【アメリア】Flavor of the Month 46 田中健彦さん
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Flavor of the Month
<第46回>  全6ページ


海外初体験は大学時代にドイツへ工場実習

坂田:大学は何学部に進まれたのですか?

田中:工学部に進みました。大学進学となると、将来の進路を考えますよね。新聞記者になりたいという夢も消えてはいなかったのですが、新聞社に入るのは狭き門だし、その厳しい世界で英語を武器に競っていく自信がありませんでした。それよりも、まず大学4年間で、話をするスキルより、話すべき内容を身につけようと考えたんです。つまり、英語以外の専門分野を持とうと。それなら時代の最先端であるコンピュータを学びたいと思い工学部に進むことにしました。

坂田:では、4年間は英語からはかなり遠のいていた?

田中:いいえ、そんなことはありません。海外に対するあこがれというか、興味は持ち続けていましたから。大学3年のときに、ドイツへの2カ月の交換実習生という制度があり、それに参加しました。日本の大学生がドイツの工場に実習に行くんです。通常は現地集合で、ドイツまでは各自で行かなければならないのですが、その年は百人以上の希望者が集まったので、飛行機のチャーター便が出ることになりました。ただ、その費用が当時のお金で20万円。今なら200万円というところでしょうか。この時に、通訳ガイドのアルバイトで貯めたお金が役に立ったのです。もっとも、それだけで足りずに、親戚から餞別をもらったり、スポンサー探しをしたりしましたが。

坂田:スポンサー探しというと?

田中:ドイツの時計工場に実習に行くことになっていたので、日本の時計会社に出向いて実習をさせてもらい、帰国後にレポートを書くことを条件に費用を出してもらえないかとお願いしたんです。結局、会社として出してもらうことは無理でしたが、工場長さんが個人的にポケットマネーから貸してくれました。もちろん、帰国後にお土産とレポートと一緒に返しに行きました。

坂田:ドイツでの成果はいかがでしたか?

田中:たった2カ月ですが、何年分かに匹敵する貴重な経験をしました。世界中の学生がドイツに集まって来て工場実習をするんです。学生同士の深い交流がありました。

坂田:意思の疎通は英語ですか? ドイツ語ですか?

田中:各国から来た学生と話すときは英語が役に立ちました。ただ私が行った工場は地方都市の機械工場で、英語を話せる人がいなかったので、仕事の上では毎日ドイツ語だらけ。ドイツ語でやっていくしかありませんでした。日本で少し勉強して行ったのですが、文法は英語と非常に似ていますし、単語やイディオムも共通しているものがたくさんあって、こりゃ楽だわいと思いましたね(笑)。

坂田:では、2カ月でかなり上達しましたか?

田中:そうですね、少しは通じるようになりました。

坂田:学生時代に留学も経験し、次はいよいよ社会人ですね。

田中:はい。卒業後は通信機会社に就職しました。1968年のことですから、通信機会社が片隅でコンピュータの開発を細々と行っているという状況だったんです。入社試験の面接の時に「海外で働きたい」と言ったら、面接官はあっけにとられていましたね。当時、その会社は海外に拠点なんてなかったんですよ。

坂田:それはびっくりするでしょうね。

田中:私は、技術を磨いてさえいれば、いずれは英語力や文章力が生きることがあるだろうと考えていました。同僚らは開発者としてはみなそれほど差はありませんから、いずれリーダーになる人間を選ぶときには、プラスαとして英語力や文章力が生きてくるに違いないと信じて、20年間はひたすらコンピュータの開発に没頭しました。英語にも小説にも海外にも縁はありませんでしたが、開発の仕事はおもしろかったので不満はありませんでしたし、順調に出世もしていきました。
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