坂田:では、『第2回翻訳ドラマ大賞』の大賞受賞作『クラウド・クックー・ランド』についてお話を伺いたいと思います。まず、簡単にあらすじを教えていただけますか?
小浜
:舞台は、IT産業に牛耳られた政府が厳しい統制を敷いているような未来社会。翻訳も人間が勝手にするのは禁じられていて、すべてコンピュータソフトが行なっています。そんな社会に疑問を抱くようになった少年が、変わり者の老人と出会ったのをきっかけに、翻訳に目覚めていく……という話です。
坂田:このコンテストに応募しようと思ったきっかけは何ですか?
小浜
:『第2回翻訳ドラマ大賞』のことは情報誌『Amelia』の裏表紙に出ていた案内を見て知りました。これまでに、翻訳コンテストにはチャレンジしたことがありましたが、それとはまったく違うところに惹かれて、応募してみようと思いました。
坂田:翻訳コンテストとまったく違うところというと?
小浜
:私は翻訳する時、意訳まではしませんが、自分の個性を出したい方なんです。例えば、元の文章が下手くそでも、それをうまい日本語に換えたいというか(笑)。それで、筆が走りすぎてしまうこともあります。でも、それは翻訳コンテストでは評価されませんよね。原文に忠実に訳した方が、審査に通りやすい。そこにジレンマがあったんです。ところが『翻訳ドラマ大賞』はまったくの創作で、自由に書けばいいということでしたので、これは面白い、挑戦してみようと思いました。
坂田:本を読むのがお好きだということですが、これまで小説やノンフィクションなどを書かれたことは?
小浜
:一切、ありません。日記もつけていませんし。実は、あえて書きたくない、という気持ちもあったんです。本を読むのは好きで、いろいろと読んでいますが、最近の小説の世界をみると、いわゆる「文壇」といわれる正当派小説は、書くことの自意識が大きくなりすぎていると思うんです。要するに“文学をする”ということに意識過剰になってしまっていて、無意識に小説など書けない状態にあると。1960年代以降は、世界的にそうだと思うんですが、あえて小説という枠組みを壊した実験的な小説が登場して、普通の文学が書けなくなってしまっている。読む側も、昔の人がチャールズ・ディケンズを楽しく読んでいたような、無邪気な読書体験ができなくなってきている。そんな風に感じるんです。
坂田:そう感じながら、今回あえて、初めての挑戦として小浜さんが書こうと思ったのは?
小浜
:自分が自分で書いたもののことを偉そうに語るのは恥ずかしいんですが、今回私が書いたものは、コンセプトが先にありきというものです。だから、純粋に小説というものを書いたつもりはないんです。小説を書こうと思ったら、書けなかったと思います。翻訳というテーマがあって、それに対して自分が何を書きたいかと考えたとき、私の中には書きたいと思うことがあった。それを書いたら、たまたま小説という形になったということです。
坂田:では、その“書きたいと思うこと”とは?
小浜
:「翻訳はこれでいいのか?」といった、最近の時流への疑問みたいなものですね。翻訳を巡る世の中の流れとか、そういうものに対する危機感みたいなものです。
坂田:危機感というと?
小浜
:いろいろなところで感じています。例えば、パソコンを使っていて出てくるエラーメッセージ。「プロトコル」と言われても、パソコンを使い始めた人には何のことかわからないのに、当たり前のように使用している。それから、私は職人技が好きで、字幕制作の現場でも、例えばスポッティングが上手くできることに仕事人としての誇りを感じるんです。「この微妙なニュアンスが字幕制作のソフトにはできないでしょう!」って。機械翻訳ソフトなんかも、「全然ダメじゃない!」と思います。しかし、世の中の流れはどんどん私がこうあってほしいと思う方向とは違う方向に向かっている。
坂田:そうですね。翻訳をなさっている方は、多かれ少なかれ、いろいろな場面で、小浜さんと同じようなことを感じているかもしれませんね。
小浜
:翻訳だけじゃなくて、言葉の問題にも危機感を感じています。日本の国語の問題がすごく軽視されていて、文部省の国語審議会などの流れを見ていても、最近は多少揺り戻していますが、歴史的にどんどん漢字をなくして簡略化していこうという動きがあります。でも、言語というのはそういうものじゃないんじゃないかって。戦後、旧仮名遣いから新仮名遣いへと移行しました。今さら、旧字に戻せとは言いませんが、でも、何でも簡単にすればいいというものではないでしょう? 最近では、カタカナが広まっているからコンピュータ用語は全部カタカナでいいじゃん、とか。そういう風潮がいやだなと思っていたんです。
坂田:翻訳の流れに対する危機感と、日本語の言葉に対する危機感、これがこの作品の根底にあるわけですね。作品の中で、日本語や英語、母国語や外国語という呼び方はせず、第一国語、第二国語と呼んでいますよね。これも、そういった危機感の表れですか?
小浜
:そうですね。すごく極端に表現していますが、流れとしてはあのようになっていくのかなと感じています。例えば、今度、小学校でも英語の授業を導入しましたよね。なるべく小さい頃から英語を学ばせた方がいいという考え方がありますが、私は、英語を学ぶ前に日本語をちゃんと学ぼうよ、と思うんです。国語力がないままに英語を学んだら、日常英会話はできるようになるかもしれないけど、英語で討論はできない。日本語でも討論ができないわけですから。
坂田:言葉は伝達のための手段ですから、その言葉を使って伝えたいものがなければいけない。
小浜
:そうです。日本語で自分の考えを伝えられる人間になるほうが先だと思うんです。伝えたいことをもっていない人が、いくら伝達手段だけを学んでも意味がない。やはり、一番重要なのは内容ですよね。