アメリア会員インタビュー


鈴木 立哉さん

第126回

金融翻訳のプロフェッショナル、登場。鈴木 立哉さん

Tatusya Suzuki
メインの仕事は経済レポートの英日翻訳。2年に1冊ペースで出版翻訳も。

加賀山 :今日は金融翻訳の鈴木立哉(すずき たつや)さんにおいでいただきました。まず、金融翻訳といってもいろいろな内容があると思いますが、どのようなものが対象となるのでしょう。

鈴木 :対象範囲は広くて、①投資家向けのマクロ経済/市場/ファンド運用レポート、②アニュアルレポート、四半期報告書、プレスリリースなどのIR(インベスター・リレーションズ。企業が投資家に向けて情報発信する活動)関連資料、③目論見書などの開示資料、④起債やファンドに関する契約書や政府への届け出文書、⑤各種社内文書などがあります。 大本の発注者(ソースクライアント)は、おもに①が銀行、証券会社、資産運用会社、②〜④が上場企業、監査法人、法律事務所、⑤がそれらを含むあらゆる法人です。

加賀山 :金融翻訳全体のニーズは増えていますか?

鈴木 :確実に増えていますね。各国の金融市場が瞬時に連動する時代になって、英語媒体からのタイムリーな情報取得はますます重要になっています。一方で、日本企業の情報発信、情報開示も広がり、その内容も世界の投資家を念頭に置いたものに変わってきていて、英日だけでなく日英翻訳のニーズが伸びています。加えて3年先には東京オリンピックもありますから、まだまだ伸びるでしょう。

加賀山 :ご自身はこれらの範囲全般を訳しておられるのですか?

鈴木 :いいえ、僕の場合、マンスリーのマクロ経済レポートと、そこから派生するヘッジファンドや投資信託の運用レポート(上記①)の英日翻訳が9割です。

加賀山 :日英はされないのですか?

鈴木 :当初は日英翻訳もやっていたのですが、思うところがあって自分では訳さないことにしました。
 あるとき大変な量の和英の仕事が来て自分一人ではこなしきれず、ネイティブ・チェックを頼んでいたアメリカ人翻訳者の方に半分ぐらい直接訳してくれないか、と頼んだのです。彼は僕の想像をはるかに超えるスピードで訳してきて、しかも訳したものを読んでみると、書き出しから僕の英訳とはぜんぜんちがうんですね。これはかなわない、まかせるしかないと思いました。
 こんなこともありました。日本の大手メーカーがCSR(企業の社会的責任)に関する文書を作って、それを英訳する仕事がまわってきた。想定読者は全世界の社員です。その文章のなかに、「当社は3年前に水曜を早帰りの日とするルールを定め、以来それを遵守しています」という記述があった。すると、英訳を頼んだネイティブ翻訳者が、「これをそのまま英語にすると、会社の評価が下がる」と言うのです。欧米なら、「3年前にルールを作った」と書くだけだ、そのあと遵守するのは当たり前なので、それを誇らしげに言うのは不自然だ、と。こういうことは、日本人はなかなか気づかない。
 こういう経緯で、いまは日英の仕事が入ってくるとネイティブ翻訳者に訳してもらい、自分はPM(プロジェクト・マネジメント)に徹しています。

加賀山 :読む人を想定したメッセージにするということですね。逆に、英語から日本語にするときに、日本人として何か気づいて先方にフィードバックするようなこともあるのですか?

鈴木 :あります。経済レポートの場合、原文を書いているのは専門のライターではないかもしれない。現場のトレーダーやディーラーが書くこともあって、書きまちがいや事実誤認もけっこうある。ですから、まちがいに気づいたときには、海外側ではなく、日本にいる担当者と相談しながら日本語のレポートとして正しいものに仕上げます。
 日本語のレポートを作るときには、日本人読者がどこまで事情を理解しているか判断したうえで、訳さなければならない。たとえば、フランス関連の原文に「マクロン」としか書いていなくても、翻訳では「中道右派のマクロン」と補足したり、「ブラジルの地方選挙」とあるときに、「○月×日におこなわれたブラジルの州知事選挙」としたり。極論すれば、英語の原文は「題材」にすぎない。
 直近の話題では、イギリスの総選挙があります。いまイギリスは(保守党が議席の過半数を割って)大騒ぎですが、これが来週の金融レポートにも反映される。それを翻訳で読者にどう示すか。時たま他の翻訳者が訳したレポートを見てほしい、と言われることがあるのですが、日本の読者向けに日本語のレポートを出すという意識が足りない実務翻訳者がけっこういるのではないか、という印象を抱いています。

加賀山 :実務翻訳だけでなく、『Q思考──シンプルな問いで本質をつかむ思考法』(ダイヤモンド社)や『ブレイクアウト・ネーションズ』(早川書房)など、書籍の翻訳もされていますね。

鈴木 :本のほうは、実務翻訳の合間に時間を見つけて訳す方針なので、納期が1年ほどかかります。それを出版社に言うと7〜8割は立ち消えになりますが、それでかまいません。こちらから出版社に話を持ちこんだこともありますよ。

加賀山 :「持ちこみ」もなさるのですか。

鈴木 :ちょっと特殊なケースです。ある出版社からリーディングの依頼があって、レジュメを提出したのですが、出版企画は通りませんでした。しかし、すばらしい本だと思ったので、担当編集者の了解を得たうえでレジュメをほかの出版社に出してみた。幸運なことに企画が通り、出版が決まりました。

加賀山 :翻訳ではなく、最初から書かれた著書もありますよね。『金融英語の基礎と応用 すぐに役立つ表現・文例1300』(講談社)です。

鈴木 :自著書は、目次も含めて全部ひとりで決められるところが翻訳とちがいますね。この本も、出版社からの要望は「金融関連で原文と日本語訳が並んでいる本にする」ことだけで、あとは完全なフリーハンド。データ自体は集めていたのですが、どう見せるかという構想が固まるまで2年半かかりました。そこからの作業が半年でしたから、3年中2年半が産みの苦しみだったわけです。

加賀山 :著書の話は出版社のほうから来たのですか?

鈴木 :尊敬する知り合いの特許翻訳者が、その出版社から特許翻訳に関する本を出して、そこそこ売れたのだそうです。次に医薬翻訳の本を出したら、それも売れた。ならば次のテーマは金融だろうということになったらしく(笑)、僕のほうに提案をもらいました。