アメリア会員インタビュー

木阪 正雄さん

第131回

サーフィンに導かれて翻訳の世界へ木阪 正雄さん

Masao Kisaka

湘南ってサーフィンできるの?

加賀山今日は、映像翻訳のトライアルに合格してこれから仕事を始められる木阪正雄(きさか まさお)さんにおいでいただきました。
 プロフィールを拝見すると、すべてがサーフィンから始まっているような気がするのですが、サーフィンの魅力とは何でしょう。

木阪こればかりは実際に体験しないと、理解するのは難しいのですが、サーフィンほど楽しいことってないと思います。
 10代から60代まで、老若男女、サーファーが沖で集まり、お互いに叫び合い、雄叫びをあげ、波に乗る。そこでは様々なドラマが展開しています。たとえばインドネシアの海のラインナップ(サーファーが波を待つ場所)では、オーストラリア、ニュージーランド、ブラジル、ハワイ、フランス、スペインなど、世界各国からサーファーが集まり、いざこざがあったり、お互いのライディングを認め合ったり……。
(参考URL:https://www.youtube.com/watch?v=Sf9ky19Hg10

加賀山沖ではそんなことが起きているのですか。波には一度に大勢乗れるのですか?

木阪 :波には周期があり、5分か10分に一度、大きめの波が4本ぐらい入ってきます。サーファーはその波を待ちます。コンディションにもよりますが、それぞれの波は、真ん中から左右方向に向かって崩れていく。ひとつの方向に1人しか乗れないので、ひとつの波に2人まで、つまり、波4本につき最大8人しか乗れません。そこに、たとえば30人のサーファーが待っている。それをときには譲り合ったり、ときには奪い合ったり、そういう駆け引きもあります。

加賀山 :社会の縮図のような……。

木阪波というのは、風、潮、気圧、地形など、複雑な要素が重なり合い、その日のコンディションを作り上げます。同じ波はやってこないので、一般のスポーツのように反復練習はできません。ひたすらベストなコンディションを待ち、限られた時間の中で自然の恵みである波に感謝しつつ、少しずつ、サーフィンの技術、道具、波、風、潮、など、必要な知識と経験を蓄積していきます。
 サーフィンにおいて、フィジカルな技術の重要性は他の一般スポーツに比べて本当に低いです。大切なのは自然を理解すること。自然に対して心から敬意を払うこと。自然に心から感謝すること。どんなに技術がすぐれていても、海には絶対にかないません。海への注意深い観察こそがいい波に乗るための秘訣です。
 そしてすべてが実を結ぶとき、最高の波に乗ったとき、人は心から自然に感謝します。今、この瞬間に生きていることに感謝します。他のサーファーに感謝します。仕事に感謝します。家族に感謝します。サーフィンは人に生きることへの感謝と喜び、そして謙虚になることを教えてくれます。

加賀山 :私も山歩きが好きなのですが、自然とのかかわり合いなど共通するものがありますね。日本の波はどうですか?

木阪たとえば、「湘南ってサーフィンできるの?」「湘南って波小さくない?」という声をよく聞きます。でも、湘南には、年に数度、または数年に1度、信じられない波が立つときがあります。蓄積した知識を大きく覆し、突如姿を現すコンディション。それが自然の力です。
 西日が海を深いグリーンに染め、沖から連なるうねりはそのグリーンにグラデーションをつける。本州の山地を越えてやってくる北風はサラッと肌触りがよく、ほどよい冷たさは、興奮して火照った体に心地よい。乾燥した空気は空の色の移り変わりと西にそびえる富士をよりくっきりと映し出し、光は大気を貫き、サングラスをかけていないと目に突き刺さるよう。海全体から湧き上がる波の飛沫が霧状にぼんやりと幻想的な雰囲気を作り上げます。そして海の中で眺める最高に美しい波。何度見ても、圧倒させられる巨大な流線型の輪郭。
 その深いグリーンの波に包まれる瞬間。体中から何かが吹きだすんです。アドレナリンの大量分泌でしょうか。その瞬間がたまらないんです。次にいつそんなコンディションに出会えるか分からない。1年後か、10年後か……だからその瞬間への感謝の気持ちが湧いてきます。

