【アメリア】みんなで作るインタビュー10・リチャード・モーガンさん 田口俊樹さん 対談編
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 [対談編 1]
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 対談編 リチャード・モーガンさん 田口俊樹さん
<対談編> 1|2 全2ページ
プロフィール
【著者リチャード・モーガン (Richard Morgan)紹介】

1965年ロンドン生まれ。イーストアングリア(イングランド東部地方)で育つ。ケンブリッジ大学卒業後、英語講師としてイスタンブール、マドリード、ロンドン、グラスゴーなど各地を転々とする。処女作である本書『オルタード・カーボン』は2002年にイギリスで出版され、そのわずか3カ月後、ベストセラー・ランクにも入っていない時期にワーナー・ブラザーズが映画化権を35万ポンド(約7000万円)で買い、年収450万円ほどの英語講師であったリチャード・モーガンは専業作家への道を歩み始めた。本書の続編とも言える『BROKEN ANGEL』、第3作『MARKET FORCE』(いずれも邦訳はアスペクトから刊行予定)も好評。大の日本びいきで村上春樹の小説、北野武の映画が大好き。12カ国語に堪能。


【リチャード・モーガン インタビュー】

※日本のミステリ翻訳の第一人者で『オルタ−ド・カーボン』の翻訳者である田口俊樹氏とR・モーガン氏の対談が2004年10月ロンドンで行われた。その一部をご参考までに。

――まずご出身と年齢を教えてください。

一九六五年にロンドンで生まれた。いま三十九歳だ。結婚?しているよ。妻はスペイン人なんだ。結婚したのは二年前だけど、かれこれ十年来の付き合いになるかな。

――執筆活動はいつ頃から始めたのですか?

処女作を書き上げたのは一九八八年。もっとも出版できるような代物ではなかったけれどね。とにかく血なまぐさい作品で。今から二、三十年前という時代設定で麻薬密売組織と警察の抗争を描いた作品なんだけど、暴力的な描写ばかり。とても自信作とは言えない。主人公もコヴァッチではないしね。
実は以前コヴァッチを主人公にした短編も何作か書いんだけど、まったく注目されなかった。でも今回の作品の構想を練る良いたたき台になったよ。正直なところ、これらの短編小説はこの際、葬り去ってしまったほうがいいかなと思っているんだ。さっきも言ったとおり自信作じゃないし。長編小説を無理やり短編にまとめたような感があるので。
ちなみに二作目の『ブロークン・エンジェル』も、二十ページの短編小説をベースにしているんだ。

――いつ頃から作家を志していたのですか?

オール・マイ・ライフ(笑)。物心ついた頃からずっと。以前J・K・ローリングのインタビューを観たとき、やはり同じ質問をされていたけれど、物を書いて仕事になるなら作家になりたいと思った、と答えていたのがやけに印象的で、確かに作家とはそういう性分なんだろうと妙に納得したものだ。十一歳の頃には小学校の同級生に、僕は作家になるんだ!と豪語していた。もちろん、もっと小さい頃から絶対物書きになると心に決めていたけどね。でも執筆がこれほど厳しいものだとわかっていたら、別の仕事を目指していただろうな(笑)。十歳、十一歳の頃は、ほとんど理解できないながらも、ジェームズ・ボンドの小説を読みふけっていた。十二歳の頃にはトールキン、その後はマイケル・ムアコック(イギリスのファンタジー作家)を愛読した。そして十代でファンタジーを書き始めた。いわゆる「剣と魔法」モノと言われているような作品。当時十六歳だったけれど、書き始めたら筆が止まらなくなってしまって。あいにく、その時の原稿はとっくの昔に他の短編と一緒に処分してしまったけれど。語学学校の教師をしていたので引越し続きでね。トルコ、ロンドン、メキシコ。そしてまたロンドンに戻って……。十四年間も教師生活を続けていたあいだの、気に入らないことが積もり積もって爆発して(笑)、『オルタード・カーボン』が生まれたと言ってもいいかもしれない。

――『オルタード・カーボン』を書きはじめたのは?

『オルタード・カーボン』の執筆に取りかかったのは一九九三年。それまでは短編小説を書いては雑誌に投稿していたけど、さっぱりダメで。ところが『オルタード・カーボン』を書き始めて半年後くらいに、ロンドン在住の編集者から短編をもとに映画の脚本を書いてみないかと声がかかった。結局その脚本製作に一年半から二年くらい費やしてしまって。本当にしんどい仕事だった。そして一九九五年から再び『オルタード・カーボン』の執筆を再開し、九七年にようやく完成したんだ。

とにかく、出版業界に少しでもコネのありそうな人や、興味を持ってくれそうな人に、最初の五十ページを手当たりしだいに送ったところ、なかなか好評で、最後まで読みたいという希望が殺到した。気を良くして残りの原稿を送ったら、みんないらないと(笑)。不評でね。確かに最初の五十ページは何度も書き直しを重ねたけれど、残りの部分は詰めが甘かった。なんとか出版にこぎつけようと一年近くねばった末にようやくそのことに気づいて、スペインで一ヶ月缶詰になって残りの部分に手を入れ直した。それをロンドンに持ち帰って、九八年から九九年にかけてもう一度出版社に売り込みをかけた。
ストーリーがこりすぎていると感じる読者には、推敲前の作品のほうがお勧めかも(笑)。

