アメリア会員インタビュー

渡辺 直郎さん

渡辺 直郎さん

会社員時代の経験を活かす翻訳分野に

プロフィール

大学卒業後、都市銀行在籍中に米国ビジネススクールに派遣留学しMBAを取得。主に市場・国際業務を担当し米国駐在は通算12年。銀行から出向したゼネコンでは、契約管理を含め海外部門にて総務を担当。2016年からフェロー・アカデミーの通信教育で契約書翻訳を学び、2017年末に定年を前に退職、半年間の準備期間を経てフリーランス翻訳者として独立。契約書を中心に、定款、訴訟関連資料などの法務文書、社内規定、研修資料、ビジネスレターなどのビジネス文書全般について日英・英日翻訳を行う。

契約書を中心とした実務翻訳

加賀山 :本日は実務翻訳でご活躍の渡辺直郎(わたなべ ただお)さんにおいでいただきました。さっそくお仕事の内容からうかがいたいのですが、いま多いのはどういう分野ですか?

渡辺 :多いのは契約書ですね。おもに1社から、定款、契約書やその付属文書などの仕事を継続的にいただいています。英日が9割、日英が1割ぐらいです。

加賀山 :その1社というのは翻訳会社ですか?

渡辺 :そうです。トライアルを受けて、最初の2つは落ちたのですが、あとの6つは合格しまして、そのうち仕事に結びついたのが3つ、いま続けて依頼していただいているのが1つです。

加賀山 :訳すのはどういう種類の契約書ですか?

渡辺 :けっこうまちまちです。売買契約、販売代理店契約が多いかな。翻訳会社のクライアントが日本企業で、海外のいろいろな企業と契約を結ぶパターンです。

加賀山 :そのたびに契約書の翻訳が必要になるのですね。アメリアで公開されているプロフィールには、「英語文書の社内向け翻訳」もあります。

渡辺 :それは社内資料の翻訳です。おそらく日本人以外の社員もたくさんいるようなグローバルな会社で、コンプライアンス研修に使うパワーポイントの資料を日本人向けに和訳したものです。

加賀山 :それから、「海外赴任者用アサインメントレターの和訳」も。

渡辺 :「アサインメントレター」というのは、日本社員が海外に赴任するときの覚書のようなものです。給与、福利厚生、任期、あとはそれぞれの地域の特別なアレンジ、たとえば、イギリスであればカンパニー・カーの支給があったりしますが、そういう条件がすべて書かれていて、赴任者本人と関係者がサインします。
 私は銀行に勤めていたのですが、そこで海外拠点の業務監査の仕事をしていたときに、その種の書類はよく見ていましたので、なじみがありました。監査では実査のまえに準備として大量の資料を読みこむのですが、そのときの経験が役に立ったのは、このアサインメントレター以外にも、会議の議事録の英訳、社内マニュアルの英訳など、数多くあります。

加賀山 :「外部委託契約書の英訳」もあります。

渡辺 :それは総合商社が主導した海外プロジェクトの入札のための契約書でした。結局、落札はできなかったようですが、落札していたら次の仕事につながったかもしれません。
 その英訳は、大学のゼミの後輩から紹介された仕事でした。また、ゼミの元担当教官からも、大学院での教材の英訳の仕事を紹介してもらいました。フリーになってまもない頃でしたから、ご祝儀みたいなものだったのかもしれません(笑)。

加賀山 :あと「日本の法令等の英訳」もされています。

渡辺 :いつも仕事をいただいている会社とは別の翻訳会社からの依頼でした。日本の法律には、英語に訳されていないものがたくさんあるので、いま政策上、官公庁からの翻訳依頼がけっこう増えているのだと思います。
 英訳された法律は、「日本法令外国語訳データベースシステム」という法令データベースにきちんと整備されています。それを参照すると、翻訳がきちんと1対1対応しているのがわかります。きっちりした官公庁ならではの仕事ですね。法令を訳すのは、この文言にはこの訳、というふうに、パズルを当てはめていくような感覚です。

加賀山 :いろいろ手がけられていますが、これまでの仕事でとくに印象に残っているものはありますか?

渡辺 :海外の裁判関連文書や訴状などは、ゼネコン時代も読むことが多かったのですが、国が変わってもやることは同じだな(笑)ということでよく憶えています。国が違っても言い方は似たようなものですし。
 ゼネコン時代といえば、よくある「以前の勤務先から仕事をもらう」パターンは自分にも当てはまりました。辞めて1年以上経っていましたが、今年の3月、4月と続けて仕事をいただきました。円満退社できたことが結果としてその後の仕事にもつながっているように思います。

加賀山 :そうしたつながりはありがたいですね。

渡辺 :最近の仕事で興味深かったのは、ハイテク分野の仕事です。インターネットに常時つながっている車、「コネクテッドカー」を含む企業紹介文の和訳でした。最初は中身がぜんぜんわからなかったのですが、調べていくと、なるほどこういう分野なのかということがわかってきて。時間の制約はありますが、調べ物はいろいろ発見があっておもしろいですね。
 契約書でも、前文で契約内容の説明書きがされていることが多いのですが、そこで少し掘り下げてその分野を調べてから取り組むと、その後の一般条項でも意味するところの理解が深まり訳文にも反映できますし、誤訳の防止にもなると思います。

銀行員からゼネコン、翻訳のフリーランスへ

加賀山 :銀行にお勤めだったということですが、フリーランスになるまでの経緯を簡単にうかがえますか?