加賀山 :自然に包まれ、一体となる瞬間ですね。でも、しょっちゅう行っていないと、波がいつ最高のコンディションになるかわかりませんよね。

木阪気象や海の状態や海底の地形に関する知識を蓄積すると、勘が働くようになります。朝起きたときには、だいたい習慣でその日の風を確かめるんです。サーフィンには生活のすべてがかかわってきます。
 極端な言い方をすれば、世界のサーファーにとって日本は不向きな国かもしれません。波の質、大きさ、頻度、そしてライフスタイルにおいても。
 波に関しては様々な要因がありますが、日本海溝がうねりを吸収してしまい、そのおかげで波が小さいのでは? という話すらあります……ちょっと本当かわかりませんが。確かな理由のひとつは、ダムの建設と護岸工事によって、自然のままの河川が姿を消し、河川から海への砂の流出が抑えられていることです。砂は波の命ですから。大量の雨が降ったあと、海に流れこんだ大量の砂は河口を中心として美しい砂洲を作り、それが魔法の波を作り出すんです。
 でも、神様は私たちを見捨てませんでした。日本列島は台風の通り道です。台風と聞くと、サーファーたちは目の色を変えます。1年に数度しかお目にかかれない絶世の美女が日本の海岸へやって来るんですから。被災されたり、大変な思いをされる方々もいらっしゃるので大はしゃぎしてはいけませんが、サーファーとしてはやはり期待してしまいます。

加賀山 :なるほど。ただ、ふつうの人は台風にスケジュールを合わせられません。

木阪 :そうですね。日本の会社員生活はライフスタイルとして、サーファーに不向きと言わざるをえません。規則正しく働くし、休みも取りにくいし。1週間の休みではハワイ、バリ島がいいところ。でもヨーロッパ、オーストラリア、南米のサーファーは1カ月くらい休みをとってサーフィン旅をする。
 ただ、サーファーは絶対にあきらめませんから、どんなに忙しい時でもサーフィンの時間を確保するためにあらゆる手段を尽くします。だから、仕事の生産性が抜群に高いんです。いかに仕事を効率よく、早く終わらせるか。そんなことを24時間考えているので、サーファーの会社員はスイッチが入ると不可能を可能にする能力を発揮します。サーフィンは仕事においても、人生においても、人間としても私たちを成長させてくれます。

加賀山 :世界的に人気が高いのはどこですか?

木阪インドネシアですね。干満の差も大きく、インド洋から巨大なうねりが来るので。また、世界最大の群島国家であり、ほとんどは小さな島なので、季節によって向きを変える貿易風に対して、島内を移動することで対応できるんです。


2015年スンバワ島、某ライト・ポイントにて 撮影

今、世界の注目を最も集めているのは、ナミビアとか、モザンビークといったアフリカ西海岸です。神がかった波が発見されて、サーファーのラストフロンティアとされています。
(参考URL:https://surfeuropemag.com/videos/aerial-footage-skeleton-bay-jaw-dropping.html#PxtAJBUQSfHxldAB.97)。

 歴史的には、60年代から90年代に白人サーファーが世界中のポイントを開拓しました。仕事を辞めて、船を買って……いわば「大航海時代」です。そうして発見されたポイントのひとつがインドネシアのランスズ・ライト(Lance's Right)で、去年はそこに行ってきました。
 サーファーは基本的に人の多いところを嫌います。波がかぎられているのに人がいっぱいいると、取り合いになりますから。だから、いい場所を見つけても、他人には言わない。

加賀山皆さん秘密主義なんですか。

木阪雑誌にすごいポイントの写真が出ても、どこかということは示しません。人が押し寄せてたいへんなことになるので。ある程度人に知られたポイントと、秘密のポイントがあって、秘密がみんなに広まると、隠してもしかたがないからということでオープンになる。
 たとえば、湘南にも日本一といわれる河口のポイントがありますが、場所の名前は決して書かれない。一度、世界の度肝を抜く波が来て、さすがにそれは世界でも話題になり、あれは日本のどこだと外国の友人たちからしきりに訊かれました。

