翻訳の仕事獲得とスキルアップを応援する有料の会員制サービス
翻訳者ネットワーク「アメリア」

  読み物
 
 
   全5ページ
 
 
川副智子氏 vs. 田口俊樹氏

今回のゲストはフェロー・アカデミーの講師もしていらっしゃる川副智子さん。新刊の魅力を中心に、本に対する愛情をたっぷりと語っていただきました。

 川副智子(かわぞえ・ともこ)

早稲田大学文学部卒。英米文学翻訳家。主な訳書に『ミスター・セバスチャンとサーカスから消えた男の話』『サーカス象に水を』(以上、武田ランダムハウスジャパン)、『19分間』『わたしのなかのあなた』『ビリーの死んだ夏』(以上、早川書房)、『あたしはメトロガール』(ソフトバンククリエイティブ)など多数。

 

■不思議感いっぱいの
 『ミスター・セバスチャンとサーカスから消えた男の話』

田口:ここ3回、選んだが本がたまたま俺にあわなくて、その良さがあまりわからなかったんです。でも、俺のつっこみに対して擁護や反論が返ってきて、話としては面白かったんだよね。それで今回、きみの『ミスター・セバスチャンとサーカスから消えた男の話』を読んだわけだけれど、これは面白かった。面白かったんだけど、どういう小説なのかがわからない。そこを訳者であるきみに聞きたいと思って。

川副:そういう話なんじゃないですか。「この本、何だろう?」っていう。

田口:その不思議感?

川副:まず整合性がとれていないし、厳密に考えれば、誰が話しているのかわからないところもあります。

田口:そうそう、すごく矛盾してるよね。最初にプロローグで「これは日記です」と言ってるのに、本編が始まるとどう考えても日記じゃないし。

川副:その矛盾が面白いんですよ。

田口:そうなんだ。確かに不思議な魅力があって読ませるんだよね。「これは何なんだろう?」という感じで読み進めていって、最後にきみのあとがきを読んで「なるほど、これは哀しい本なんだ」と納得したんですよ。ありふれた哀しみがこんなにも切ない、そんな話なのかなとも思ったんだけど。

川副:アメリカの50年代の哀しみってあるじゃないですか。白人も黒人もみんな。そういう哀しみもあるし、登場人物たちの生い立ちの哀しみもあるし、それらをぜんぶ詰め込んだ話だと思います。

田口:50年代の哀しみって何? 俺なんかにとってはポップスの時代というか、豊かな白いアメリカというイメージしかないんだけど。カッコいい憧れの対象としてね。

川副:50年代はちょうど公民権運動が起こり始めた時期ですよね。作者ダニエル・ウォレスの地元でこの小説の舞台でもあるアラバマ州、つまりディープサウスと呼ばれるあたりは、絶対的な黒人差別があったうえに貧しい白人が多かった。そういう土地で、この時代になると黒人が世間的・社会的に少しずつ見えるようになってくるんです。この本はすごく人種差別の激しい町から物語が始まっていて、すぐに登場する3人の若者はまさにレッドネック、貧乏白人と言われている人たちです。彼らは自分たちよりもっと社会の下層にいる黒人たちをひどく毛嫌いしていて、それでいてタープという若者はいつも首から十字架をぶら下げて信心深かったりする。その辺が私には哀しかったですね。

田口:あの3人は哀しいよね。本当に教養がなくて、ある意味ステレオタイプ。ところが最後のほうでは3人のキャラが立ってきて、輪をかけて馬鹿なタープが実は心優しかったりする。タープは病気の母親にマジックを見せてやりたくて、主人公のヘンリーを連れてくわけでしょ? 仲間に「おふくろが死にかけてるなんて言うな」って言ったりしてさ。1人ひとりが「俺たち教養がないからこんなことになっちゃうんだ」みたいに感じてるようなところがあるよね(笑)。

川副: いや、彼らにはそれがわかっていない。だから私は彼らがすごく可哀想なんですよ。貧しくて無知で無教養で。

田口:そういう哀しさだよね。で、みんな哀しいの?(笑)

川副:哀しいんだけど可笑しい。サーカスってそういうものじゃないですか。

田口:哀しくて可笑しい、なるほどね。世の中はサーカスみたいなもんだと。

川副:サーカスのパフォーマーってやっぱり哀しいんですよ。この時代は特に見せ物だから。そういう哀しみをみんな持ってる。身体的にだったり、生い立ち的にだったり。

田口: 要はフリーク・ショーだよね。何か芸を持ってるわけじゃなくて。

川副:芸を持っていたとしても、落ちぶれたような人ばかり。そういう哀しい人たちをただ哀しく書いてもつまらないじゃないですか。でも、作者は残酷なところと面白いところと、ぜんぶ織り交ぜて書いている。そういうわからなさ、好みです(笑)。

田口:何を言いたいのかとか、そういうことは考えなくていいの? 

