アメリア会員インタビュー



成績はよくないけれど、やる気は人一倍!

坂田:翻訳学校には1996年から通い始めたのですね。講座は週1回ですか?

瀬尾:メインで通った映像翻訳の講座は週に1回でしたが、通い始めてすぐにリスニング力が弱いことに気付いて、別の語学学校の通訳養成講座にも並行して通い始めました。それから英会話学校にも通っていたので、週3回は何かの授業がありました。

坂田:初めて学んだ映像翻訳はいかがでしたか?

瀬尾:全然ダメでした。クラスメートは20名くらいいましたが、成績もよくなかったです。何年も経ってから当時の講師の方に「瀬尾さんはプロになれないと思っていたのよ」と言われましたから(笑)。クラスメートの中には、訳がうまくて、すぐに講師から仕事を紹介されている人もいましたが、私は1年勉強してもダメでした。ただ、なぜかやる気だけは人一倍あったんですよね。1年コースが終わった後も、6、7名の有志が集まって自主勉強会を開きました。3年間くらい続けました。

坂田:本気でプロの映像翻訳者を目指し始めたのは、いつごろからですか?

瀬尾:1年間勉強して、その後も自分たちで勉強会を企画していた頃には、絶対にこれを自分の仕事にするぞという気持ちになっていたと思います。

坂田:成績がいいわけではなかったけれども、やる気だけはあったとのことですが、そのやる気はどこから湧いてきていたのでしょう?

瀬尾:私も、どこから湧いてきていたのかな、と考えてみるんですけど、はっきりとした理由はわからないんです。見込みはないし、手応えもない、という状況は漫画家を目指していたときと同じでした。漫画家のときは途中であきらめてしまいましたが、翻訳のときはたとえ成績が悪くても、あきらめようという気持ちにはならなかったんですよね。

坂田:留学のときも、「半年ではものにならない」と言われて、悔しくて頑張ったんですよね。負けず嫌いなところがある?

瀬尾:それはあるかもしれません。ダメと言われると、逆にやる気にスイッチが入るみたいなところが。それに、会社に勤めていても女性はキャリアも頭打ちだし、実力で評価される世界に行きたかったという気持ちはあったかもしれません。手に職をつけたいと昔から思っていたので。

坂田:映像翻訳の勉強は、会社に勤めながら続けていたんですよね。

瀬尾:はい。途中で一度転職して、翻訳会社でDTPオペレーターの仕事をしていました。外資系で自由な会社だったので、まわりは10時くらいに出勤してくる人が多かったのですが、私は逆に8時くらいに出勤して、夜は定時で帰っていました。その頃はまだキーボードのブラインドタッチができなくて、翻訳者になるにはできたほうがいいですから、会社の仕事の中でタイピングを練習したり、パソコンの主なアプリケーションの使い方を覚えたりしていましたね。