アメリア会員インタビュー





第48回
昔みた翻訳家という夢に 50歳を過ぎてからチャレンジ!
  三浦和子さん
Kazuko Miura


20年のブランクの末、50歳を過ぎてから翻訳の勉強を再開

坂田:今回は、今年(2007年)の4月に初の訳書を刊行なさった三浦和子さんにお話をうかがいました。子育てを終えて、50歳をすぎてから翻訳の勉強を再開されたとか。ご自身が実践した、効率的な勉強法もあるようです。楽しみですね。よろしくお願いいたします。

三浦
:こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

坂田:「翻訳をしよう」とか「翻訳家になりたい」と考えたのはいつですか?

三浦:最初に「翻訳をしたい」と思ったのは、大学生の頃でした。英語教育に力を入れている中高一貫校から英文科に進み、とにかく英語が大好きだったんです。それに小さい頃から、日本語の活字に触れていれば幸せという性格。「自分は何に向いているんだろう?」と考えたとき、翻訳以外ないと思いました。まずは実践を、と考えて、学生課から紹介された翻訳アルバイトで技術論文を訳したのが初仕事です。建設会社からの依頼で、建設関係の論文を3人ぐらいで分担して訳しました。

坂田:アルバイトで初めて翻訳をなさって、どうでしたか?

三浦:一応、大学の授業で習ってはいたものの、本格的に翻訳の学習をしたことはなかったので、今思うと冷や汗ものです。でも、あらかじめ専門用語の解説を受けましたし、内容的にはそんなに難しいものではなく、翻訳の作業はとても楽しかったんです。「こりゃ病みつきになりそう」と思いました。

坂田:大学卒業後はどうしましたか?

三浦:卒業後は就職しましたが、結婚がわりと早く、間もなく退職しました。その後、ときどき通訳・翻訳サービスの会社から翻訳の仕事を受注し、また2年ほど通信教育で文芸翻訳の勉強をしました。通信教育の後、1年間、往復3時間ぐらいかけて文芸翻訳の通学クラスにも通いました。

坂田:やはり翻訳が好きで、離れられなかったんですね。

三浦:そうですね。でも、何でもやり出すとのめりこむ傾向があって、家事も子育ても相当いい加減になってしまって……。そんなにも頑張ったのに、通信・通学ともに成績はBでした。この倍の努力をしないと物にはならないだろう、と感じて、子どもが病気がちだったこともあり、その時点で翻訳の道はあきらめ、家で中高生に英語を教えたりしていました。

坂田:そして、その後ずいぶん経ってから翻訳の勉強を再開するんですよね。

三浦:はい。約20年間のブランクの後、50歳になってから「翻訳を再開しよう」と決意したのですが、これにはちょっとしたきっかけがありました。

坂田:きっかけというのは?

三浦:実は、夫が50過ぎから大学院で経営学を勉強し始めたんです。通勤しながらの通学はきついのではないだろうか、などと心配しましたよ。でも、結構楽しそうに続けている姿に安心して……。同時に刺激も受けました。やる気さえあれば年齢的に無理ということはない、と同居人が証明してくれたわけです。その頃、手のかかった子供たちも家を離れ、念願の自由時間をたっぷり手に入れたこともありました。若い頃にあきらめてしまった翻訳をもう一度勉強したい。その思いが強くなり、夫が卒業してすぐにフェロー・アカデミーに入学し、新たな一歩を踏み出したわけです。ちょっと大げさかもしれませんが、清水の舞台から飛び降りる覚悟でした。

坂田:通勤しながら大学院に通うなんてスゴイですね! 三浦さんにとっての翻訳のように、ご主人にも何か夢があるのでしょうか?

三浦:海外ビジネスの経験が長く、大学院も国際経営を専攻したので、日本の中小企業が海外に進出する際のコンサルティングができれば、と思っているようです。

坂田:そうですか。素晴らしいですね。フェロー・アカデミーにはどのくらい通いましたか?

三浦:今は大阪に住んでいるのですが、夫の転勤で東京に7年間住みました。そのうちの2年間は夫が大学院に、5年間は私がフェローに通いました。

坂田:もう一度翻訳をと考えたとき、具体的にはどのような道に進みたいと思われましたか?

三浦:それはもう、絶対に文芸翻訳を勉強したいと思いました。もう一度挑戦できるなら文芸を、それもじっくりと基礎から勉強したかった。具体的には、ノンフィクションや児童文学の翻訳を考えていました。