加賀山おもしろい。そのへんも魅力のように思えます。

木阪そうですね。世界では、そういうことが雑誌やネットの記事になっています。このまえは、バングラデシュでサーフィンの魅力に取り憑かれたムスリムの女の子が、宗教上の理由から、サーフィンすることをよしとしない保守的な住民たちに非難されつつも、サーフィンの素晴らしさを訴え、サーフィンを続けているという記事を読みました。サーフィンには、旧来の文化と闘うカウンターカルチャー・スポーツという面もあるんです。
アメリカではPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療プログラムとしても活用され、アイスランドではADHD(注意欠如多動性障害)を克服したサーファーが国で初めてのプロサーファーになりました。そんな様々な世界のサーフィンにまつわる情報を翻訳できたら……と思います。
 とにかくサーフィンの魅力を語ったら切りがありません。1人で外国に行っても、仲間にはまったく困りませんよ。

加賀山サーファー同士にそういうつながりがあるんですか。

木阪旅先でサーファー同士のつながりは欠かせません。サーフィンする場所は基本的に観光地ではないことが多いので、情報も少なく、皆それぞれ不安を抱えて現地に向かいます。そこでサーファーはお互いに情報を交換します。宿情報、危険情報、波の情報、お楽しみ情報。危険な旅になることもあり、現地で仲間を調達することは皆が考えることです。
 劣悪なフェリーでひと晩かけてジャングルの島に渡り、そこから現地の人が運転するエンジン付きカヌーみたいなもので何時間もかけてジャングルの島のある場所へ向かう。食べ物は? マラリアは? そんな不安を抱え、ガソリン代も割り勘にして、泊まる部屋も他のサーファーとシェアする……。海へ入るにも、必ず地形の情報を交換します。ところどころに鋭利なコーラルリーフの浅瀬があり、そこを知らずに波に巻かれ、叩きつけられれば……ヘリで病院へ空中輸送です。
 そのようにいろいろと危険が伴いますから、どこへ行っても助け合いが重要なんです。そんな生活を数日間ともにするだけで、一般的なつながりの数年分の価値があるように思えます。

映像翻訳への道のり

加賀山昔から翻訳との接点はあったのですか?

木阪祖父が英語の教師であったり、親族の一部がアメリカに移住していましたので、英語との距離は近かったと思います。
 小学校のころからハリウッド映画にはなじんでいて、文集にも「将来の夢は映画評論家」と書きました(笑)。淀川長治さんのトークはよく憶えています。
 高校生になるとバイクに夢中になりましたが、レーサーの生活は、けがも多いし、パーツなどにお金もかかりすぎて自分には無理だと思っていたところで、サーフィンに夢中になったのです。

加賀山それは何歳のころでした?

木阪20歳ぐらいですね。夜働いて、昼間はサーフィンという生活でした。そのあと日本の波では物足りなくなって、インドネシアやオーストラリアに数カ月から半年行くようになり、ニュージーランドには1年いたこともあります。
 外国生活でずっとホームステイですから、インドネシア語もしゃべれるようになり、英語も自然と身につきました。ニュージーランドからもう帰ってこないつもりだったんですが、結婚を機に急に現実的になったというか、シュワシュワーッと縮んだ感じで(笑)、日本に戻ってきました。

加賀山帰国後はどんな生活を?

木阪しばらく不動産会社の営業、そのあとマスメディア関連の営業をしていました。

加賀山そのときサーフィンは休んでいたのですか?

木阪いいえ、続けていました。営業は成績がすべてで、結果さえ出せば時間にあまり縛られないんですね。だから、波がよさそうな日を空けながら働いていました。
 営業の経験は翻訳の仕事にも活きています。営業って、ことばが人に化学反応を起こすんです。ことばひとつでお客さんの態度ががらりと変わる。その経験が今、字幕を作るうえですごく役立っています。

加賀山今も営業は続けているのですか?