川副:そういう小説ではないと思いますね。感じ方は人それぞれ違うと思うんですけど、この小説は、こうだとはっきりさせたい人には「これ何?」で終わっちゃうかもしれない。

田口:でも最後は意外性があって、あのギャップはいいなと思った。

川副:いきなり話が現実的になる。

田口:ある意味、叙述ミステリっぽいよね。いろんな人に語らせておいて、ああいうオチを持ってくる。

川副:オチは現実的でも、登場人物は全員リアルなようでいて作り物くさい(笑)。

田口:それはあまり褒め言葉じゃないけど、きみはそういうのが好みなわけだ。

川副:納得づくめのヒューマンな話は好きじゃないんです。この本にもヒューマンな部分はいっぱいあるんだけど、話そのものはとりとめがなくて、でも読み終えたときに心に何かが残る。そんな話が好きなんですよね。

田口: この本の場合、それが哀しみだと。哀しさっていうのは、虚しさでもないし、イヤな感情でもないんだよね。人って案外、哀しみたがってたりもするから。そういう哀しみが描かれてるのかな。

川副:哀しみだけを取り上げればそうです。たださっきも言ったように、哀しみと可笑しさや面白さが表裏一体になってる。どんなに生い立ちが哀しくても、キャラクターとしては可笑しかったりするじゃないですか。

田口: そうだね。でもヘンリーはそんなに可笑しくないよ。真面目で。

川副: ヘンリーは面白くないですけど、まわりにいる人たちがね。私がいちばん印象深かったのはカステンバウム。初登場シーンで、大柄なヘンリーが彼を無視して歩いていくと、ちょこちょこ小走りで追いかけていきますよね、あれはもうマンガです(笑)。

田口: たしかに(笑)。そうすると、この小説は哀しくて可笑しい話、ということになるんですかね。いま生徒たちと読書会をやっていて、翻訳者をめざしているからにはただ「面白かった」では格好悪いだろうということで、「この本はこんな本です」と一言で言ってもらうようにしてるんです。当たっていようが見当はずれだろうが、それは構わないから思いつくまで考えてみなさいって。この本はどう?

川副:うーん、難しいですね。テーマということだったら、この作家の場合はだいたい父親との軋轢、確執なんです。ヘンリーもカステンバウムもほかのキャラクターにしても、父親との関係が描かれてますよね。

田口:ヘンリーと父親の話はそうだね。親父が落ちぶれて、その姿を見るのは子供として哀しいだろうし。で、カステンバウムのほうは親父が偉いんだっけ?

川副:成り上がり(笑)。

田口:そうそう。でも、はっきりした人生哲学を持ってて、カステンバウムにはよそよそしい。ビジネスライクで。

川副:呼び込みのJJにしても、父親はぼろ儲けしては賭けごとで一文無しになるということを繰り返していて、彼はそういう生活に嫌気がさして家出して、サーカスの呼び込みになった。そういうことが基礎的なこととしてぜんぶある。『ビッグ・フィッシュ』(注・著者の1作目で同名映画の原作)もそうです。

田口:なるほど、それは気がつかなかった。じゃあ、哀しい父と子の物語?

川副:違う(笑)。

田口:それじゃ話がまとまらないよ(笑)。逆にまとめなくていいの?

川副:この本ほど一言でこうだと言えない本はないんじゃないかと。実は2年ぐらい前に、通信講座のマスターコースでこの本を教材に使ってたんです。それ以前は『私の中のあなた』『サーカス象に水を』を教材にしていて、生徒さんはだいたい「いい作品をありがとうございます」って言ってくれてたんですけど、この本になったらすごくハマる人と「わからない、人に聞かれても説明できない」という人とに分かれたんです。だから、そういう本なんです。サーカスの本とまとめてしまってもダメだし、父と子の話だとまとめられるほど小さな話でもないし。

田口:父と子の話って小ちゃい?

川副:小さいです(笑)。


 

ページトップへ