アメリア会員インタビュー

石川 千秋さん

石川 千秋さん

高校時代から憧れていた映像翻訳の世界へ

プロフィール

ソフトウェア開発会社でマニュアル翻訳に従事後、アイルランドに留学。帰国後、通学・通信で映像翻訳を学ぶ。2007年に字幕翻訳者としてデビュー。現在は字幕・吹替翻訳者として、ドキュメンタリー、ドラマ、映画、アニメ、特典映像のほか、企業の動画などの実務分野も手がける。主な翻訳作品に『モダン・ラブ 〜今日もNYの街角で〜』、『アサシネーション・ネーション』、『解明!ベスビオ火山大噴火の悲劇』、『リバー・オブ・ドリームス:生命の川』など。趣味はジャズピアノと愛犬のマッサージ。

ラブストーリーから車のレストア番組まで

加賀山 :今日は、映像翻訳にたずさわって13年の石川千秋(いしかわ ちあき)さんにオンラインでお話をうかがいます。
 まず、Amazonのオリジナルドラマ『モダン・ラブ〜今日もNYの街角で〜』の字幕を訳されたということですが、じつは以前、友人がおもしろいと言っていたので、私もいつか見ようと思っていました。これを機にとりあえず第1話と2話を見ましたが、本当にすばらしい! びっくりしました。このドラマは実話だとか?

石川 :ご覧くださってありがとうございます。このドラマはニューヨーク・タイムズ紙のコラムを原案としていて、一般のかたの体験談にもとづいているようです。私も大好きな作品です。

加賀山 :話がうまくできすぎているので、フィクションかと思いました。全部で8話ですか?

石川 :そうです。全8話で3話と6話以外は私が字幕を担当しました。吹替版もありまして、私が字幕を提出したあと、クライアントさんのほうで吹替とのすり合わせがあり、都度フィードバックをいただきながら調整しました。このドラマは好評だったらしく、続篇も予定されているそうです。

加賀山 :いいお仕事にめぐり会えましたね。

石川 :これは本当に運がよかったというか……。ふだんはドキュメンタリーの仕事が多いんですが、フィクションもやりたいなと思っていたところにちょうどお話をいただいて、しかも製作総指揮は私が敬愛するジョン・カーニーだったんです。『ONCE ダブリンの街角で』や『はじまりのうた』といった作品で、音楽をテーマにした心温まる物語を描いているアイルランドの監督です。

加賀山 :この仕事は翻訳会社からの依頼だったのですか?

20年前に購入した小さなライティングビューローが仕事机。
愛着があり、なかなか買い換えられず…。

石川 :翻訳会社を介さずに、制作会社から直接いただいた仕事でした。私の場合、マーケティング用ビデオの翻訳など、実務分野の仕事は翻訳会社からいただくことが多いですね。

加賀山 :ドキュメンタリーやドラマ、実務……いろいろ訳されていますが、仕事の内訳はどのような感じですか?

石川 :現在はドキュメンタリーが6〜7割でしょうか。残りがフィクションや実務などです。

加賀山 :ドキュメンタリーというと、公開されているプロフィールにはナショナルジオグラフィックの『世界大自然紀行:北極圏』や『解明!ベスビオ火山大噴火の悲劇』があります。

石川 :そうですね。自然、歴史、宇宙に関連したものが多くて、あとよくあるのが、車のレストアものです。

加賀山 :車のレストア?

石川 :ぼろぼろの古い車をレストアしようという番組が、ナショジオでもディスカバリーでも、最近ではネットフリックスでもありまして、世界的に人気があるようなんです。制作国もアメリカ、イギリス、カナダとさまざまで。
 たとえば長年人気のあるイギリスの番組ですと、オーナーに内緒で家族や友だちの協力を得ながら車を直し、ある日突然オーナーにお披露目して感激させ、最後に疾走して終わったりします(笑)。

加賀山 :日本で言えば、改築のビフォーアフターみたいな? そういう趣味の番組は調べものがたいへんではありませんか? 車のパーツとか。

石川 :たしかにたいへんですが、最近は慣れてきました。車は資料が充実しています。図書館に行けば、ビギナー向けからくわしい本までそろっていますし、ネットを探すと、マニアのかたがすごく多くて、部品を1個ずつ写真に撮っていたりするんですね。それと、友だちのご主人が自動車部品メーカーに勤めているので、どうしてもわからないときには質問します。

加賀山 :それは心強いですね。これまで調べもので困ったことはありませんか?

