アメリア会員インタビュー

圭室 元子さん

圭室 元子さん

イギリスで出版・実務翻訳にたずさわる日々

プロフィール

画廊の海外仕入れ部で仕事をした後、アンティークに魅せられ、ロンドン・サザビーズ等で美術史、工芸史、建築史、思想文化史を勉強。ロンドンのアンティークショップで店長を6年半務める。イギリスでアニメ、漫画、映画、ゲーム関連の翻訳に携わっているが、その他にも幅広く翻訳を手がける。『Dorama Encyclopedia – A Guide to Japanese TV Drama since 1953』(Stone Bridge Press)共著者。主な共訳書に『The Japanese Guide to Healthy Drinking』(葉石かおり著『酒好き医師が教える最高の飲み方』、 Robinson)、『Resident Evil: Graphical Guide』(『バイオハザード6 グラフィカルガイド』、Titan Books)など。アメリアのスペシャルコンテストでいただいたお仕事、訳書『我が罪を唱えさせよ/天才の別の面(仮題)』(Wilfred Bion著、福村出版)がこれから出版予定。普通のイギリス人がどのように生活してきたのかを調べるのが好きで、身の回りのモノやコトの英国史をブログで発信中。

アニメ雑誌の仕事から翻訳へ

近所のイーリー大聖堂

加賀山 :本日は、イギリスで出版翻訳と実務翻訳をしておられる、圭室 元子(たまむろ もとこ)さんにお話をうかがいます。イギリスのどちらにお住まいですか?

圭室 :ケンブリッジの近くのイーリーという町です。大聖堂があります。

加賀山 :いろいろなお仕事をされていて、どれからうかがおうかと迷うくらいですが、プロフィールの実績欄にある、Resident Evil: Revelations Official Complete Books (Titan Books)は、ゲームの解説書ですか?

圭室 :そうです。『バイオハザード』シリーズのひとつで、その日本語の解説書を英訳しました。

加賀山 :Amazonで見ますと、ペーパーバックでなんと16,000円以上の値段がついています。Resident Evil: Graphical Guide (Titan Books)というのも同じ系列ですね。訳す分量はけっこうありましたか?

圭室 :本としては普通の厚さですが、絵や図柄が多いので、分量はさほどありませんでした。訳したのはおもに解説部分です。

加賀山 :Yuko Rabbitさんの10 Minutesという漫画も英訳されています。

圭室 :漫画はその後も訳しています。もともとイギリスでアニメ関連の仕事をしていまして、その流れで翻訳の仕事も始めたのです。イギリスに来たのは1998年ですが、日本のアニメを紹介するManga Maxという雑誌の仕事を手伝ってくれないかと友人に誘われて、記事の翻訳をするようになりました。
 背景を説明しますと、イギリスで日本のアニメは1980年代までほとんど知られていなかったのです。例えば『ガッチャマン』が1979〜80年にBBCで放映されましたが、それもアメリカで子供向けに作り直されたバージョンでした。あと80年代に多かったのは、日本とフランスやスペインの共同制作で、これも日本からというよりはヨーロッパのアニメという感覚でした。

加賀山 :「日本のアニメ」というとらえ方ではなかった。

圭室 :ええ。ところが、1990年にイギリスで大友克洋さんの映画『AKIRA』が公開されて大人気となり、状況がガラッと変わります。各地で日本アニメの上映会が開かれるようになって、その先頭にいたヘレン・マッカーシーという女性が、1991年にイギリスで初めてアニメの雑誌を創刊しました。
 その後輸入された日本のアニメは性的、暴力的なものが多く、評判もあまりよくなかったのですが、1995年に『攻殻機動隊』が劇場公開され、また流れが変わりました。私がイギリスに来たのはそのころでした。友人というのはジョナサン・クレメンツという日本学の専門家で、日本アニメの輸出について修士論文を書いた人ですが、その彼がヘレンから引き継いで新しい雑誌を作ったときに、私に声がかかったのです。ちなみに、その後『ポケモン』やジブリ作品が入ってきて、イギリスでもアニメが受け入れられていきます。

加賀山 :その雑誌が翻訳を本格的に始めたきっかけですか。

圭室 :そうですね。そのまえに日本の画廊で海外仕入れの仕事をしていて、英語での連絡や資料の翻訳、アーティストのアテンドなどはしていましたが、「翻訳」を仕事として意識したのは、Manga Maxがきっかけでした。英訳だけでなく、私が最初から記事を書くこともあって、リサーチや企画もしていました。

加賀山 :先ほどのゲームの解説書などの仕事はどうやって開拓しましたか?

