【アメリア】Flavor of the Month 50 トゥレ シェーク ウマールさん
読み物
Flavor of the Month
<第49回>  全4ページ


第49回
遠回りをして、挫折も味わって ようやくたどりついた翻訳の道   安本智子さん
Yasumoto Satoko


母の介護をきっかけに翻訳の勉強をはじめた12年前

坂田:今回のゲストは、スペシャルトライアルに合格して翻訳した訳書『女には優しいまなざし、男には優しい言葉を』が2007年7月に発売になったばかりの安本智子さんです。翻訳の勉強をはじめてから訳書を出されるまで12年の間には、さまざまなことがあったようですね。そのあたりのお話をお聞かせください。よろしくお願いします。

安本
:こちらこそ、よろしくお願いします。

坂田:安本さんが翻訳をしようと思ったのは、今から12年前だということですが。

安本:はい。1995年、25歳のときです。

坂田:何かきっかけがあったのですか?

安本:その頃私は京都の会社に勤めていて、ひとり暮らしをしていたのですが、三重県にある実家の母が末期癌で倒れて、その看病をするために会社を辞めて故郷に帰ることになったんです。

坂田:それは大変でしたね。

安本:故郷に帰り、母の介護や家事で一日中家にいる生活になったのですが、ちょうどいい時期だからもう一度英語をやり直そう、と思ったわけです。それまで勤めていた会社は語学関係だったのですが、当時の私の英語は本当に中途半端でした。大学時代に交換留学で1年アメリカにいたこともあり、それなりにしゃべれはしましたが、全然ダメだなあと思うことが多かった。読むこと、書くこと、しゃべることすべてにおいて。そこで、介護の合間に英語の勉強をしようと思ったんです。

坂田:とても前向きなお考えですね。

安本:前向きというか、まあいろいろと苦しい時期だったので、一種の逃避でもありましたが。

坂田:具体的にはどのような勉強をしたのですか?

安本:母の介護中にフェロー・アカデミーの「Step 24」などの翻訳関係の通信講座をいくつか受講しました。寝ている母の隣の部屋で、呼ばれたらすぐにわかるようにふすまを開けてやっていました。アメリアに入会したのもこの頃です。

坂田:介護の合間となると、勉強するのもなかなか大変だったのでは?

安本:そうですね。あくまで介護優先だったので、やれるときにぼちぼち、という感じでした。介護はいつか終わるけども、その後のことを考えるとすごく不安だったので、何か自分のためにやらないと、という気持ちで頑張っていました。

坂田:大変だったけれども、自分のための勉強も怠っていないという充実感というか安心感があったわけですね。

安本:はい、そうですね。結局、母は8カ月後に亡くなりました。それで社会復帰と通常でしたらなるのでしょうが、しばらくして私にも良性ですが腫瘍が見つかり、その後の2年間は入院・手術を何回も繰り返すことになってしまったのです。

坂田:介護の次はご自身の病気。大変なことが続きましたね。

安本:はい。再就職もできず、かといって嫁に行く気もなく、月日が過ぎ行くばかり。だんだん追いつめられた感じになってきまして、あの頃は、「このままじゃダメだ。なんとかしないと」と焦っていましたね。

坂田:ご自身の病気となると、勉強を続けるのもままならなかったのでは?

安本:私の場合、腫瘍が見つかったのは顎の骨で、手術といっても体にメスを入れるわけではなかったので、体力的にはそれほど支障ありませんでした。1回の入院期間が1カ月で、それを1年半で3回繰り返したのですが、正直な話、入院中は家事から解放されて、すごく勉強がはかどりました(笑)。一日中ずーっとベッドで原書を読んだり英語のテープを聞いていられたので、悪くなかったです。入院していない期間は、片道2時間かけて大阪や京都まで通って勉強を続けました。

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