渡辺 :メガバンクに2014年6月まで勤めたあと、つき合いが深かった海洋土木を得意とする中堅ゼネコン、いわゆる「マリコン」に出向・転籍して、約3年半働きました。海外部門の総務部で、契約書のチェックをしたり、国際裁判の訴状や手続きを訳したりしました。
 銀行時代に、留学、トレイニー、シカゴの子会社への出向と、通算12年間アメリカで暮らしたのですが、そこでは基本的に英語を英語のまま使っていたので、あまり日本語に置き換えるという翻訳的なことはしませんでした。翻訳がからむ仕事をしたのは、銀行での最後の仕事となった監査部門と、ゼネコンの総務部にいたときです。

加賀山 :そのあとフリーに?

渡辺 :その頃には、銀行からの退職金は既に受取り済みで、企業年金、国民年金など、その後のキャッシュフローも概ね予測がつくようになっていました。将来の収支をシミュレーションして、転職した場合、翻訳からの収入が、いつから、どの程度なら問題ないかを検討して退職しました。

加賀山 :きちんと計画を立てられた。

渡辺 :フリーで開業したのは2018年の6月ですが、半年前の2017年12月に会社を辞めて、それまで2つの通信コースで学んできたフェロー・アカデミーで、プロになるための最終的な仕上げとして「契約書・ビジネス法務」のマスターコースで半年間、勉強をしました。並行してその半年で、開業準備をしたり、ハローワークに行って失業給付の手続きをしたり……(笑)。

加賀山 : もらえるものはもらっとかないと(笑)。「開業」といっても、翻訳の場合、どこから始まったというのはあいまいなのでは?

渡辺 :税務署に個人事業主の開業届というのを出すんですね。それが区切りになります。ちょうど、大学時代のゼミの後輩から紹介された仕事が開業後の初実績となり、おかげでハローワークから再就職手当がもらえました。ありがたかったですね。
 トライアルに合格したあとの初めての仕事は2018年9月ごろ、定期的に仕事が来るようになったのは12月ごろです。

加賀山 :トライアルはアメリアのサイト経由ですか?

渡辺 :そうです。有料会員サイトなので安心感がありました。翻訳関連のムック本などを読むと、トライアルに合格してもすぐに仕事は来ないよということだったので、空白の時期ができる覚悟はしていました。

加賀山 :仕事の開拓は、いまのところトライアルだけですか?

渡辺 :そうですね。ムックなどには、フリーランスの営業のしかたとか、新しいトライアルを受けたり、トライアル合格後に音沙汰がないところに連絡したりといったノウハウが書いてありますが、幸い1社から継続的に仕事が来るようになっていて、将来それが途切れそうなら次のことを考えようと思っています。一応シミュレーションはしたものの、家内との共働きなので、収入面で助かっています。

契約書を専門に選んだ理由

加賀山 :そもそも、どういうきっかけで翻訳をめざすことになったのですか?

渡辺 :50歳になったあたりから「60代を通してできる仕事」を漠然と探しはじめてはいました。銀行では一定年齢までに転籍しないと退職金が減りますし、60歳で更に給与は下がり、加えて会社員生活は最長でもせいぜい65歳までですから、それ以降の収入の道はないかと考えていました。
 ゼネコンに入社して2年くらい経ったとき、フィリピンの子会社に、日本語がかなりできるフィリピン人の女性たちがいたんですね。彼女たちが日本語の社内マニュアルを英訳していて、私がそのチェック、いわばチェッカーのような仕事をまかされました。溜まってしまったので、それを夏休みにまとめてやったところ、何時間やっても苦にならなかったんです。

加賀山 :むしろ楽しかった?

渡辺 :そう、ぜんぜん仕事をしている感じがしないくらいでした。それまでは銀行出身者として考えがちなコンサルティングとか、大学の非常勤講師といった道を考えてもみましたが、翻訳という道がダントツで有力候補になりました。
 ただそのときには、翻訳というと「出版翻訳」や字幕の「映像翻訳」のイメージしかなく、「産業翻訳」とか「実務翻訳」という分野があることすら知りませんでした。さっそく本やネットで情報収集すると、翻訳全体のなかでも実務翻訳がかなりの部分を占めていることがわかり、「医療」や「特許」などと同じように、「契約書」というジャンルがあるということもわかりました。

加賀山 :そこで契約を専門に選ばれたのですね。経歴上、「金融」翻訳に進みそうな気もいたしますが。

渡辺 :会計資料とか、IR(株主・投資家向けに会社の経営方針や実績などを説明する広報活動)の会議資料などにも接していましたが、あまり楽しそうじゃなかったんですね。また、金融はどんどん進化しているので、最先端にはついていけないだろうなとも感じましたし、翻訳の納期も短いということを聞いていたので、ゼネコンでもたずさわった契約書の翻訳がよさそうだと思いました。とはいえ、実際は、契約書の翻訳の納期も短かったのですが(笑)。

加賀山 :どのくらいですか?

