アメリア会員インタビュー

田中 菜穂さん

田中 菜穂さん

実務翻訳をしながら児童文学の翻訳も勉強中

プロフィール

大阪生まれ大阪育ち。同志社大学文学部英文学科卒。
旅行会社に就職し、海外ホテル予約業務に携わる。その後、人材派遣会社翻訳部門のコーディネーター兼チェッカーを経て、フリーランス翻訳者となる。主な仕事は財務書類、契約書、社内文書の英訳・和訳。アメリアのクラウン会員(ビジネス・金融)。

シンガポールで始まった仕事

加賀山 :今日は大阪府吹田市で実務翻訳をしておられる田中菜穂(たなか なほ)さんにお話をうかがいます。翻訳を始めたのはいつごろからですか?

田中 :2006年からです。同じころアメリアにも入会しました。

加賀山 :最初はどのように仕事を開拓されたのですか?

田中 :シンガポールで、最初は日本の顧客向けの仕事をしていたのですが、せっかくシンガポールにいるんだからもっと英語を使う仕事がいいなと思いまして、人材派遣会社に相談しました。すると、その会社のなかに翻訳部門があって、空きがあるから来ないかと声をかけていただいたんです。そこで転職して、コーディネーター兼チェッカーとして働きはじめたのが、翻訳との最初のかかわりです。

加賀山 :会社の仕事から始まったのですね。

田中 :はい。日系企業ですが、メインの業務はシンガポールでの人材派遣で、それとは別に翻訳や通訳のサービスも提供している会社です。
 その後、退職して日本に帰ってからも、翻訳の仕事を続けたいと伝えたところ、フリーランスの翻訳者として登録してもらいました。そこから少しずつ仕事をまわしてもらって、いまでは15年のおつき合いになります。

加賀山 :良好な関係が続いているのですね。ほかの翻訳会社からも依頼がありますか?

田中 :そこ以外には日本の翻訳会社さん2社に登録しています。うち1社はアメリアの求人に応募して採用していただき、もう1社はアメリアに私が掲載していたプロフィールを見たということで、ご連絡をいただきました。

加賀山 :アメリア、役立ってますね。

田中 :私はあまり経験がないまま翻訳をするようになったので、見よう見まねで学んでいったようなところがあります。一度きちんと習おうと思って、ちょうど仕事で訳すことが多かった契約書とか財務書類に関する「定例トライアル」をアメリアで受けました。いただいた講評がとても勉強になりました。

加賀山 :プロフィールによると、そのトライアルで、ビジネスと金融のクラウン会員資格を取得されたんでしたね。翻訳会社がアメリアをつうじてトライアルを実施することもありますが、そちらも受けましたか?

田中 :「スペシャルコンテスト」ですね。合格はしませんでしたが、出版関係のトライアルに何度か応募したことがあります。

加賀山 :シンガポールの会社で始めた実務翻訳の内容ですが、プロフィールには、契約書、IR(企業が投資家に向けて発信する、経営、業績や財務状況の情報)、CSR(企業の社会的責任)関連文書などがあります。なかでも多いのはどれでしょうか?

田中 :いま多いのは、会議の資料などの社内文書の英訳です。契約書も多くて、これは和訳と英訳です。あとは投資家向けの開示書類で有価証券報告書・決算短信・株主総会招集通知ですね。

加賀山 :英訳と和訳はどちらが多いのですか?

リストレストのおかげで
腱鞘炎から解放された

田中 :この仕事を始めたときはほとんど和訳だったんですが、現在は8〜9割が英訳です。

加賀山 :日系企業の資料を英訳しているのですか?

田中 :はい。ほとんど日系企業です。投資家向けの資料も、日本の本社から現地スタッフ向けの資料、たとえば、定款、プレゼン資料、議事録なども、英訳しなければなりません。プレゼン資料はパワーポイントなので、いつも苦戦します。英訳するとたいてい日本語より文字数が増えますが、レイアウトは崩せないので、フォントを小さくしたり、行間をつめたりして、なんとか枠内におさめています。

加賀山 :CSRというのは、具体的にどういう仕事になりますか?

田中 :それ単独で訳すことは少ないのですが、企業のアニュアルレポートやホームページのなかで、社会的責任を果たす取り組みをしているという説明をすることがよくあります。最近ではSDGsに関連するものや、女性も働きやすい環境づくり、男性の育休取得促進など、社会のニーズを反映した内容が増えています。それを英訳するのです。

個性が表れやすい児童文学の翻訳

加賀山 :英訳は、和訳のときとはちがう頭の使い方をするのでしょうか?

