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アンゼたかし映像翻訳トーク!トーク!トーク!

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ヨーロッパ放浪時代に培った決断力と生き抜く力

アンゼ: 高校生のときは、大学に入って何をしようとか、決めていましたか?

菊地: 実は、小さいころから船乗りになりたかった。小学校の5、6年生のときに、海洋少年団っていう海版ボーイスカウトに所属して、週末は必ず海に行っていたから、ずっと船乗りになるのが夢だった。高校卒業後は商船大学に入りたかったんだけど……商船大学ってのは理系だから、数学ができないと入れないんだ。それで、高校2年の微分積分で挫折して、なんとなく普通の大学に進学。

アンゼ: 大学を出たら、一般的には社会に出て働かなくてはいけない、という流れみたいなものがあると思うんですけど、菊地さんは大学卒業後にベルギーに行かれたんですよね。卒業する時点では何になりたい、という夢や目標はありましたか?

菊地: なかった。でも「何にならない」というのはあった。「勤め人にならない」ということを決めていたんだ(笑)。

アンゼ: あ、実はぼくも同じです。会社勤めをしないというか、できないだろうなあ、と(笑)。それで、なぜ海外に行かれたんですか?

菊地: 当時、海外はまだまだ遠いところだった。いまみたいにH.I.S.でチケット買って、行ってきます、なんて時代じゃなかった。ただ、遠い分だけ余計に行ってみたかった。1970年に卒業したんだけど、1ドルが360円、一流企業の初任給が4万円だった時代に、ヨーロッパまでの片道が12万円だよ。それも、横浜から船でロシアに行って、あとはシベリア鉄道っていういちばん安いルートで。

アンゼ: ええっ! 今ならビジネスクラスで往復できちゃいますね(笑)。ところで、ベルギーというのは珍しい気がするんですけど、行き先は初めからベルギーだったんですか?

菊地: いや、本当はインドに行きたかった。でも、当時はカシミール紛争があってね。次に行ってみたかったのがギリシャ。ギリシャからエジプトのアレキサンドリアまでのエーゲ海クルーズがいいって聞いて。でも、そっちもキプロス紛争で断念。
 それで、もうどうでもいいやと思って(笑)。当時マカロニ・ウェスタンが流行ってたから、とりあえずイタリアのローマにある映画撮影所「チネチッタ」に行こうと思いついたわけ。映画関係のアルバイトでもできたらなあと思って。

アンゼ: やっぱり映画が好きだったんですね(笑)。それで、映画関係のアルバイトは見つかったんですか?

菊地: いや、実は途中で行き先を変えちゃったんだよ(笑)。モスクワのホテルで、帰国する日本人に話を聞いたら、イタリア人でも仕事がないんだから無理って言われて。代わりに、すぐにストックホルムに行けって言うんだ。当時、五木寛之の『さらばモスクワ愚連隊』っていうベストセラーがあって、モスクワ経由っていうのが若者の流行だった。

アンゼ: みんな、それを地で行っていたわけですね。

菊地: そう。というのも理由があって、当時はヨーロッパの北と南で物価がぜんぜんちがったんだよ。それで、ストックホルムで3ヵ月皿洗いのアルバイトをすれば、ローマで半年は暮らせるって言われたわけ。だけど、皿洗いっていうのはぼくのポリシーに反するからね(笑)。で、ローマはあきらめて、今度はロンドンに行こうと思ってチケットを変更した。

アンゼ: いろいろと決断が早いですよね(笑)。今度は、なぜロンドンなんですか?

菊地: ぼくは舞台も好きで、当時のイギリスはミュージカルが盛んだった。『オー・カルカッタ!』とか。それで、ロンドンでミュージカル関係のアルバイトでもないかなあと思って。そんな軽い気持ちだったけど、今度はちゃんとたどり着いたよ(笑)。

アンゼ: 実際に行ってみて、ロンドンはどうでしたか?

菊地: 東京とあまり変わらないっていうか、都会で人も冷たく感じたな。それで、また別のところに行きたくなっちゃって(笑)。

アンゼ: もしかして、ここでベルギー登場ですか?

菊地: そう。ロンドンに行く途中、景色がきれいだからと思って途中下車した駅があって、それがベルギーのブリュッセルだった。人もとても優しくて、すぐ友達ができたんだ。それで、ロンドンはやめて、すぐにベルギーに戻っちゃった。

アンゼ: でも、いきなりベルギーに行って暮らすっていうのも大変じゃないですか?

菊地: そうだよ、金はないし、皿洗いはしたくないし(笑)。で、ちょうどそのとき、フランス人の友人ができて、趣味で針金細工のアクセサリーを作ってた男なんだけど、彼の代わりに売ってくれないかって頼まれたわけ。道端でモノを売るなんて、皿洗いと同じくらいぼくのポリシーに反しているから本当はいやだったんだけど(笑)、金もなかったし、1回くらいいいやと思ってやったら、これがまたすごく売れたんだよ。当時のブリュッセルには日本人なんてほとんどいないから、珍しがって買ってくれたんじゃないかな。それで、これはイケると思って、その友達に作り方を習って、自分で作って売りはじめたんだ。

アンゼ: 自分で作って? やっぱりすごい行動力ですね。売れたんですか?

菊地: それがバカ売れ。瞬く間に金持ちになっちゃった。作りはじめてすぐに月収30万円くらいになった。さっきも言ったけど、日本では一流企業の初任給が4万円だった時代だよ。もう、びっくりだよね(笑)。

アンゼ: じゃあ、お金も貯まったということで、いよいよローマに行ったんですか?

菊地: いや、もうベルギーが心地よかったから、そのまま残っちゃった。

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