渡辺 :今日来て明日中とか、あさってまでということもあります。長くて1週間ほどでしょうか。短距離走をくり返している感じで、いまは全力でやってちょうどいいですね。分量も1回に4〜5枚から40〜50枚まで、いろいろです。

加賀山 :契約に関する知識や経験は、おもにゼネコン時代に蓄えたのですか?

渡辺 :そうですね。会社が所属する業界団体が法律事務所に依頼して、契約や紛争解決に関するセミナーが定期的に開かれていました。また、会社では研修への参加も奨励されていて、勤務時間中でも社外の英文契約に関するセミナーに参加させてもらえたのはスキルアップのために大変役立ちました。

加賀山 :建設は規模の大きなプロジェクトですから、もめごとも多そうです。

渡辺 :1日当たりの違約金も桁が違います。そういうわけで、法律の専門家ではないのですが、契約や仲裁などについてはけっこうノウハウが身についたと思います。いま契約書を訳すときにも、これは「甲」に有利な内容だな、といったことが透けて見えたりして、昔の経験が役立っていると感じます。

加賀山 :プロフィールに、FIDICを用いた契約書の翻訳と書かれていますが、これは?

渡辺 :FIDICという国際コンサルティング・エンジニア連盟が作っている、ODAなどの海外の建設・インフラプロジェクトの工事請負契約でよく用いられる標準的な条件書です。工事の種類によって、ピンク・バージョンとか、イエロー・バージョンといった契約の雛形があるのです。契約書の8割方はこの雛形にもとづいていて、残りがそれぞれの工事の固有の条件です。公共工事で一から契約書を作ることはほとんどありません。

加賀山 :なるほど、そういうことですか。でも、あまり雛形どおりだと、今後AI(人工知能)に仕事を奪われそうな気も……。

渡辺 :たしかに契約書は定型の表現が多い。たとえば、considerationは一般的には「考慮」ですが、契約書で“in consideration of”と出てきたら、大抵の場合「〜を約因として」と訳さなければいけない、とか。そういう面で、産業翻訳のなかでもAIがかなり入りやすい分野かもしれませんが、現状はまだまだかなと思います。このまえ契約書の自動翻訳を見たところ、不備がたくさんありました。
 日本語の文章力という意味では、30歳をすぎた頃、お客様向けに毎月出すニューズレターの編集主幹をやっていたことがありました。A4で1枚の文章ですが、そのとき上司に日本語を細かく添削してもらいました。「自分の書いた日本語の文章を人に添削してもらう」という経験も、いま役に立っています。

日々勉強に励む

加賀山 :仕事上のスキルアップというか、日々心がけているようなことはありますか?

渡辺 :翻訳、特に実務翻訳そのものに関する本の数は限られますが、その周辺も含めてよく読みますね。独立してから半年間は開店休業みたいなものでしたから、たとえば、中原道喜さんの誤訳三部作(『誤訳の構造』、『誤訳の典型』、『誤訳の常識』)などを片っ端から読みました。
 最近読んだのは鳥飼玖美子さんの本で、この世界は一生勉強だという思いを新たにしました。翻訳という仕事を個人事業者というフリーランスで続けている限り、会社の定年と違って、「無職」にはなりません。外とのつながりもある。定年で社会とのつながりが急になくなってしまうより、こちらに切り替えてよかったと思っています。通勤も片道1時間半以上かけていましたが、いま思うと、よく通っていたなと。

加賀山 :私もフリーになったときに、通勤や人間関係のストレスはずいぶん減ったと思いました。すみません、最後に、プロフィールの「日本さかな検定2級」というのが気になるのですが(笑)。

渡辺 :銀行で監査をやっていた頃、CIA(公認内部監査人)という資格を取得したのですが、では次に何かということで、ビジネス実務法務検定2級を取り、続いて美術検定2級を取ったのです。これは東洋美術と西洋美術の基本が分かるのでお薦めですよ。老後の趣味としても、美術鑑賞は安くすみます。クラシックのコンサートに行けば何万円ですが、美術館ならどこへ行ってもせいぜい数千円ですから。
 さかな検定はそのあとです。大トロはクロマグロとミナミマグロからしか取れないというような知識が仕入れられておもしろかったですよ。

加賀山 :検定マニアでしたか(笑)。まさに日々勉強ですね。

■きちんと将来のことを考え、手順を踏んで翻訳の道に入られたところが印象に残りました。渡辺さんに比べると、自分はずいぶん衝動的に会社を辞めてしまったなと……。それはそうと、雑談でうかがった、シカゴ交響楽団の定期会員だった話、うらやましすぎます。

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