【アメリア】Flavor of the Month 67 宮田攝子さん
読み物
Flavor of the Month
<第67回>  全4ページ


「どこに住んでもできる仕事、それが翻訳」を実感

坂田:出版翻訳の仕事は、やはり最初はリーディングからですか?

宮田:そうですね。実績があまりないうちは最初からいきなり翻訳を依頼されるということはなく、やはりリーディングを1年くらいやった後、努力を認められて翻訳を依頼されることが多いですね。

坂田:フリーランスだと、スケジュール管理が大変ではありませんか?

宮田:それが、神様がスケジュールを組んでくれているみたいに、なんとかうまくいっています。今日納品して、これで仕事がなくなるなと思ったら、よそからリーディングの話が来たり、それが終わっていよいよ無職だなと思ったら次の翻訳の話が来たり。まあ自転車操業なんですが、不思議なくらい仕事が続いてくれました。2つ3つ仕事が重なることもあり、神様も甘くはないみたいですが……。会社員の頃から朝から晩まで忙しいのは慣れていて、一杯一杯仕事を抱えていても、それを苦労とは思わない性格なので、それはフリーランスとしてはプラスかもしれませんね。

坂田:忙しすぎてストレスがたまることはありませんか?

宮田:翻訳をやっていること自体がストレス発散になるようなところがあって。1冊の本を2カ月くらいで訳すと、そのテーマにじっくり取り組むので、新しい知識が増えて楽しいし、次の仕事はまったく別のテーマですから、切り替えてそれに取り組むとまた新しい知識が増えて。翻訳仲間とたまに飲みに行ったり、メールでやりとりして、気分転換をはかることもよくありますね。

坂田:2001年から翻訳の仕事を始められたわけですが、勉強のほうはその後も続けたそうですね。

宮田:はい、そうですね。仕事で、最初は実用書の翻訳が多かったのですが、いつかは読み物系もやりたいなと思ったときに、自分の中にフィクションを訳すための表現力が足りないと思って。2002年から6年間くらい飛田野裕子先生のエンタテイメントの講座を受講しました。実はその間に結婚して、関西に引っ越したんです。それからも2年間ほど新幹線で通学していたのですが、欠席しなければならないことも多くなり、2008年にとりあえず東京まで通うことは断念しました。大阪で関西アメリア勉強会があるということは知っていたのですが、ちょうどその新規メンバー募集を見つけて、2009年からは田村義進先生が教えてらっしゃる関西アメリア勉強会に参加させていただくことになりました。ただ、すぐに妊娠していることがわかり、お休みすることになるのですが。

坂田:順調に仕事を受注しながら、勉強を続けた理由は何ですか?

宮田:ひとつには情報交換ができる場が欲しかったということがあります。仕事をしながら学び続けているクラスメートも多かったですし、業界の情報を仕入れたいという気持ちも大きかったです。それから、いつまでも初心を忘れないためですね。ゼミになるとメンバーもある程度固定してきて、良くも悪くも慣れてきます。課題を適当にやっていったり、勉強に行っているのか飲み会に行っているのかわからなくなることもあります。でも時々入ってくる新人さんは本当に一生懸命なんですよね。その姿を見ると、自分もそんな時期があったと初心に戻れるんです。

坂田:結婚後、関西に引っ越したとのことですが、仕事の上での不安はありませんでしたか?

宮田:最初はものすごく不安でした。結婚したら関西に住むことになるとわかっていたので、仕事が軌道に乗るまで東京でもう少し頑張りたいという思いもあり、なかなか結婚に踏み切れませんでした。でも、2005年に主人が地元の姫路市で建築士として独立することになり、ようやくゴールインしました。とはいえ結婚後も、翻訳の勉強やなんやでちょくちょく東京に行って実家に泊まっていました。出版翻訳は東京にいないとダメだと思っていたんですよね。東京から離れると仕事が来なくなる気がして……。でも、ふたを開けてみたら、住むところはまったく関係ありませんでした。エージェントの方にも「今の時代、どこに住んでてもいっしょだよ」と言われましたし。考えてみれば、東京にいた頃も、出版社に出向くことって少なかったんですよね。メールや宅急便のやりとりが主で。かえって関西に来てからのほうが仕事が増えました。翻訳ではありませんが、関西でのライターの仕事を紹介していただけるようになったんです。不便があるとしたら、図書館が東京ほど充実していないところでしょうか。でも、最近は調べものをインターネットですることも多いですし、そんなに困るほどではありません。のどかな場所なのでのんびり静かに仕事ができるし、気分転換に散歩もできるし、魚や野菜が新鮮でおいしいし、なかなかいいですよ。

坂田:では、その後も仕事は順調に進みましたか?

