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「バンビ原作事件」 ![]() 学クン: 前回まではだいぶディズニー側に分が悪い展開でしたけど、話の大前提をひっくり返すような反論があったとか。それはいったい? 吉本リーダー: ディズニー側が用意した反論は、ザルテンの原作が三つの理由からすでに「パブリックドメイン(public domain)」になっていたという主張なんだ。 学クン: え、パブリックドメインって著作権で保護されない映画やソフトウェアのことですよね? 吉本リーダー: 映画やソフトウェアだけじゃなくて、著作権で保護されない状態にある知的創作物一般を指すんだ。前回も言ったように1909年法で保護されるのは「著作権表示がある発行著作物」だけ。言い換えると「著作権表示がない状態で発行されるとパブリックドメイン」ということになる。ディズニー側はそこに目をつけた。 学クン: うーん、つまりディズニーはそもそもバンビの著作権はなかったと主張してきたわけですか。それなら自由に使えると。バンビの原作本に著作権表示はついてなかったんでしょうか? 吉本リーダー: 1923年にドイツで初めて出版されたときは著作権表示をつけていなかった。しかし、その後、1926年にドイツで再出版されたときには1909年法の定める通りに著作権表示をつけたんだ。 学クン: それならパブリックドメインかどうかは微妙なように思いますが、ディズニー側の言うパブリックドメインになっている「三つの理由」というのは何だったんですか? 吉本リーダー: 1)1923年に出版された原作本には著作権表示がついていなかったから。2)1926年に再出版された原作本には著作権表示がついていたけど、本来「1923年」であるはずの初版年を「1926年」と誤記されているから。3)仮に1923年時点で原作本の著作権が発生していたとしても更新期限(1951年)切れになっているから。 学クン: 万全の三段構えというわけですね。でも、ザルテンはわざわざ1909年法の要件に準拠しようとして1926年に再出版したんでしょう? 吉本リーダー: うん。実際、その翌年には「米国著作権局(the United States Copyright Office)」に著作権を登録している。 学クン: それでも1926年の表示は無効だと断定することができるのかなぁ。そもそも、訴えられてから「あれはパブリックドメインだった」と言い出すのはズルいような。 吉本リーダー: 確かにね。そこでツイン・ブックス側が主張したのが「禁反言(estoppel)」。 学クン: う、いかにも難しそうな法律用語。 吉本リーダー: そんなことないよ。この概念は君が言うような「ズルい」行為を禁じる考え方なんだ。要するに人が何かの前提に基づいて意思表示をしたら、後でその前提に反する主張は認められないということ。 学クン: なるほど。それは通常の信義や道徳心にも合致しますよね。ディズニー側はザルテンの遺族が著作権者であるという前提に基づいて契約交渉したわけだから、「原作はもともとパブリックドメインだった」とか、その前提に反する主張をすることは認められないということですね。 ![]() 学クン: で、裁判所の出した結論はどうだったんでしょう? 吉本リーダー: 結局、一審では、ディズニー側の言い分を認めて「原作本はパブリックドメイン」という判断を下したんだけど、控訴審の第9巡回区連邦控訴裁判所ではこの判断を覆している。 学クン: 禁反言の主張が認められたわけですか? 吉本リーダー: いや。禁反言の適用可否を問うことなく判決が下ったんだ。その決め手となったのは「属地主義(doctrine of territoriality)」という法理だった。これは自国の法を適用する範囲を自国領域内だけに限定するという考え方で、ツイン・ブックス側が1909年法の解釈論で提出していた主張を控訴審が認めた形になっている。 学クン: というと、この場合は1909年法の適用範囲をアメリカという国の領域にのみ限定するということですね。 吉本リーダー: そう。控訴審では、1909年法が「域外的効果(extra-territorial effect)」を持たない以上、1923年の出版は「未発行」として扱うべきだと判断した。つまり、パブリックドメインにはならなかったということだね。そして原作本は1926年の著作権表示を付した発行で初めて1909年法の著作権保護を得たのだと判示している。 学クン: 著作権保護されるなら、その後の更新や譲渡も有効になりますね。 吉本リーダー: うん。原作本は1926年の発行で著作権保護を獲得したのだから、28年後の1954年に権利更新したことも有効になる。ひいては遺族からツイン・ブックスへの権利譲渡も有効になったということ。 学クン: ディズニー側としてはかなり意外な展開だったんでしょうか。 吉本リーダー: そのようだね。実際、控訴審のこうした法解釈に対しては後々学者や連邦著作権局などから強い批判があった。しかし、最高裁まで行ってこれを覆すにはまた大変な時間と費用が必要になる。だからこの後ディズニーはツイン・ブックスと和解して『バンビ』の権利を買い取っている。 ![]() 学クン: 学者たちからの強い批判というのはどういう議論なんですか? 吉本リーダー: 1923年の出版でパブリックドメインになると見なさなかった控訴審の判断が間違っていたというんだね。 学クン: 属地主義をとるべきではなかったと。 吉本リーダー: いや。むしろ、パブリックドメインになっていたとする解釈は属地主義に反するものでなかったという意見なんだ。 学クン: うーむ。それはどういうことでしょう? 吉本リーダー: つまり、1909年法では、もし連邦法の保護をアメリカ国内で認めて欲しければ、どこの国の誰であっても著作権表示をしなさいと要求しているだけだと言うわけ。だから、発行された場所が米国であろうと外国であろうと、著作権表示をつけなければアメリカでパブリックドメインになるだけで、これは属地主義に反しないと。 学クン: 「発行」「未発行」と「パブリックドメイン」の関係がわからなくなって来ました。 吉本リーダー:
じゃあ、ちょっと整理しよう。1909年法下における著作権表示の有無と発行、未発行の関係は次の三つのケースに分けられる。 学クン: なるほど。今回の判決では、ドイツにおける2番目のケースを「域外の効果がないから」と言う理由でパブリックドメインとは認めなかったということですね。そして「未発行」と見なしている。 吉本リーダー: うん。批判者は、「域外」を云々するなら、ドイツにおける著作権表示ありの1926年出版(1番目のケース)を「発行」と認めておいて、同じドイツにおける著作権表示なしの1923年出版(2番目のケース)を「発行」と認めていないのはおかしいと言っている。 学クン: 「域外」という理由を恣意的に使っているというわけですね。 吉本リーダー: そう。もし米国、外国の別なく、著作権表示なしの出版を「発行」と見なすなら、この出版物はその時点で「パブリックドメイン」になると。だから批判者は今回のケースもパブリックドメインと判断するべきだったと主張するわけ。 学クン: なんだか議論はまだまだ続きそうな気配。 吉本リーダー: 何かと異論もあるけれど、少なくとも今回の事件が一つの「判例」になったことは間違いない。 学クン: 裁判の世界に単純な「めでたしめでたし」はないということですね。 次回は、正当防衛か否かが争われた「アイオワ義父殺人事件」を解説します。 |