話であって、いまは同じような小説が日本にもあるのかもしれないし。

川副:最近は「ガーリッシュ」っていうくくりがあるみたいですけど。

田口:そうなの? でも、もし読者にそういう翻訳書の存在が見えていないんだったら、届ける方法があればいいわけだよね。いまや出版社がなくなるかもしれないという時代だから、翻訳者が出版社を通さないで読者に届けるっていうやり方は可能性としてなくはない。前回、越前さんが話してたんだけど、家電量販店が電子書籍を売り出すみたいな話が出てきて、出版社がそれを恐れてるんだってね。本を売るノウハウがない人たちに自分たちが蹴散らされてしまうって。それがいいのかどうかはわからないけど、とにかく本が読者に届いて「こういう本があるんだ」と知ってもら えれば、もっと読みたいと思うようになるかもしれない。だから翻訳者自身が読者に対して「こういう本がありますよ」とぜんぶお膳立てしてあげるとか、そういうやり方も考えられなくはないよね。

川副:そうですね。

田口:これは武田ランダムハウスの染田屋(茂)が言ってたアイデアなんだけれど、最初をちょっとだけ訳して「この本読みたいですか」と聞いて、読みたいという人が何人か集まったらぜんぶ訳す、みたいな。そんなやり方だってあるんだよ。だから「読者に届かない」ということだけがネックだとすれば、本の流通が大きく変わりそうなこれからの時代、むしろ逆に希望はあるんじゃないかという気がする。いまは何か話題にならない限り、本屋に本が並ばないから。

川副:現状を逆手に取るってことですよね。あと、紙の本が消えちゃうんじゃないかとか、みんな騒いでいるじゃないですか。一度そういう状況になっちゃえばいいんですよ。そうなれば、絶対に紙じゃなくちゃイヤだという人が出てくるはずだから。そしたら、紙の本であることを売り物にして出版社を作る。「株式会社 紙の本屋」とか(笑)。

田口:それも一案だよね。やっぱり、本の手ざわりってなんか特別だから。電子書籍だって自分の家で印刷することはできるんだろうけど、リーディングでタイプ原稿を読んだりしたとき、やっぱり本で読むのとはなんか違うじゃない。でも、iPadみたいなものは便利そうな気もするよね。字をでっかくしたりできるんでしょ。

川副:パソコンと違って目に優しいとかも言われてますよね。そういう身体的なことを言われちゃうと、紙がいいとか言っておきながら、「iPadのほうが読みやすい」って言い始めるかもしれない(笑)。

田口:そうだろ。俺もルビがもう見づらくなってきてさ、文庫は特に。ちょっと大きくしてる本もあるけれど、まだ小さいままのものもあるじゃない。

川副:それでも紙じゃなきゃイヤという人は絶対にいると思う。フィクションは特に。

田口:慣れてるからね。

川副:じっくり読むとなると、紙じゃないと不可能な感じがして。

田口:そうだね。画面上だと文字が宙に浮いてる感じがしちゃってさ。文字そのものを手で触れないから、なんか違和感を感じながら読まざるを得ないよね。忘れたところ読み返すときも、本だと紙の分量とか手でページを繰った感覚とかで「あ、ここに書いてあった」ってわかるんだけど、モニタで読んでると確認した感じがしなくてなんか妙だよ。

川副:紙とモニタとでは、何か違う感覚で文字を追っているような気がしますよね。だからいままで「翻訳はこういうことだ」って生徒さんにいろいろ言っていたことが成り立たなくなってきたっていう気がすごくするんです。

田口:本だと質感とか全体の分量とかが手でわかる。でもiPadみたいなものだと、全体像がわかんないんだよね。何分の何ページとか表示が出たとしても、手で感じるようにはわかんないもん。

川副:本の場合、手を通して物理的なものも感じながらページを繰っていて、ページがなくなって本を閉じて、そこで「ああ、読み終わった」と実感する。それがいいわけじゃないですか。

田口:そうなんだよね。でも、そんなこと言ってて、あと10年もしたらiPadとかに慣れてるかもしれないし。

川副:かもしれないですね。でも私は、紙の本がなくなることは絶対にイヤなんです。装丁とか造本とか、そういうものすべてあっての本だから。

田口:意味合いはちょっと違うかもしれないけど、むかしはゴチとかいろいろな字体を使ったりしてて、そういうのを見ると「レベルが低いな。ふつうにぜんぶ明朝でやってくれよ。言葉なんだから視覚に訴えんなよ」みたいに思ってたの。でも、最近『ラスト・チャイルド』を読んでるときにも思ったんだけど、そういうのも悪くないなって(笑)。結局、慣れなんだよ。

川副:題材にもよりますよね。

田口:じゃあ、本が読者に届かない状況をなんとかしたいと思っていて、川副さんが訳しているようなジャンルをもっと世間に知らしめる方法はないものか、模索中であると。そういうことかな。

川副:文句ばかり言ってないで。

田口:そう、そのとおり。この仕事を続けたいんであれば、翻訳者自身が何かしないといけない。

川副:そうですね。でも、売れないから翻訳書を出さないという話も聞こえてきて、そういう現状は……

田口:やっぱり寂しいよね。

川副:寂しいです。

田口:俺たち翻訳者は別に高尚なことをやろうとしてるわけじゃなくて、面白くていい本を出そうとしてるだけなんだよ。でも、面白くていい本だから売れるとは限らなくて、やっぱり売れてるから「面白い」って話になる。「売れてる」というのはいちばんわかりやすい宣伝方法だから。まあ、なんとか方法を考えましょう。



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