木阪いいえ、仕事で毎日、新聞5、6紙に目を通していたのですが、産経新聞系列のビジネスアイという新聞があって、そこにブルームバーグの翻訳記事が載っていました。海外の情報はおもしろいなと思い、そのうちフェイスブックなどを通して、ニューヨーク・タイムズ、ガーディアン、タイム、BBCやアルジャジーラなどの記事を日常的に読むようになりました。
 一度英語をきちんと学びたくなったのですが、働きながらでは何年かかるかわからない。そこで思いきって仕事を辞めることにしました。ライフスタイル的にも、インドネシアに年に数カ月は行ってサーフィンしないと満足できなくなってしまいました。翻訳って、外国でも関係なく働けるじゃないですか。

加賀山まさしくそうですね。

木阪そうやって英語でも勉強するかと勉強を始めて、TOEICはリスニング満点、英検1級もすぐ取れたので、これは翻訳だと勉強を始め、翻訳の奥の深さにハマってしまいました。

加賀山翻訳学校にもかよわれたのですか?

木阪フェローアカデミーの翻訳入門<ステップ18>(通信講座)と、短期集中のベーシック3コースを受講しました。通信講座のまえにも、2カ月ほど別の学校の翻訳入門コースで学んでいます。

加賀山お好きな翻訳の分野はありますか?

木阪初めは実務をやりたいと思って勉強していました。仕事も絶えずあるし、堅実だろうということで。でも、ベーシック3コースで学んでいたときに、フェローの事務局の方と相談したところ、「木阪さんは映像ですよね?」という話になって。あ、そうなのかな……と(笑)。そこからガラッと方向性が変わりました。

加賀山最初から映像翻訳をめざしていたわけではなかったのですね。

木阪海外のドキュメンタリーが大好きなのですが、映像翻訳をしようとはあまり考えていませんでした。というより、映画の字幕とかって、特別な人たちがやる仕事じゃないのかなと。
 ただ、映像の先生方の雰囲気から、自分には映像が合っているのではと感じました。たとえば、田中武人先生のおっしゃることって、サーファーっぽいんです。「この人、サーファーじゃないの?」というくらい(笑)。そこで先生に業界のくわしい話を伺ったところ、あ、これは映像だなと思いました。それぞれの分野にそれぞれの雰囲気とかあると思います。
 今は映像翻訳にのめりこんでいます。やっぱりたくさんの生徒を見ているだけに、事務局の方々の目は凄いと思います。そしてベーシック3というコースを選んで本当に良かったと思います。自分だけでなく、各クラスの先生方、事務局の方々、クラスの生徒、多くの人の意見も聞きながら、自分の方向性を探しつつ、どのジャンルにも通じる基礎的な翻訳能力を伸ばすことができます。

加賀山出版翻訳はどうですか?

木阪出版翻訳はより高い英語力、日本語力が求められる、翻訳の究極的な存在だと思います。海外の書籍は常に読んでいますので、いつか必ず挑戦したいと考えています。
 やるなら絶対にサーフィンに関する本です。世界にはサーフィンに関する書籍がたくさんあります。でもサーフィンの世界ってユニークな世界なので、サーファーにしか訳せないようなことがあるんですね。サーフィンに関する知識もそうですが、サーファーの気持ちを理解していることが役に立つと信じています。今は少しずつ、英語も日本語もレベルを上げる必要があると思います。

最初はプロレスからスタート

加賀山映像翻訳の仕事はすでに手がけられているのですか?

木阪来月(12月)からです。なんとかトライアルに合格しまして。

加賀山トライアルは何度か受けました?