圭室 :基本的には、Manga Maxにかかわったことでいろいろな人とつながりができ、イギリスのほかの仕事も入ってきています。

加賀山 Dorama Encyclopedia: A Guide to Japanese TV Drama since 1953という本もありますが、これは翻訳ではなく著作ですね。

圭室 :それはジョナサン・クレメンツとの共著です。アニメの仕事がひと段落ついて、今度はドラマについてまとめようということになったのです。英語圏で日本のテレビドラマについて初めて書かれた本でした。

イギリス的な文章が好き

加賀山 :ほかに出版関連の実績はありますか?

圭室 :『酒好き医師が教える 最高の飲み方』(葉石かおり著/浅部伸一監修/日経BP)の英訳書が2021年に出ました。The Japanese Guide to Healthy Drinking: Advice from a Saké-loving Doctor on How Alcohol Can Be Good for You (Robinson)という本です。
 それから、アメリアのスペシャルコンテストでいただいた仕事もあります。こちらは和訳で、これから出版予定です。原書はAll My Sins Remembered: Another Part of a Life/ The Other Side of Genius: Family Letters (Wilfred R. Bion/Karnac)、精神分析者が書いた自伝と家族への手紙です。訳書は2部に分かれ、自伝部分には「我が罪を唱えさせよ」、手紙の部分には「天才の別の面」という副題がつく予定です。実はこの著者ビオンの自伝にはもう 1冊ありまして(The Long Weekend: 1897-1919)、それは私が手がけた本の前編にあたるのですが、そちらは立川水絵さんが訳されています。

加賀山 :実務のほうでは、商品化権・著作権に関する書類や市場調査報告書、ビデオゲーム関連、医療機器教育資料などを和訳、英訳しておられます。
 ほかにも、アニメのDVDブックレット、絵コンテ、クリエーターインタビュー、国際映画祭のカタログやPR資料、展覧会の展示資料や評論文、史料などの英訳がありますね。

圭室 :アニメや漫画にかかわっていたことからいただく仕事もありますし、日本の翻訳会社からの依頼もあります。

加賀山 :英訳と和訳はだいたいどのくらいの割合ですか?

圭室 :英訳の方がかなり多いですね。イギリスにいるので英訳を依頼されるという面はありますが、今後はもっと和訳も力を入れたいと思っています。
 とくに出版翻訳は、自分で小説を書けるくらいの文章力がないと無理だ、私にはできないとずっと思っていたのですが、やはりやってみたくなりまして。アメリアのスペシャルコンテストに応募したのもそういう理由からでした。

加賀山 :そこで選ばれたということは、何か光るものがあったのですね。和訳の魅力はどういうところでしょう。

圭室 :英訳の場合、私はネイティブではないので、最終的にはネイティブの手が入ります。でも和訳の場合には、最後の細かいところまで自分で目配りしなければいけません。そこにやりがいを感じますね。
 通常の翻訳であれば、まちがいがなくて、読みやすければ仕事として成り立つでしょうが、読み物となるとそれだけではだめですよね。読んで心地よい文章でないと。ちょっとことばが変わっただけで印象も変わりますし。実際に長い作品を訳してみて、むずかしいけれどすごくおもしろいと思いました。
 枝葉がからんで、花が咲いてきれいだけどたくさん棘がある……そういうイギリス的な文章が大好きなんです(笑)。今回のビオンの本にもそういうところがあって、かき分けかき分け、傷だらけになりながら(笑)訳しました。

加賀山 :著者のビオンさんはイギリス人なのですね。

圭室 :そうです。個人的に会ったら、物静かで、ストイックで、ちょっと近づきがたい人じゃないかと思うんですけど、書いたものを読むと、すごくおもしろくて、温かいし、ウィットに富んでいて。読者層はおもに精神医学関係のかたかもしれませんが、著者のそういうところにも注目してもらいたいと思います。とくに子供たちに宛てたことばにとても響くものがあって、私も子供の親として感銘を受けましたので、精神医学にかかわっていないかたにもぜひ読んでいただきたいです。
 内容の性質上、20世紀史が背景にあるのですが、私は美術とか工芸、建築、インテリアに関する歴史が好きなんです。それもあって、イギリスの著者のほうが文化的なバックグラウンドがわかるし、ニュアンスもつかみやすいですね。

18世紀のキッチン。普通の人々がどのように生活してきたのかを調べてブログに書いています。

加賀山 :ブログ(https://englishantiquehouse.blogspot.co.uk/)を少し拝見しましたが、とてもくわしい内容で驚きました。

圭室 :ブログでは身近なものの英国史を書いているのですが、調べはじめるとゾーンに入っちゃうというか(笑)。楽しくて楽しくてウサギの穴から出てこられなくなるようなところもありますが……。

加賀山 :直近の記事では、プディングの歴史について書いておられます。

圭室 :日本のプリンの元になったカスタードプディングをはじめ、ブラックプデイング、ライスプディング、ヨークシャープディング、クリスマスプディング−−全部一見全然違うものですよね。それに、「プディング」には「食後のデザート」という意味もある。「プディング」って一体何だろう、と。16世紀のレシピ本にさかのぼって全部調べました。いまは資料も数多くデジタル化されていますので、いくらでも調べられますね。

加賀山 :突きつめるタイプなんですね。実務の仕事は日常的に入ってきますか?