田中 :そうですね。とはいえ、契約書には決まった表現があるので、そんなに悩むことはありません。アニュアルレポートを訳すときにも、むしろ過去と同じ用語を使わなければいけないんです。過去3年とか5年分のアニュアルレポートを渡されて、これと用語は統一してくださいというふうに言われることが多いので。
 特に会計の勘定科目は、金融庁が公開しているタクソノミというひな形があり、多くの企業で採用されているので、ほぼ統一されています。もちろん独自の表記をしている企業もありますので、やはり過去の資料を参照して、用語を合わせています。そういう意味である程度、定型にしたがえばいいという面もあります。

加賀山 :意外に定型的なものがあるのですね。

田中 :あと、和訳のときには、原文がどういう意味だろうと悩むことがありますけど、英訳の場合には、もとの日本語が理解できないことはほとんどないので、その点も楽といえば楽ですね。
 ただ、英語でこういう言い方をするのだろうか、この表現で合っているのだろうかという疑問はつねにありますから、Googleで頻繁にフレーズ検索はします。検索して、英語できちんと使われているのかどうかを確認するのです。

加賀山 :なるほど。英訳をするときのコツなどがほかにあれば?

田中 :あれば私が教えてもらいたいくらいですが(笑)、英訳で提出したものはネイティブチェックが入りますので、そこで直されたところをコツコツと勉強することかなと思います。私はよくaとかtheの冠詞を訂正されるので、そこはいつも注意しています。直されて、ああそうかと思うこともあれば、やっぱりわからないこともありますけど。

加賀山 :冠詞はむずかしいですよね。私も会社員時代に英訳したときには、よく冠詞を直されました。
 プロフィールによると、実務翻訳をしながら、出版などほかの分野の勉強もいろいろされています。

田中 :実務翻訳も自分に向いているとは思いますけど、子供の本を訳したいという気持ちが昔からあって、1年ほどまえからフェロー・アカデミーのこだまともこ先生のゼミで児童文学の勉強をしています。もし対面授業だったら大阪からかよえなかったので、オンラインで勉強できてよかったです。こだまゼミにも関西や海外の受講生がいます。

加賀山 :本当にそこだけは便利になりましたよね。どうしてもっと早くこうならなかったんだろうと(笑)。実務翻訳と児童文学の翻訳はちがいますか?

田中 :ぜんぜんちがいますね。実務翻訳のほうは、大きな案件だと5人くらいで分担して、各自が担当部分を訳したあと、全体をつなげます。もちろん、用語の統一や、「です・ます」の文末の統一とか、基本的なルールの共有はあるのですが、最後につなげたときに、ほかの人が訳したという違和感はあまりありません。それが児童文学になると、いま訳している課題でもそうですけど、それぞれの人の訳文の雰囲気がぜんぜんちがうんです。その人なりの解釈とか感じ方が訳文に表れるからですね。

加賀山 :どちらがおもしろいですか?

田中 :どっちもおもしろいですけど、児童文学のほうが楽しいかな。夢があって(笑)。

加賀山 :実務翻訳の仕事のほうは、毎日ずっと埋まるくらい入ってきますか?

田中 :波はあります。財務書類は決算などの繁忙期があって、株主総会招集通知は4月・5月がピークです。ゴールデンウィークは書き入れどきになります。ほかのものは年間つうじてだいたいコンスタントに来ますが、それでも来ないときがあったり、逆に何社かまとめて来るときもあります。

加賀山 :依頼が重なってしまうと、断らなければならないことも?

田中 :ありますね。暇なときに来てくれればいいのになと思います(笑)。

加賀山 :さっきおっしゃった用語の統一というのは、どういう方法でやるのですか?

田中 :Googleのスプレッドシートを利用して、それぞれ訳した人が用語をアップデートしていきます。そこでほかのかたの訳も見られるようになっています。

できるだけたくさんの作品に触れる

安藤忠雄氏設計・寄贈〈こども本の森〉
建物だけでなく、
本のディスプレイも美しい

加賀山 :ふだんはどのように翻訳の勉強をされていますか?

田中 :実務の英訳については、やはりおもにネイティブチェックで直されたところや、自分の知らなかった表現の勉強ですね。
 児童文学のほうは、どうしても図書館が中心になりますが、とにかくたくさん作品に触れるよう心がけています。東京にいたときには、本好きの友人に教えてもらった蔵前の「フローベルグ」という洋書古書店によく行っていました。古いものから新しいものまで、装丁とか絵とか美しい絵本がたくさんあります。
 大阪では、去年オープンしたばかりの「こども本の森 中之島」というところがあって、一度行ってみましたが、赤ちゃんからヤングアダルトまでいろいろな本がそろっていて、とても魅力的でした。

加賀山 :私自身は、好きな翻訳書と原書を取り寄せて、見比べながら読んでいくのがいちばん勉強になると思っています。結局、文筆業というのは、音やリズムにかかわる仕事ですから、落語や歌舞伎などで師匠について、理屈抜きでそのまま師匠のまねをするイメージです。ただ翻訳では、原書と翻訳書さえあればそれができるので、学びやすいといえば学びやすい。

田中 :私も絵本ではそういうことをしますね。洋書店で手に入れた絵本を日本の本と比べたり。例えば、石井桃子さんの訳された『ちいさいおうち』を読んでも、絵に合わせて工夫しているところがわかって、とても勉強になりますね。

加賀山 :もっとも、アメリアの定例トライアルをとにかく何度も受けて力をつけたというかたもいらっしゃいますから、比較して読むことだけが勉強法ではないと思いますが。
 翻訳学校にもかよわれて、実務の「金融経済」、出版の「ノンフィクション」など、多くの分野を学ばれています。

田中 :金融経済は、IR関係の仕事が増えてきたので、知識をつけたいと思ったんですね。ほかにも、「契約書」や「アニュアルレポート」といった個別の分野の通信講座も受けました。

加賀山 :おそらく勉強熱心がいまのお仕事に結びついているのですね。仕事が入ると1日じゅう働くほうですか? それとも締め切りに合わせてスケジュールを立てて、自由時間を設けるとか?

