在宅フリーランスの翻訳者としてご活躍の坂本真理さん。 Flavor
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Flavor of the Month
<第116回>  全5ページ
25歳で結婚、26歳で出産し、進路を模索。 29歳のある日、「私は翻訳ができるかもしれないな」と突然ひらめいた!

高橋 :当時は就職氷河期ですよね。

坂本 :そうですね。氷河期でした。

高橋 :それなのに、せっかく就職したNEDOから翻訳業に転身されたのには、どのような経緯があったのでしょうか。

坂本 :就職して2年間、大学や企業から提案を受け付け、優れたテーマに研究開発助成をする一番所帯が大きい部署に配属され、内外の調整を一手に行う「総括」の担当になりました。特殊法人改革の一貫で独立行政法人へと変わる年でもあり、とても忙しく毎日パニック状態でした。当時はまだ翻訳への関心は芽生えていなかったはずなのに、就職してしばらくした時に上司に「もう辞めたい、通訳か翻訳をして生きていきたい」と言ったことを覚えています。上司には「そんな甘いものじゃないぞ」と言われましたが(笑)。結局、辞めずに続け、その後燃料電池部に異動しました。車好きでしたので仕事はとても面白かったのですが、何しろ忙しくて・・・、25歳で結婚、26歳で出産した時、勤務と子育てを両立できる自信がまったくありませんでした。育児のための制度などは非常に恵まれた環境でしたが、元来あまり器用でなく、仕事をきっちりこなした上で子供にもきちんと向き合って育てていくということが、自分の能力を超えていると思いました。それで「何かしら手に職を得たい」と、知人の薦めにしたがって弁理士試験の勉強を始めました。しばらく勉強しながら育児と一度目の職場復帰をしたのですが、1次試験と2次試験の選択科目は合格したものの、2次試験本体に合格できずにあきらめました。弁理士試験の勉強がなくなって暇になったのでつぶしのきく英語でもやろうかなと、通勤時間に単語帳を眺め、今の実力を確認するためTOEICを受けたところ、815点とまあまあで。さあ、これからどうしようかな?と思っていた頃、これは2人目の育休中だったのですが、知人にちょっとした翻訳を頼まれて、自己流で翻訳している時に、ふと「私は翻訳ができるかもしれないな」と、なんの脈絡もなく思ったんです。29歳だったこの時に突然ひらめいて、翻訳をやろうと思いました。

高橋 :「翻訳か通訳で生きていく」と上司に言ったこともあるということは、「翻訳ができるかも」ということが意識下にはあったのでしょうか。

坂本 :今思えばですが、あったのだと思います。このぼんやりとした思いに、TOEICの結果が予想よりも良かったこと、そして翻訳を頼まれてやってみたら「これなら出来るな」と感じた経験が重なって、「翻訳をやろう」というひらめきに至ったのかもしれません。また、今はどうかわかりませんが、当時、京都大学の英語の入試試験は、長文の英訳と和訳が1題ずつ出るだけでした。私はこれがすごく得意で、苦労せず良い点が取れたことも思い出されまして、翻訳なら自分の強みを活かせると思ったんです。私は昔から苦手な分野・科目を人並みにすることに力を注ぐタイプで、水泳が苦手だから水泳部に入ろうとか、自分にとってきついことを頑張りたがるところがありました。それが、2人目の育休中に上座仏教についての本を読み、その中で著者のアルボムッレ・スマナサーラさんが「自分が得意なことは、たいした苦労もなく出来るから、たいしたことではないように思える。そのため、人間はつい、自分ができないこと・苦手なことに力を注ぎがちだけれど、何の苦労もなくできることこそにその人の能力があるわけだから、そこを伸ばすべきだ」という趣旨のことを仰っていて、「そうか、自分の得意なところを伸ばしたらいいんだ」と目から鱗が落ちた経験がありました。この言葉にも大きく背中を押されましたね、それからは突如として翻訳しか頭にない状態になりました(笑)。すぐにインターネットで翻訳会社の人材募集を検索し、経験不問の会社の試験を片っ端から受け、2社目の採用試験で合格しました。ラグジュアリー部門を強みとしているローカリゼーション会社でした。合格した直後、短いニュースを訳して納品したのですが、その納品物が「非常に適切な翻訳だ」という評価とともに、あるブランドのウェブサイトにそのまま掲載されたんです。これには驚きました。ぶっつけでやってみた翻訳が通用したので、「私は翻訳で食べていける」と確信に近いものを持ってしまったんですね(笑)。その後、沢山受けた中の数社から合格もいただけて、実務だけでなく「禅的ランニング」という書籍の翻訳にも携わることが出来ました。

高橋 :そしてNEDOを退職して、フリーランスの翻訳家になったんですね。

坂本 :いいえ、すぐに退職したわけではありません。NEDOに復職することはお約束していましたので、翻訳をやると決めた上でNEDOで1年と少しの間お世話になって、もちろんこの間一切翻訳には携わらず、その後退職してフリーランス翻訳者になりました。何もコネなどはなかったので、以前採用してくださった会社に「フリーランスで翻訳をやることになりました」とお伝えして、お仕事をいただくようになりました。

高橋 :ラグジュアリー系は、理系とはかけ離れた分野だと思うのですが、ためらいはなかったのですか?

坂本 :中学の頃から、オートクチュールやプレタ・ポルテのショーをみるのが好きで、「ファッション通信」を毎週欠かさずみていました。でも、それはあくまで夢の世界であって、ファッション業界を志したこともなかったのですが、何のご縁か、最初に合格をいただいたこのお取引先が世界最大手のラグジュアリーグループを顧客に持っていたため、高級ブランドのお仕事から翻訳業に入らせていただきました。趣味の延長という言葉がぴったりで、とても楽しいです。でも、担当したブランドの商品が欲しくなるのが難点ですね(笑)

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