石川 :そうですね……あるドキュメンタリーでは、牛舎の牛の具合が悪くなって、地元の獣医が手当をする場面がありました。牛の腹部をどうこうすればいい、というような原文でしたが、説明が具体的ではなく、何を言っているのかどうしてもわからなくて困りました。そこで獣医の大学にメールしてみたところ、快く教えてもらえました。

加賀山 :ああ、そういうことありますよね。私も昔、洞窟探検の小説でわからなかったところを、ケイビングに関するホームページを開設しているかたに質問したら、とても親切に説明してもらえました。

石川 :情報サイトで執筆されているかたに、爬虫類や暗号の仕組みについて訊いたこともありますよ(笑)。

ジョン・カーニー監督との不思議な縁

加賀山 :プロフィールには、映画『アサシネーション・ネーション』の吹替を訳されたとあります。これはどんな内容でしょう。

石川 :いろんな要素がてんこ盛りで、ひとことで説明できないのですが…女子高生4人組を中心に物語が展開します。彼女たちの住んでいる小さな街でハッキング事件が起きて、まず市長さんのスキャンダルが流出し、街の人たちにも被害が広がる。犯人捜しが始まって、主人公の女の子が濡れ衣を着せられ……そこからは流血のバイオレンスです。

加賀山 :流血……怖い。いままで訳されたなかでとくに思い出深い作品はありますか。

石川 :先ほどの『モダン・ラブ』にも関連しますが、アイルランドに留学したこともあって、ジョン・カーニー監督の『ONCE ダブリンの街角で』という映画にすごく思い入れがあったんです。サントラも買って聞いていましたが、たまたまその映画のDVDの特典映像の字幕を依頼されて、すごくうれしかったのを憶えています。

加賀山 :特典映像というのは、監督のインタビューや撮影風景が収録されているものですね。それはすばらしい偶然です。『モダン・ラブ』も含めて、カーニー監督と縁があったということではないかと。

石川 :勝手にそう思っています(笑)。この特典映像の仕事は、映像翻訳を始めてまだ2年ぐらいのころでした。
 やはり駆け出しのころに担当した映画『バンバン・クラブ─真実の戦場─』の字幕の仕事もよく憶えています。1990年代の南アフリカ共和国の内戦を取材していた戦場カメラマンたちの実話にもとづいた映画です。

加賀山 :ドキュメンタリーに近い感じですか?

石川 :ええ。デビュー後まもない映像翻訳者には、どうもホラー映画やバイオレンスものがまわってくることが多いようなんですね。残酷すぎてちょっと見るのがつらいような……(作った人には申しわけないんですが)。私もそうでしたが、そんななかでシリアスな社会派の作品が来てうれしかった記憶があります。

加賀山 :特典映像の翻訳実績には、『シンデレラ』と『コンタクト』もあります。

石川 :『シンデレラ』は実写版の映画の特典映像でした。『コンタクト』はジョディ・フォスター主演のSF作品で、それがブルーレイになるということでコメンタリーがつけられました。どちらも字幕です。

加賀山 :いままで何作ぐらい訳されましたか?

石川 :いま実績表を見ているのですが、400本ぐらいだと思います。

加賀山 :400本! すごい量ですね。

石川 :シリーズものは1話を1本と数えています。短篇映画や短尺の特典映像などもありますから、それらも全部含めてです。

加賀山 :お仕事を始めて13年ということですから、単純計算で年に30本ぐらい、月平均で2〜3本ですか。その間途切れずに仕事がありましたか?

石川 :2週間ほどぽっかり空くこともありますが、そうですね、だいたい続いています。

加賀山 :定期的に仕事の依頼があるのは何社ぐらいでしょう。

石川 :コンスタントに依頼していただいているのは3社ぐらいです。

映像翻訳の仕事に向けて一歩一歩

加賀山 :お仕事のなかで、字幕、吹替、ボイスオーバーのどれが多いのですか?