スペインでは『オルタード・カーボン』の七割近くに手を加えた。大幅に推敲して、最初に持ち込んだ出版社と同じところを回ってみたけれど、二度も相手にしてくれるところはなかなかなかった。でも、念のためSF部門から手を引こうとしていたヴァージン・パブリッシングにも原稿を送っておいたのが命拾いになった。編集者からこんな手紙が送られてきたのさ。「すばらしい作品なので是非出版させていただきたいところですが、あいにく弊社はSF部門から撤退することになりました。出版に値する会心作ではありますが誠に残念です」。これを利用しない手はないと、この手紙を大量にコピーして原稿といっしょに送ってみた。そのお陰で出版エージェントもようやく本気で『オルタード・カーボン』を見直してくれて。あの手紙が『オルタード・カーボン』が世に出るきっかけとなった。ところが(積極的に作品を売り込む自信を与えてくれた)その編集者とはそれっきりになってしまって。一杯奢らなくちゃ、と思っているんだけれど。

出版エージェントから原稿の送り先が悪いのではとアドバイスされて、きちんと取り合ってくれそうな編集者や出版社を紹介してもらった。なかなか腕利きのエージェントでゴランツ(注:英オライオングループの出版社)にも売り込みをかけてくれて、数ヶ月もしないうちに出版契約にこぎつけた。まさにトントン拍子だったよ。十四年も悪戦苦闘したのが嘘みたいにね。ツキにも恵まれていた。ゴランツはとても優良な出版社だったし、心底SF好きなスタッフが揃っていた。出版社によってはSF部門を他部門へ異動するための腰掛け程度にしか考えていないスタッフも多いからね。その点ゴランツのスタッフは本当に良心的だった。

――生い立ちについて教えてください。

生まれはロンドンだけど、生後間もなくイーストアングリア(イングランド東部地方)に移り、そこで育ったんだ。一番長く住んでいたのはイーストアングリアかな。大学に進学するまで十八年近く住んでいた。まさに田舎そのもの、とてものどかな町だよ。家族でゆっくり生活するにはうってつけだね。一面の平地で特に美しい景観に恵まれているわけではなく、寒さが厳しいのが難だけど。父は洋服の製造業、デリカテッセン、ケルト音楽のミュージック・エージェント、配送バンのドライバーと転々と職を変えた。父親のことはすごく尊敬しているんだ。
学生時代はケンブリッジで過ごした。言語学を専攻したけど成績はさんざんで。結局一年後に歴史専攻に鞍替えして二年間政治史を学んだ。とても興味深い学問で楽しかったな。もちろん就職にはまったく役に立たなかったけどね。でも当時はすぐに作家になって、デビュー作がベストセラーになって、悠々自適の生活が送れるだろう、なんて甘い夢を見ていたな。

――でも、その夢はほぼ実現したと言えるのでは?

まあ、そうかな。思ったよりも時間がかかったけれどね。映画化権が売れたおかげで家も買えたし、旅行にもローンを組まずに行けるようになったよ(笑)。

――『オルタード・カーボン』の映画化のエピソードを。

製作スタッフが製作方針を一新することにしたので、検討期間が十八ヶ月延びることになった。最初に依頼を受けた脚本家がクビになってしまって。プロデューサーはジョエル・シルバー、配給はワーナー・ブラザーズでほぼ決まりのようだが、監督や配役は未定だ。実はついこの間、第三作目にも映画化の打診があって、こちらもワーナー・ブラザーズらしい。プロデューサーはジョエル・シルバーのような大物ではないようだけど。

(版権契約を交わしても必ずしも映画化されるとは限らないという裏話)
イギリスのSF作家のマイケル・マーシャル・スミスの『スペアーズ』という作品の版権をスティーブン・スピルバーグが十万ドルで買い取ったけれど、スピルバーグは四年間、毎年一作品ずつ原作の版権を買い続けたすえに、結局『スペアーズ』ではなく『マイノリティ・リポート』の製作に踏み切った、なんて話もあるくらいだから。それにしても「ちょっと違うな。他の作品を当たろう」とか言いながら、結局四作品に十万ドルを支払うなんて信じられないよ。

『オルタード・カーボン』の版権は十万ドルだけど、これはあくまでも十八ヶ月間の検討期間の手付金で、実際に映画化される場合には五十万ドルという話だった。ただしその場合、十万ドルが前払い金として差し引かれるはずだった。ところが今では、版権の十万ドルとは別に、映画化された暁にはさらに五十万ドル支払うと言ってきているんだ。しかも第三作『マーケット・フォース』にも同様の条件が提示されている。ハリウッドと価格交渉してくれたエージェントのお陰だよ。