【アメリア】伝・近藤のトライアル現場主義!

翻訳の仕事獲得とスキルアップを応援する有料の会員制サービス
翻訳者ネットワーク「アメリア」

読み物


連載第33回 トライアル−誰に読ませるのか(前)
 

今回は、誌上トライアルがあります。詳しくはこちらをご覧ください。

ページ
   
一般公開版
煮え切らない採点者
   「こんにちは。先日トライアルを受けた者ですが」

私「こんにちは。受けていただき、ありがとうございました」

 「結果はどうだったでしょう」

私「えーと、判定はCと出ました」

 「ということは、不合格ですか?」

私「まあ、すぐにお仕事を出すことはできないというところです」

 「どこが悪かったのでしょう?」

私「そうですね、この訳語と、このパラグラフの捉え方が...」

 「なるほど。では、そこが正しければ合格していたと」

私「うーん、そうとは限らないですね...」

 「すると、やっぱりセンスの問題ですか?」

私「いや、センスというわけでは...」

 「じゃあ、他に何か不合格の決定的な要因があるわけですね?」

私「何と言いますか、その...」


   「はっきりせんかい!」


 トライアルの結果を手にしたとき、採点者の声がきちんと聞こえてくるでしょうか。採点者の「煮え切らなさ」を感じたことはありませんか。私には、あります。採点していて、自分が感じたことをすべて採点結果に出し切れていないと思うことがあるのです。
 
 
この採点方法でいいのか
   みなさんの答案を採点するとき、私は以前紹介した4つのポイントに基づいて内容を吟味します。そして各ポイントの評価を集め、最終的な判定を下します。つまり、「一緒に仕事ができるかどうか」という判定を、いったん4つに分解し、また組み立てるわけです。これは、客観的かつ公正な判定を行うために欠かせないやり方だと思っています。

 ところが、このやり方ではうまく捉えられない答案がある。例えば、個々のポイントの評価は決して悪くないのに、トータルではあまり良い判定が下りない答案。かと思えば、ポイント別に見れば問題点があっても、総合判定では合格(伝でいうところのB)を差し上げる答案もあるのです。私が歯がゆさを感じるのは、そういった答案を前にしたときです。

 何が歯がゆいのか?採点と評価の仕方が、です。やり方としては間違っていないが、もっと全体を見て判定することはできないのか。「部分」を集めても決して「全体」にはならない。特に、訳文全体から「いい感じ」が立ちのぼってくる答案と、そうでない答案があるのはなぜか?その違いを言葉で言い表せないものか?
 
 
小論文は誰に書く?
   そんなことを思って悶々としていたとき、偶然、山田ズーニーという人の書いた『伝わる・揺さぶる!文章を書く』という本を読み始めました。「という」とか書いてますが、著者も著書も各方面で話題になっているようですし、すでにロングセラーの仲間入りをしているようなので、とっくに読んだ人もいるかもしれませんね。商売柄、文章の書き方に関する本はたいがいチェックしていますが、これはノーマークでした。

 山田ズーニーさんは、高校生向けの通信教育講座で小論文を指導されていました。入試でよく出題されるやつです。私も、最初の勤め先を受けたときに書かされたことがあります。長年多くの小論文を読み、朱を入れ(おお、仲間だ!)、合格へ向けてアドバイスしている中から見えてきたこと、分かったことを、一般向けにも活かせるように順を追ってていねいに教えてくれるのが、この本です。

 この本がユニークなのは、文章の書き方をアドバイスするとしながらも、実は「考え方」の手ほどきになっているという点です。「考え方」という言い方があいまいなら、文章にする内容とその伝え方をデザインする方法と言ってもいいでしょう。てにをはの使い方や気の利いた言い回しは、知っているに越したことはないけど、それだけでは文章は書けない。それよりも、「書きたいこと」を知り、「どう伝えればそれが読み手に届くか」を分かることの方がよほど大事です。それがクリアになれば、その中身を言葉に置き換えていくことはそれほど難しいことではありません。

 「画期的な本だなあ」と読み進めていると、こんなフレーズが現れました。
「入試小論文のゴールは何か?誰に向けて書くのか?」
 
 
それは「誰か」ではない
   私の中で答えはすぐに出ました。まず、入試小論文のゴールとは「自分の意見を整然と述べること」、そして書く相手は「誰か」です。小論文とは、そんなものでしょう。お題を与えられて、思うところを「誰か」に向けて書く。それを横から採点してもらう。それしかないのでは?しかし、ズーニーさんは、こう言い切ります。「小論文のゴールは合格すること。書く相手は採点官です」

 これには虚をつかれました。言われてみれば、当たり前です。小論文の目的は受かることにあるわけで、自分がその大学や会社に相応しい力と素養を持っていることを示すべき相手は、漠然とした「誰か」ではなく、採点官以外にはあり得ません。「採点官に向けて書く」といっても、媚びる必要はないわけです。ただし、相手がその課題を通して知りたがっていることには答えなくてはなりません。そうでなければ、せっかく書いた文章は的外れなものとなります。そして得られる結果は、それに費やした時間と労力を考えるとき、到底受け容れがたいものです。だんだん、どこかで聞いた話になってきたでしょ?
 
 
カントクの仮説
   トライアルの課題は、特定の読者に向けて書かれたテキストです。パソコンの取扱説明書からの抜粋であれば、訳文はそのパソコンを使う人に向けて書かなくてはなりません。

 しかし、その訳文がパソコンのエンドユーザーの目に触れることはありません。その訳文を読むのは、翻訳会社のトライアル採点担当者です。採点担当者は、訳文それ自体が使えるものであるかを見ると同時に、訳文を通して応募者の力をさまざまな角度から捉えようとします。トライアルが実際の仕事とは異なる点は、ここにあります。

 だとすれば、そこに目を付けてはどうか。つまり、唯一の読み手である採点者を意識して訳してはどうだろう。採点者が何を知りたがっているかを探り、そこを外さないように訳すのです。少なくとも漠然とした「読者」を考えるよりは、ずっとポイントが絞りやすいのではないでしょうか。

 当たり前のようで、このことは意外と認識されていないのではないか。
漠然とした「誰か」に向けて訳された答案が多いのではないか。そして、「いい感じ」が立ちのぼってくる答案とは、採点者を読み手として意識した訳し方をしているのではないか?ズーニーさんの本を読みながら、私の頭の中にはそんな仮説ができつつあります。
 
 
 次回は、訳文を通して採点者が知りたがっていることを1つ1つ点検しながら、採点者に向けて訳すことの意味を考えていきます。また、各採点ポイントの配点も公表(ああ、企業秘密が...)!ココとココを押さえれば合格するというモデルケースも考えてみたいと思います。
 

2ページ目には誌上トライアルがあります。是非訳してお送りください。
トップへ
次へ

ページトップへ