圭室 :実務翻訳のほうは安定しています。イギリスの会社と直接やりとりしていますし、日本の翻訳会社からいただく場合もあります。そこにときどき出版物の仕事が入るという感じです。

加賀山 :実務の案件のなかでは何が多いのですか?

圭室 :いちばん多いのは、過去の経歴からやはりアニメ関連ですね。

加賀山 :スペシャルコンテストのほかに、アメリアに入ってよかったと思うことはありますか?

圭室 :アメリアに入ってすごいなと思ったのは、勉強ができることです。つまり課題があって、自分で訳したものを提出できるし、提出しなくても解説や訳例と見比べて学ぶことができる。私の場合、英語に囲まれているぶん、日本語に触れる機会が少なくなります。仕事で日本語は使いますし、本も読むし、日本語のニュースも毎日チェックしていますが、やはり絶対量が少ないので、とくに和訳に関してはアメリアで勉強ができて助かっています。
 もちろんスペシャルコンテストなどで直接仕事につながる機会が多いのも、ほかの翻訳者サイトと違うところだと思います。

ノンフィクションで調査能力を発揮したい

加賀山 :最初に翻訳に興味を持ったのはいつごろでしたか?

圭室 :もともと私は英語より数学のほうが好きでした(笑)。ただ、高校のときに洋楽が好きになりまして、イギリスに行きたくなったんです。アメリカは大きすぎるけれど、イギリスは国の大きさも島国であるところも日本と似ているから、イギリスに行こうと。

加賀山 :高校時代に行かれたのですか?

圭室 :いいえ。高校を卒業してすぐに行きたかったんですが、親に大学は出ろと言われ、4年も待てないということで短大にしまして(笑)、卒業後に1年間、イギリスに語学留学しました。帰国後は英語を使う仕事を探して、画廊の海外仕入れを手がけました。
 でも、留学時代に出会ったアンティークの仕事がしたくなりまして、オークションハウスのサザビーズに留学して美術史や工芸史を勉強しました。その後ビザが切れて帰国し、別の仕事をしていたときに、いまのイギリス人の夫と出会って、1998年にイギリスに来たのです。

加賀山 :イギリスでは、ロンドンのアンティーク家具や工芸品を扱う店の店長も務められたそうで。

圭室 :私にとってはそれが大きな目標でした。そこでは8年間働きました。同じ時期にアニメの雑誌で翻訳の仕事も始めていましたが、メインはアンティークのほうで、翻訳は夜や週末にやっていました。
 その後、キャリアのステップアップを考えたときに、自分の店を開くことは考えられなくて。品物自体の取引よりも、それらがどういうふうに使われていたのかという社会史や文化史のほうに興味があることがわかったので、もう少し翻訳の仕事を広げようと思い、日本の翻訳会社に登録して仕事をいただくようになったのです。
 そして子供ができました。こっちでチャイルドケアを頼むとものすごく料金が高いんですね。私の1カ月分の給料が飛んでしまうので(笑)、結局アンティーク店のほうは辞めて、子育てと翻訳に専念するようになりました。

加賀山 :すると、翻訳の仕事に集中するようになったのは2004年ごろからですね。最初から依頼はたくさんありましたか?

圭室 :日本の翻訳会社さんからの仕事はあったりなかったりでしたが、最初にお話した友人のおかげで、イギリスの仕事はコンスタントにありました。

加賀山 :今後仕事を広げていきたい分野はありますか?

圭室 :出版翻訳です。とくにイギリスの歴史や文化の知識はありますので、アメリカやオーストラリアの原書より、イギリスの原書ならわかることも多いと思います。

ハリー・ポッターの「生家」がある16世紀の街ラヴェナム。
古い町並みが大好きです。

加賀山 :フィクションかノンフィクションというこだわりがありますか?

