【アメリア】伝・近藤のトライアル現場主義!

翻訳の仕事獲得とスキルアップを応援する有料の会員制サービス
翻訳者ネットワーク「アメリア」

読み物
 
 
 
一般公開版
   
     
   
 
   採点中、どうやってこの訳文に到達したのか、みなさんの思考をキャッチしながら心の旅を続ける私ですが、思考の流れと同じくらい伝わってくるのが、訳出に使われたエネルギーです。

 この訳語、調べに調べたんだろうなあ、ここは相当悩み抜いたに違いない。いやー、この文、少なくとも10回は推敲してるね。答案を読みながら、行間からにじみ出てくる熱意に共鳴したり、圧倒されたり。エネルギーをきちっと受け止め、しかもそれに左右されることなく採点評価するという作業には、楽しさを感じると同時に緊張も覚えます。

 うっかり見落としそうになることもあります。先日も、とあるトライアル(インターネット関連から出題)で“usage”を「ユーセージ」と訳した答案に出くわしました(「使用状況」といった意味で使われていました)。「それはないやろ!」とツッコミつつ朱を入れかけましたが、念のためネットで検索してみると、出てくるんですわ、わらわらと。「ユーセージ」が。うーん、最近はこんな訳語もオッケーなのか。特にIT関連では、ときどき「えっ」と思う言葉がカナ書きされて出回っていることが多く、注意が必要です。

 この方は、あちらこちらを調べた結果「ユーセージ」を選んだに違いない。減点するしないはさておき、もうちょっとでそのエネルギーを受け止め損なうところでした。
 
 
     
 
   答案から出てくるエネルギーの多い少ないは、合否に関係するのでしょうか?関係します。そりゃもう、熱意は必ずプラスに伝わってきますから。エネルギーがほとんど感じられない答案が合格することはまずありませんが、そもそも仕方なくトライアルを受ける人もいませんから、これについて考える必要はないでしょう。では、多ければいくらでもよいかというと、そうでもないんです。

 私が心から合格を差し上げたくなるときというのは、訳文からちょうどよい量のエネルギーを感じるとき、「ああ、この方はご自身の8割ぐらいの力で訳されたに違いない」と思えるときです。余力を感じさせる訳。「いつもどおりに訳してみました」と、声が聞こえてきそうな訳。こういう訳に出会うと、大発見をした気分。答案が光って見えますね。同時に、そんな人を選び出す課題を作った自分にも密かに満足します。

 ちょっとエネルギー出過ぎかなと思う代表的なケースは、例えば、推敲を重ねるうちに原文からどんどん離れてしまった訳文、特に筆者の主張が変わってしまった訳文です。上手い表現を使おうとするあまり、前後とつじつまが合わなくなった訳文を見たときにもそれを感じます。両方のケースとも、「もっとよい訳文にしよう」「もう一手間かけてみよう」という情熱は十分伝わってきます。しかし、残念ながらその情熱にお応えすることはできません。つらいけれど、マイナスポイントを差し上げざるを得ない。

 このエネルギー問題に関して私が一番つらいとき、つまり訳していただいた方の熱意を最も感じつつ、それとは全く反対方向にお応えせざるを得ないとき、それはどんなケースか。お教えしましょう。
 
 
     
   
 
   一番つらいとき。それは、訳文が「跳ねてる」ときです。いきなり現場用語で失礼しました。私が勝手にそう呼んでいます。みなさん、こんな経験はありませんか?悩みながら訳出を進めるうちに、原文のロジックが突然見通せた!ああ、こういう話なのか。だから、筆者はこう言いたいんだ!訳文では、このロジックはこう展開すれば自然に伝わるに違いない!なるほど、そうか!Eureka!

