【アメリア】Flavor of the Month 90 平岡 孝さん
読み物
Flavor of the Month
<第90回>  全5ページ


英語が得意だった中学時代、それでも大学から電子工学の道に進むことに

室田 :平岡さんは、学生の頃から英語が得意だったのですか。

平岡 :はい。中学校の頃から英語は好きでしたし得意科目でした。ただ、中学一年の時、一度英語で挫折を味わっているんです。

室田 :それはどんな挫折だったのでしょうか?

平岡 :英語のスピーチコンテストというのがあって、まあ、中学生なので自分で書いた英語ではなく、与えられた課題文を丸暗記して全校生徒の前で発表するというものだったんですが、一生懸命に暗記して覚えたはずの英文が、みんなの前に出た途端たった一言も思い出せなくなってしまったんです。頭の中が真っ白になってしまって。

室田 :うーん。そういうこと、大人でもよくありますがショックですよね。そこで英語のコンプレックスにはならなかったんですね。

平岡 :そうですね、そういうことにはなりませんでした。それから、大学に進むときにこんなことがありました。わたしは中学、高校と、どちらかというと英語や国語、世界史といった文系の科目の方が得意でした。それと、人に何かを教えるという仕事に関心があったので、親に「文系に進んで教師になりたい」と言ったのですが、父親から「これからは電子工学の時代だから工学部へ行った方がいい」と言われまして。当時は親には頭が上がらなかったのと、父親が言うのももっともだという思いもあって、結局工学部電子工学科に進学しました。

室田 :その後のIT産業の発展を考えると、お父様のおっしゃったことは正しかったですね。

平岡 :そうですね。大学卒業後、大手電機メーカーに就職し、充実した会社生活を送れましたから。

室田 :お勤めされていた会社では、英語や翻訳に関わるお仕事もなさっていたのでしょうか。

平岡 :最初は違いました。入社後に配属されたのはコンピューターを設計する部署で、産業用コンピューターのCPUの設計に携わっていました。もちろん、仕事上の必要にかられて英語の文献を読むことはありましたが、当時は英語に触れるのはそれくらいでした。

室田 :大学時代の専攻を生かした仕事をなさっていたんですね。

平岡 :ええ。ただ、34歳の頃に転機が訪れました。その頃、勤めていた会社が英語に力を入れはじめまして、その一環として「国際企業人制度」というのが作られたんです。当時の上長からその制度に推薦を受け、サンフランシスコでの3か月間の語学留学に行かせてもらいました。

室田 :それは素晴らしい機会でしたね。会社から、将来を嘱望されていたからこそだと思います。そのおかげで、ふたたび英語を使う機会を得たわけですね。

平岡 :はい。留学後もしばらくは英語と無縁の仕事だったのですが、数年後に会社が米国のベンチャー企業や大手コンピュータメーカーと提携してコンピューターや周辺装置の開発を行うようになりまして、そうした開発プロジェクトに次々と参加するようになったんです。そうなると仕事で英語が必要なので必死で勉強することになりました。

室田 :確かに、そうなると英語での正確なコミュニケーションが不可欠ですよね。

前へ トップへ 次へ