石川 :現在はドキュメンタリーのボイスオーバーが全体の半分ぐらいで、残りがドキュメンタリーの字幕と、フィクション(ドラマや子供番組)の字幕という感じです。フィクションの吹替はあまりチャンスがなくて、いまのところ『アサシネーション・ネーション』だけです。これから増やしていけたらと思っています。

加賀山 :3つのなかでとくに好きなものはありますか?

石川 :選ぶとすれば字幕ですね。私自身、いつも字幕で見ますし、俳優さんの声を聞きたいということもあります。とはいえ、吹替やボイスオーバーのほうが尺が長くて情報量も増やせますから、訳していてすっきりする部分はあります。
 原文を聞いたときに、自分のなかに最初に浮かぶのが吹替っぽい訳なんですね。字幕はそこからもう一段階、字数や読みやすさ、前後とのつながりなどを考えながら作っていきます。

加賀山 :最初に吹替が浮かぶというのは興味深いですね。ボイスオーバーはまた勝手がちがいますか?

石川 :吹替の場合、口の動きにぴったり合わせなければなりませんし、一度に複数の人がしゃべるときには全員分を訳さなければなりません。ボイスオーバーでも、ときには吹替ぐらい尺を合わせてほしいという要望もありますが、それほど厳密ではありませんし、複数の人が話すときにも主要な人だけ訳せばいいので、そのへんがちがいます。

加賀山 :最初に映像翻訳の仕事をしてみたいなと思ったのはいつでしたか?

石川 :高校のころですね。映画は昔から好きで、大学も英文科で翻訳のゼミに入っていました。
 卒業後は、ソフトウェア開発メーカーに就職して、社内翻訳の仕事をしました。マニュアルの英訳です。そこで3年半ぐらい勤めたあと退職し、アイルランドに留学しました。それまで英語の読み書きはできても、日常的な会話に触れることがほとんどなかったので、映像翻訳をするなら生きた英語に接しておこうと考えたのです。

加賀山 :留学先にアイルランドを選ばれた理由は?

石川 :ギネスビールやパブ、ケルトデザインのアクセサリー、音楽ではクランベリーズやエンヤなど、興味のあるものにアイルランドのものが多かったんです。当時は留学費用も他の国より安かったと思います。
 最初は南のコークという街に、その後は西のリムリックに滞在していました。フランク・マコートの回想録『アンジェラの灰』の舞台の街です。
 あちらは本当にリラックスした人が多くて、日本に帰ってきたときには、みんながすごくせかせかしていると感じました。バスが渋滞で遅れて到着しても、運転手がお茶の時間だからと言って、いなくなったりするんです。バス停で待っている人たちも、運転手さんの権利だからしかたないよねという態度で受け入れて、怒りません。パブでみんなでおしゃべりする文化もいいなと思います。

加賀山 :フェロー・アカデミーのアンゼたかし先生のゼミで学ばれたということですが、その受講のあとデビューされたのですか?

石川 :アンゼ先生のゼミに入ったのは、映像翻訳を始めてだいぶたってからです。4年ほどまえですね。
 留学から帰国したあとに、映像翻訳学校で字幕と吹替を学びました。でも仕事の糸口はつかめなかったので、まずは翻訳業界を学ぼうと思い、実務系の翻訳会社でコーディネーターとチェッカーをしていたんです。それでもやはり映像翻訳がしたくなり、別の翻訳学校で勉強し直して、トライアルを受けたあとデビューしました。そこから少しずつ実績を積みながら、クライアントを開拓していきました。
 ただ、最近はドキュメンタリーの翻訳が大半を占めていて、フィクション作品がご無沙汰になっていました。そこで翻訳者のかよえる講座を探したところ、アンゼ先生のゼミがあったんです。そのトライアルに合格して1年間、その後は特別ゼミで2年間勉強しました。

加賀山 :最初からフリーランスでしたか?