木阪初めてのトライアルでした。そのために遅まきながらSST(字幕制作ソフト)を買ったので、受かってよかったです。
 仕事の内容はプロレスで、スポーツテレビ局で放映するアメリカのWWE(旧WWF)の試合の字幕です。WWEには、ロウとスマックダウンというふたつの番組があります。週に2回、大きなイベントがあって、日本で放送するのはそれぞれのダイジェスト版です。番組全体を細かく分けていろいろな人が訳すのですが、私はその一部を担当します。
 80年代はプロレス、格闘技が大好きで、中学時代に空手もやっていましたし、WWFの選手も知っていました。でも、今見るとアメリカのショーはものすごく進化していて、驚きます。ストーリー構成がかなり凝っているんです。試合中にレフェリーは担ぎ出されるわ、ゼネラルマネジャーが出てきてかわりにレフェリーをするんだけど、特定の選手をひいきにするというので恨みを買って乱闘になり、今度はそのゼネラルマネジャーの父親が出てきて裁判沙汰にするぞとかいったような。あるいは、リングに上がったマネジャーを選手がどこかに連れ去ってボコボコにするとか(笑)。

加賀山いろいろ構成が工夫されている。

木阪日本でのプロレスの人気次第というところはありますが、今回きちんと結果を出せば、この先も続きそうな仕事ですから、がんばりたいと思います。それぞれに個性的な解説者が3人出てきてしゃべりまくり、カットがどんどん変わるので、映画などを訳すときの訓練にもなるし、納期は2、3日と厳しいんですが、むしろ自分を追いつめる経験をして今後に活かせると思うのです。

加賀山生活は成り立ちそうですか?

木阪当面の目標ですね。そうですね、来年中には!

加賀山今後取り組みたい仕事はありますか?

木阪映像ドキュメンタリーを訳したいですね。ドキュメンタリーマニアと言えるほどドキュメンタリーが好きです。個人的に見る映像はサーフィン、ニュース、ドキュメンタリーです。海外の報道に関する雑誌、記事は朝から晩まで365日読んでも飽きないほど大好きなので、そういったニュース関連の翻訳をやりたいです。最終的には、海外のサーフィン雑誌のネット記事、サーフィン映像の翻訳、そしてサーフィン関連の書籍を翻訳するのが夢です。

加賀山あ、それで思い出しましたが、ご自身でサーフィンのサイトも運営していらっしゃいますよね。あれは自分で動画を見つけて、字幕を付けているのですか?

木阪はい。ユーチューブなどと提携しているフリーソフトを運営するNGO団体が、ことばの壁をなくすという目的で、希望者が自由に字幕をつけられるようなソフトを提供しています。

加賀山訳しても報酬は得られない?

木阪もちろん報酬はありません。あくまで個人的なもので。
 ユーチューブ自体も翻訳には積極的で、自動的にハコ切り(映像素材の台詞やナレーションを字幕用に区切っていく作業)をしてくれて、あとは訳を入れるだけになるようなソフトも開発しています。それで訳した字幕の視聴が増えると、ユーチューブ公認になったりします。
 不思議なことかもしれませんが、サーフィンに関する映像の翻訳をやりだすと止まらなくて。だからまったくの情熱だけでやっています。素晴らしい映像が世の中にどんどん生まれているのに、日本には届かない。サーファーとしての使命感でしょうか。サーフィンの翻訳はサーファーの気持ちを誰よりも知り、サーフィンを誰よりも愛する自分にしかできない、そう思うんです。多くのサーファーに影響を与えたい、一緒に感動して欲しい、サーフィンの世界を広げてほしい。それは結果として人々の考えに影響し、人々を幸せにし、よりよい社会へ貢献することができると思います。
 映像は人の人生に大きな影響を与えます。衝撃を受けた、素晴らしい……友人からそんな声を聞ける、人の人生に影響を与えることができる、それ以上の喜びはありません(サイトのアドレス:https://patsuo.wp-x.jp/)。


2015年スンバワ島、某レフト・ポイントにて 撮影

■好きこそものの上手なれではありませんが、好きなことから仕事を開拓していくエネルギーがびんびん伝わってきました。インドネシアやニュージーランドでの暮らし、現代テクノロジーで人工の波がじつはすごいという話など、もっとくわしくうかがいたかったのですが、そればかり聞くわけにもいかず……。夢が叶ってサーフィン関連の翻訳が軌道に(波に?)乗ったときに、じっくり鑑賞させていただきます。