アメリア会員インタビュー




第16回

「本当に面白い子どもの本は大人が読んでも絶対に面白い」そんな本を訳すことが私の目標です。
  子安亜弥さん
Aya Koyasu

翻訳の勉強はとにかく刺激的でした。最初は言葉探しゲームのように面白く……

坂田
:今回のゲストはアメリア新人翻訳家コンテスト<第10弾>で最優秀賞を受賞されました子安亜弥さんです。こんにちは。

子安:こんにちは。よろしくお願いします。

坂田
:その後、課題作品を含む本の翻訳をなさって、2003年3月に出版されたんですよね。おめでとうございます。

子安:ありがとうございます。受賞から長い道のりでしたが、それだけにとても感慨深いですね。きれいな本に仕上がって、嬉しく思っています。特に表紙が大好きなんです。

坂田:では、まずは受賞されるまでのお話からお伺いしたいと思います。そもそも、翻訳に興味をもたれたのはいつ頃ですか?

子安:「世の中には翻訳というものがあって、それを仕事にしている人がいる」ということを初めて意識したのは、大学のときです。英米文学の授業で、ある作家の短編集とその翻訳のことが話題にのぼり、「この訳者は英語をちゃんと読んでないね」と先生がおっしゃったんですね。そのとき初めて「そうか、原書=翻訳じゃないんだ。そのあいだには翻訳者という人がいるんだ」という、とても当たり前のことに気づいたんです。でも当時は、翻訳というのは別の世界で別の人がやっているもので、自分にはまったく関係がないと思っていました。

坂田:そんな子安さんが翻訳の勉強をはじめたきっかけは?

子安:大学卒業後、3年間商社でOLをしていましたが、結婚を機に退社して東京に来ました。忙しい毎日から一転、突然ありあまるほどの暇な時間ができてしまったんです。「こんな暇な時期なんて、人生でそうあるものじゃない。せっかくだから何か習い事でもしてみようか」と、軽い気持ちで習い事の情報誌を買ってきました。そこで初めて翻訳学校というものの存在を知り、なんだか面白そうだなあと思ったのがきっかけです。本を読むのは大好きだし英語も好きだから、まあ楽しいんじゃないかと、今思うと本当に甘い気持ちで……。

坂田:情報誌にはさまざまな習い事が出ていますよね。翻訳以外の習い事に、興味はわかなかったんですか?

子安:翻訳と同時に料理教室にも通い始めました。そちらは半年コースだったのですが、3ヶ月目ぐらいで挫折してしまいました。

坂田
:お料理教室も楽しそうですよね。どうして挫折してしまったんでしょう。

子安:料理は主婦の日常だけど、翻訳は非日常だったということでしょうか。翻訳の授業は厳しくて、毎週課題をこなすのが大変でしたが、とにかく刺激的だったんです。最初のころは、ぴったりした言葉を探すゲームかパズルのように訳文と取り組んでいたのかもしれません。もちろんその面白さだけでは、こんなに長くは続かなかったと思いますけれど。

坂田:受講した翻訳のクラスはどのような内容でしたか?

子安:英米文学の講座です。英米文学といっても、テキストは、ミステリあり、文芸小説あり、戯曲ありと、毎回何が出てくるかわからなくて……。事前にテキストのコピーが渡されて、次の授業までに訳していくのですが、「ここまで訳してくること」といった範囲はなし。タイトルも作家名も教えてもらえないんです。そして当日提出された原稿を、先生がアトランダムに選んで次々に読み上げ、ばっさばっさと批評していきます。生徒は必死でメモをとる。その日どこまで進むか、誰の原稿が読まれるかは全然わからない。毎回すごい緊張感でした。とにかく90分の授業があっという間!

坂田:自分の訳文が読まれたときは、どんな気持ちでしたか?

子安:初めて原稿を読まれたとき、「こんな女子大の優等生みたいな訳、役にたたん!」と罵倒されたんです。ショックでした。できる人の訳を聞いたら、自分との差にまたさらにショックを受けて……。それから驚いたのが、ほとんどの人が「プロ」になるつもりで教室に通っていたこと。みんな真剣勝負なんです。そんな人たちに囲まれて、自分の甘さと力のなさを実感させられました。

坂田:その後もずっと翻訳学校に通われたんですか?

子安:翻訳学校には、結局4年半通いました。途中でアメリア(旧FMC)にも会員登録をして、トライアルに参加したり、短期の講座に通ったり。そんななか、勉強を始めて4年目に転機が訪れました。アメリアの翻訳ノミネーティングシステムで、偕成社の児童向けノンフィクションのトライアルに合格したんです。そして1995年4月に、初めて自分の名前で翻訳書を出すことができました。


※文中の「ノミネ会員」は現在の「クラウン会員」のことです。
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