宮田:そうですね。ありがたいことに、仕事が途切れたことはありませんでしたが、それでも自分の中ではいろいろと悩みもありました。最初にお仕事をいただいたのが実用書の翻訳だったので、その後もしばらく実用書の仕事が続きました。もちろんそれはそれでいろいろな知識を得られて、やりがいも感じていたのですが、他の分野の本も訳してみたいという欲も出てきます。でも、そんなに次々といろいろな仕事がくるわけではありません。このままでいいのか、自分の翻訳力は少しも伸びていないんじゃないか、と悶々としていました。ノンフィクション系の本やロマンス小説の翻訳を何点か手がけた後でも、自分の翻訳力はまだまだだ、どうしよう、どうしようと悩んでいる時期がありました。

そんなときにお話をいただいたのが、マドンナの本の翻訳でした。音楽はあまり得意な分野ではなかった上に、400ページもの分厚いものを3カ月半で訳してほしいというお話でしたが、そのとき他の仕事を抱えていたので、実質納期は2カ月ほどしかありませんでした。しかもその内容がかなりマニアック。筋金入りのマドンナファンである音楽ライターが書いたマドンナのバイオグラフィで、マドンナが発売した全曲について、さらにコンサートのほぼ全シーンについて詳細に解説されているんです。加えて彼女に影響を与えた宗教や時代背景、社会運動とのかかわり、同時代の他のアーティストの活動なんかも豊富に盛り込まれていて、調べものがそれこそ多岐に渡りそうでした。これは困ったなと思いましたが、断るわけにはいきません。

坂田:それで、どのような対策を取ったのですか?

宮田:まずマドンナのCDと関連本を買いあさりました。本は絶版になっているものもあり、ヤフーオークションで探したりもしました。例えば、舞台の装飾がどうだとか、衣装はこうだったとか、とにかく描写が細かいんです。コアなファン向けに書かれた本なので、間違いは許されません。コンサートのシーンはYouTubeでかなり見つけることができたので助かりました。日本在住のカナダ人ミュージシャンの知人にもいろいろ教えてもらったり。毎日10ページの翻訳をノルマにしていましたが、調べものだけで毎日5時間ほどかかり、食事は1日2食で済ませ、寝る間も惜しんで翻訳しました。それこそ頭から湯気が出そうなほど、しゃかりきだったというか、殺気立っていたというか……。家事もずいぶん手抜きをして、主人には申し訳なかったですね。そんなこんなで、納品したときには5kgも痩せていました。

坂田:大変な努力をして仕上げたのですね。

宮田:はい。それだけ苦労をして訳した本が、朝日新聞と読売新聞の書評に大きく取り上げられたときは、苦労が報われて本当にうれしかったです。この仕事をやり遂げて、苦手な分野でもやればできるんだという大きな自信につながりました。自分の中でのブレークスルーでしたね。その後、編集者の方から、大変だったでしょうとご褒美がわりにページ数が少なく、私の大好きな動物が出てくる本の翻訳の仕事をいただきました。かわいいペンギンたちの写真が満載のギフト本で、水族館のペンギンプールの前に腰かけて、優雅に訳を練りました。髪の毛を振り乱していた前作とは大違いです。

坂田 :これが『マドンナ 永遠の偶像』と『ペンギンが教えてくれる幸せのヒント』(いずれも二見書房)ですね。

宮田:そうです。その後は、何となく肩の力が抜けました。仕事は、来るときは来るし、来ないときもある。どんな仕事でも頑張ればできるし、成果は必ず得られると。身構えることなく、自然体で仕事ができるようになりました。その後、アメリアから紹介していただいた仕事で、『動物の「跡」図鑑』(文溪堂)という動物の足跡、食べたあと、糞などから生態を紹介する子ども向けの本を翻訳して、そのとき30代後半だったのですが、自分に子どもがいたらこの本をプレゼントできるのにな、とふと思って。それまで子どもについてはあまり考えたことがなく、仕事優先だったのですが、年齢も年齢だし、そろそろ欲しいなと思い始めて。それから間もなくして妊娠したんです。

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