 「跳ねてる」訳文とは、このEurekaがみなぎっているというか、みなぎりすぎてしまった訳文のことです。原文を訳したというよりも、訳出のプロセスを通してご自身が新たに発見されたこと、理解されたことをまとめたレポートのようになってしまっているのです。具体的には、かみくだきすぎた表現や、分かりやすくするための挿入句過多となって表れます。

 分からなかったことが分かったとき、私も人一倍うれしがる方です。ですから、つい訳文が跳ねてしまわれた方のお気持ちはよく分かります。Eurekaのエネルギーは、私には非常にストレートに伝わってくるんです。しかし、原文にそのEurekaはなかったはず。それを読み手に伝えるべき情報に織り交ぜることはできません。

 「跳ね」に朱を入れようとして、なんとかこれを活かせないか、考え込むこともあります。なんというか、自分がその訳をどんどんつまらなくしているような気がする。何をやってるんだオレは。しかし、入れるべき朱は入れなくてはならない。それが現場のオキテです。
 
 
     
   
   「跳ねてない」訳文をどうやって作るか。訳し終えたら、一晩寝かせてください。そして、翌日見直す。これに限ります。とにかくいったんその課題から離れてみる。そして、リセットされた頭で見直すんです。一晩寝かせたカレーが美味しいのは、カレーにも変化が起きてるだろうけど、味わう側の味覚や嗅覚もニュートラルになっているからではないでしょうか。

 さて、何を見直すか。いきなり訳文を見直しても、「跳ね」を見つけることは難しいです。なんといっても一晩しか経ってませんから。見直すとすれば、まずは原文。訳文を横目で捉えつつ、頭から内容を確認していきましょう。一度訳した文章だから、難しくはないでしょう?なんせ一晩しか経ってないわけですし。

 見直すべきポイントはたくさんありますが、「跳ね」に絞って言えば、まず対象読者。これを確認しましょう。専門家向けのドキュメントなら、「○○装置」で済むところを「○○により××するための〜」などとしていないか?また、概念を表す語句は、どうしてもかみくだきたくなりますよね。これも要注意です。確かに課題文の範囲だけを見れば、単に訳すだけでは不親切かもしれない。でも、その語句が前の部分で詳しく解説されていたとしたらどうでしょう。さらっと訳すにとどめておくべき場合もあるのです。

 そうやっていくうちに、削りたくなるところ、プレーンな表現に変えたくなるところが出てきたらしめたもの。「跳ね」が見えてきたわけです(このときのEureka!はオッケーです)。

 具体的な「跳ね」を考えてみましょう。原文にない語句はとりあえずチェックの対象となりますが、話の流れをはっきりさせるために補った接続詞、これなんかは「跳ね」だとは思いません。むしろ積極的にやっていただきたいことです(やりすぎは困りますが)。

 たとえば、“You will lose your data.”が「データを失い、その結果、重大な損害を被るでしょう」と訳されていたらどうか。確かに、データを失えば大きな損害になるかも。また、文の前後関係から判断して、その損害とはひと財産吹っ飛ばすぐらいであることが明らかな場合もあります。でも、原文には決してそうは書かれていない。訳文が伝えるべきことは、原文に書かれている「事実」だけです。「データを失ってしまいます」で止めておかなければなりません。一晩寝かせれば、こういったことに気づきやすくなります。

 そうやって「跳ね」を抑えつつ、もちろんそこだけにとらわれることなく、全体を見据えながら訳に手を入れます。訳文が研ぎ出されてくるにつれ、頭の中がクリアになり、自分がどんどんクールダウンしていくはず。楽しいです。翻訳とは、本来この辺りのプロセスを指す言葉ではないかとさえ思います。
 
 
   エネルギーをどうやって出すか。または出さないか。難しいですね。そこに注意しなければいけないのは、なぜか。翻訳が表現行為だからではないでしょうか。表現を受け止める相手のことを常に意識する必要があるからではないでしょうか。

 決して、力を抜いて訳すべきだと言っているのではありません。全力を出してください。大いに楽しんでください。ただし、それはそのまま見せない方がいい。跳ねないこと。行間から湧き出るエネルギーは、やや控えめでいきましょう。8割でいいんです。それでも十分に伝わります。

 分野を問わず、翻訳者とはまぎれもなく表現者だと、私は思います。「訳者は役者」(by深町眞理子さん)というじゃないですか。役者であるなら、舞台に立って熱狂させるべきは観客のはず。自分自身ではないですよね。
 
 
 みなさんが役者なら、私は何だろう。芝居小屋の向かいに店を構えて、帰りのお客さんをあてにしている汁粉屋の主人かな。そのココロは?はい、跳ねそうになるとそわそわします。
 
 今回の本文は上の1行だけ。あとは、すべて枕でした。粋に落とした連載第12回、現場からは以上です!
 
     
 
 
   

ページトップへ