石川 :いいえ。いきなり翻訳でひとり立ちはできなかったので、パートの派遣社員の仕事をしながら、翻訳は平日の帰宅後と週末にするという生活を3年ほど続けました。

加賀山 :どの段階でフリーになろうと決断しました?

石川 :取引先が増えて、仕事がコンスタントに入るようになったころですね。両方続けるのもたいへんでしたから。人にもよりますが、翻訳の仕事は波もありますし、報酬も伸びずに困ることもありましたが、いまは落ち着きました。

アイルランドを再訪した時、
映画「ONCE」が撮影された楽器店で。

加賀山 :いずこも厳しいのは同じですね。報酬はワンタイムの買い取りですよね?

石川 :ええ、買い取りですが、クライアントによって多少条件がちがって、劇場公開を除くすべての権利について一括で支払うところもあれば、もっと細かく決まっているところもあります。たとえば、飛行機内やネット配信があるたびに使用料が出ることもあります。ずいぶんまえに訳した作品が突然DVD化されて、臨時収入になることも。

何事も経験が大事

加賀山 :何か営業活動のようなことはされていますか?

石川 :仕事を依頼してもらえそうなところに、実績表や履歴書を送るくらいでしょうか。直接ご挨拶に行くこともあります。
 いちばんいいのはボイスオーバーや吹替の収録に立ち会うことですが、私はドキュメンタリーのボイスオーバーが多いので、ドラマや映画とちがってあまり現場には呼ばれません。呼んでいただいたときにはできるだけ顔を出すようにしています。
 収録に立ち会うと、その場で相談して原稿を変えることもあります。私の経験でも、「ここの『そして』が気になるよね」という話が出て、相談のうえ変更したことがありました。

加賀山 :ふだんの仕事や勉強で心がけていることはありますか?

石川 :翻訳学校に行けば、ほかのかたの訳から学んだり、自分の思いこみに気づいたりすることがありますが、いまはゼミを休んでいるので、できるだけ映画やドラマを見て、ほかのかたの訳を研究しています。
 クライアントさんによっては細かいフィードバックをしてくださるところもあって、それがとても勉強になりますね。私はどちらかというと原文に忠実に処理しがちなので、ここまで意訳してもいいんだというような気づきがあったり。

加賀山 :フィクションの翻訳でもそうですけど、実際の仕事がいちばん勉強になりますよね。仕事にかぎらず、ほかの人の意見を聞く機会はやはり貴重です。ひとりで考えていると、どうしても勘ちがいしたり、袋小路から抜け出せなくなったりするので。

仕事の相棒(癒し担当)です。

石川 :そうですね。私はそれもあって、自分の訳を見直すときには、できるだけ訳了から時間をあけ、ときには最初からではなく途中から見直して、いつも新鮮な頭で読むように心がけています。

加賀山 :翻訳の仕事はどうしても家にこもりがちですが、日頃、運動とかされていますか?

石川 :2年前から犬を飼いはじめて、毎日どんなに忙しくても1時間ほど散歩に出るようになりました。そのまえもウォーキングはしていましたけど、やはり忙しいとパスしてしまうので、無理にでも外に出る習慣がついたのはよかったと思います。あとは、部屋でたまに筋トレやヨガをするくらい…。もっと体を動かさなければと思っています。

加賀山 :最後に、これから映像翻訳を学ぼうというかたに何かひと言いただけますか?

石川 :ひと口に映像翻訳といっても、ドラマやドキュメンタリー、特典映像から、実務系のマーケティングビデオまで、本当に幅広い分野です。得意分野を一つでも持っておくと強みになると思いますが、とくにないという場合でも、今のうちにさまざまなジャンルの作品に触れておくことが、実際の仕事で生きてくると思います。
 私自身は、いまの映像翻訳に至るまで遠まわりしたほうですが、IT系の職場で培った知識が思わぬ場面で役立ったりもしています。どんな経験も無駄にはならないと実感しています。

■訳された作品についてとても楽しそうに話されるのが印象的でした。『モダン・ラブ』では、とくにドアマンが出てくる第1話がお薦めということですが、私もまったく同感です。続篇の字幕も(?)よろしくお願いいたします。