田中 :締め切りよりも確実に早く仕上げたいので、夜も土日も仕事をしてしまいますね。じつは一度、風邪を引いて熱が出て、たいへんな思いで仕上げたことがあるんです。それからは、何が起きるかわからないので、できるだけ前倒しで進めるようにしています。

加賀山 :わかっていてもなかなかできないものですが……。納期はどのくらいのものが多いのでしょうか?

田中 :3〜4日から、多いのは1〜2週間、長いものになると1カ月というのもあります。

加賀山 :納期が10日ぐらいだと、1週間で仕上げて、3日ほど余裕を見ておくという感じでしょうか?

田中 :そうですね。

加賀山 :さすがです(反省……)

引っ越し続きでも仕事と勉強を継続

加賀山 :最初に翻訳に興味を持ったのはいつでしたか?

田中 :英語が得意だったので、英語を使った仕事をしたいなとは、ずっと思っていました。ただ、小さいころから絵本や童話は好きでした。親が共働きだったので、ひとりですごす時間がとても長かったんですね。児童書も家にたくさんありました。本を読んでいると心細さを感じることもなく、本当に楽しくて。

加賀山 :そのへんが原体験でしょうね。

田中 :今度は自分が親になって、読み聞かせをしたいなと思ったんですが、当時はシンガポールに住んでいたので、日本語の本が高くて手が出せず、英語の絵本を買って、それを日本語にしながら娘に読み聞かせをしていました。でも、絵本だから簡単だろうと思っていたら、訳すのがむずかしくて(笑)。絵に助けられながら、想像力でカバーして読んでいました。それからはちゃんとあらかじめ自分で訳して、予習してから読み聞かせました。

加賀山 :読み聞かせで予習(笑)。

田中 :そうやって読んでいると、ここはこういう表現がいいなとか、こういうふうにしてみようとか思うことが増えました。娘はとくに気づいていませんでしたが、私自身がけっこう楽しんでやっていました。それが児童文学の翻訳に興味が湧いたきっかけだったかもしれません。

加賀山 :なるほど。そもそもどうしてシンガポールに行かれたんですか?

田中 :これはもう若気の至りで(笑)。結婚前に夫が海外で働きたいということで日本の会社を辞めたので、私もおもしろそうだと思っていっしょに行きましたが、生活はたいへんでしたね。
 結局、シンガポールには3年半ぐらいいました。その後も夫の転職や転勤があって、マレーシアとインドネシアで暮らしました。日本でも、いまは大阪ですが、東京にもいましたし、横浜にもいて、結婚以来10回近く引っ越しています。

加賀山 :そんなに……。

田中 :またアメリアの話になりますけど、私のように海外や国内を転々としていても、情報誌は毎月郵送してもらえましたし、トライアルも受けられたのはありがたかったですね。インドネシアは郵便事情で情報誌の配達が遅れたりしましたけど。

加賀山 :余談ですが、移り住まれたなかでどこがいちばん印象に残っていますか?

ジャカルタから飛行機で
1時間のブリトゥン島
ゆったりとおだやかな時間が流れる

田中 :便利で住みやすいのはシンガポールですが、どこがおもしろいかといったら、やっぱりインドネシアです。

加賀山 :どのあたりが?

田中 :何もかも不便なところが(笑)。宗教中心に国がまわっていて、1日5回お祈りをするので、仕事にならないし、ラマダン(断食の月)になるとみな空腹で疲れているので、ますます仕事はしない。でも、日没後には食べられるので、急にハイテンションになって、ドカ食いするんです。ラマダンの月は毎晩、パーティのようになります。日本人には想像がつかない生活ですね。

加賀山 :たしかに強烈です(笑)。これから実務翻訳を始めたいというかたに、何かアドバイスはありますか?

田中 :私はぜんぜん知識がない状態から始めたので、やる気になればなんでもできるということは伝えたいです。ちょっと地味な格言ですが、「継続は力なり」というのがありますよね。これは本当に真理をついていると思っていて、ゼロからのスタートでも、続けていくことで確実に知識が身につく。仕事も勉強も続けることで成果が出るのだと思います。

■今回のインタビューに先立って拙訳の『ヒューマン・ファクター』も読んでくださったそうで、恐縮です。そんなところにも勉強家の一面が表れているような気がします。児童文学の翻訳のほうも「継続は力なり」でがんばってください。

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