圭室 :私にはノンフィクションのほうが合っていると思います。

加賀山 :ブログの調査能力を拝見すると、そういう気がします。イギリスの歴史や文化に関する本を訳されると、訳注のほうが長くなったりして(笑)。

圭室 :そうですね。ビオンの本を訳したときにも、訳注をどのくらいで切り上げるか悩みました(笑)。

加賀山 :スウェーデンにも住んだことがあるそうですね。

圭室 :夫の仕事の関係で3年間住んでいました。

加賀山 :では、今後はスウェーデン語の翻訳も?

圭室 :スウェーデン語は、1年でまったくのゼロから高校卒業レベルまで終わらせたんですが、やはり問題は文化的なことですね。読むことはできて意味はわかりますけど、ことばのニュアンスとかバックグラウンドに対する理解がまだ足りないと思います。

辞書は知識の宝庫

加賀山 :話は変わりますが、英訳をするときにとくに注意していることはありますか?

圭室 :これは和訳でも同じだと思いますが、バックグラウンドがわかるかどうかということは意識します。そのまま訳して、何も知らない人がわかるのかどうか。英語圏では日本の事情を知らない読者が大多数ですから。

加賀山 :最後はネイティブにチェックしてもらうのですか?

圭室 :それは常にしてもらいます。意味は通じても、対象に合わせてもう少し読みやすくするとか、細かいところはどうしてもわからないので。
 あとたいへんなのは、日本語は主語がありませんよね(笑)。たとえば、インタビューの英訳などで、話している人たちのあいだでは盛り上がっていて、日本語で読むと自然なのだけれど、一文一文解体して英語に訳そうとすると、「誰のことを言ってるの?」とか、「『それ』って何?」ということがよくあります。ですので、本当は何を言いたいのかということをいつも考えて訳しています。

加賀山 :日本語は、お互い状況がわかっている前提で話しますからね。

圭室 :そうなんです。日本語に表れにくい単数と複数の区別も困ります。「これは1個?」とか(笑)。与えられた情報のなかでできるだけ考えて、インタビューなら同じ人のほかのインタビューで言っていることなども参考にして、結論を出すしかありません。

加賀山 :なるほど、おもしろい。ふだん翻訳のために勉強されていることはありますか、と訊こうと思ったのですが、そちらにいらしたら日常生活が勉強みたいなものですよね。

圭室 :そうですね。私が英訳をしたあと、最終的にポリッシュアップされたものが出てきますので、「ああ、こういう言い方があったのか」というふうに学べますし、うちの夫は日本語を話せないのですが、ライティングの仕事もしており、こっちが外国人でも手加減せずに話すので、英語表現の勉強になります。友だちに言わせると「やさしくない」のですが(笑)。
 あとは、外に出かけたときに聞き耳を立てています。ロンドンの地下鉄なんかに乗ると、ほかの人の会話に耳をすまして、「なるほどそう言うのか」と。

加賀山 :毎日が勉強ですね。

圭室 :それから、辞書でも多くを学びました。辞書は知識の宝庫で、素晴らしい例文がたくさんありますから、高校の時からぱらぱらと辞書を見ては、普段の生活で使えそうな例文を書き出し、「こういうときはこう言うんだ」と学んでいました。学校の英語の成績は普通でしたが、そのおかげで、ずっと「英語らしい表現ができる」と言われていました。それが今でも自信につながっていると思います。

コッツウォルズの村

加賀山 :今後日本に帰ってこられるようなことはないんですか?

圭室 :どうでしょう。なるようになる、ですね。

加賀山 :ちなみに、そちらのコロナはいまどういう状況ですか?

圭室 :自由市場重視ということで、規制もすべてなくなって、完全に放置状態です。クリスマス時期に感染者が増えて、その後少し下がり、また上がっていますが、あとは自己責任でよろしくという。

加賀山 :コロナによって仕事が増えたり減ったりはありましたか?

圭室 :あまり変わりません。翻訳の仕事は家でしていますので、ライフスタイルとしても変わりませんし、いただく仕事も減りませんでした。

加賀山 :大きな打撃がなくて何よりでした。日本の出版業界は、翻訳にかぎって言えば、経済全体の落ちこみの影響で1作品あたりの出版部数が減っているように思います。

圭室 :不思議ですね。夜出かけなくなって、人々が家で本を読む時間が増えそうな気がしますけど。

加賀山 :休校になるので児童書や学習書の販売は伸びたりしましたが、皆さん、家にこもってもあまり本は読まないようです(笑)。読書はすごく「省エネ」で奥の深い娯楽ですから、今後復活することを期待しましょう。

■のびのびと仕事をされているバイタリティが伝わってきて、とても楽しい時間でした。ここには書けませんが、私がイギリス人著者の本を訳したときの愚痴まで聞いていただき、恐縮です。早くまたイギリスと自由に行き来できるようになることを祈っています。