【アメリア】対談の部屋2-1達人の翻訳以前
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対談の部屋
<第2回>   全5ページ

第2回 翻訳マエストロ 水上龍郎 vs. 翻訳探求家 吉本秀人

左から、水上龍郎氏 と 吉本秀人氏


 対談の部屋第2回は、長年にわたり技術翻訳の第一人者として翻訳者仲間から尊敬され、翻訳教育でも数多くの優れたプロフェッショナルを育てられた水上龍郎氏と、フェローアカデミー実務翻訳の講師でアメリア判例翻訳プロジェクトのリーダーでもある吉本秀人氏の対談です。今回はアメリアの室田もお二人の関係されたフェローアカデミーの教材BETAの編集を担当したご縁から対談に参加しています。translator’s translatorとして業界でつとに有名な“翻訳の達人”水上先生と、水上翻訳理論の“マニア&研究者”を自認する吉本先生の対談を読んで、翻訳の学習法から、翻訳者としてのあり方、生き方まで、いろいろなヒントを学び取ってください。

※2002年1月28日、水上龍郎氏が亡くなられました。ご逝去を悼み、心からご冥福をお祈りいたします。

1.達人の翻訳以前−「技術」より「文学」の日々


●「日本一の和文英訳者」


室田(アメリア):私が担当させていただいたフェローの実務基礎教材、BETA(以前のBETA24)は、当初水上先生がお書きになるはずだったんですよね。

水上:いやー、そうでした。

室田:でも、やがて水上先生がご多忙のために吉本先生との共著ということになり、最終的には吉本先生がお一人で書くことになったのですが。

吉本:最初、水上先生と交互に書かせていただくことになったときは、30になったばかりでしたし、それは夢のようでしたね。虫のいい話ですが、いろいろ学びながら書かせていただこうと思って。ところが、いつの間にか水上先生は執筆されないことに・・・。

水上:いろいろありましてね、あの頃。

吉本:それでまあ、心細いながらも開き直って、自分の好きなように書かせていただいたものを水上先生に監修していただいたわけですが、実にいい経験になりました。

水上:それは何より。お任せした甲斐があったというものです。

吉本:僕は水上先生に直接ご指導していただいたことは一度もないんですが、実務翻訳を本格的に学ぶ原点は先生の著書「工業英語入門」でした。翻訳で独立する前から趣味で翻訳関係の本をあれこれ読んでいて文芸翻訳の理屈はある程度分かったつもりになっていたんですが、翻訳の仕事を始めるためにビジネス英語、技術英語の勉強をしてみたらぜんぜん違う。とくに技術翻訳の主流は和文英訳で、水上先生のおっしゃる「食える英語」ですね。

水上:そんなことを言ってましたね。

吉本:和文英訳というと、学校時代の感覚では構文中心主義の英作文、「〜してはじめて〜する」→It is not until〜that〜のようなものしか身についていないわけです。ほとんど暗記科目に等しい。それが、先生の「工業英語入門」を読むと、日本語の断片から英語を作り上げるんじゃなくて、日本文の内容をとにかく消化し切ってからその内容に即した英文を作り上げる作業が和文英訳だと分かって、とても新鮮でした。

水上:私は「等価翻訳」と呼んでいましたね。英語でいうと、equivalenttranslation。ただ単語を置き換えただけでは、普通、等しい価値、内容を持つ翻訳にならないわけです。「三寒四温」をthree cold days and four warm daysと訳しても等しい内容にはならないので、たとえばSpring comes with timid steps.のようにする。英文和訳でも、その基本的な考え方は変わりません。

吉本:あの当時、専門誌に水上先生のことを「日本一の和文英訳者」と書いてあったんですよ。日本語を英語に訳す人というと、サイデンステッカーさんとかドナルド・キーンさんとか、文芸分野で外国の人しか思い浮かばないときに、この言葉には虚をつかれたような感じを覚えましたね。

室田:翻訳家でも翻訳者でもなくて、「和文英訳者」!

吉本:加藤周一さんなんかが、教養的な見地から、日本の翻訳は外国語から日本語への文化的「一方通行」が特徴とおっしゃってますが、実務の分野では水上先生をはじめとする「和文英訳者」がしっかりと「両面通行」を支えていた部分があるといいたい。

水上:まあ、そうたいそうな話になると汗顔の至りですが、悪戦苦闘しながらビジネスの現場で質の高い翻訳を心がけて来たのは確かなので、そのようなところに何がしか寄与したのならいいのですが。



● 実務翻訳以前−シェイクスピア、トリスバー、家庭教師

吉本:少し先生の「実務翻訳以前」についてお聞きしたいと思います。そもそも、先生の学生時代は実務翻訳とか産業翻訳といった概念自体がない頃ですね。先生は東京外語大の英米学科でオーソドックスな英語の勉強をされたわけですか。

水上:当時は戦後間もない英語ブームで、英米学科は大変な人気学科でした。ラジオ英会話で有名な小川芳男先生や辞書の権威岩崎民平先生といった方たちがいらして。

吉本:小川芳男先生は後に東京外語大の学長になられましたね。

水上:当時はまだ助教授で、発音学を教わりました。私の唇の前にマッチの火をかざして「pを発音して火が消えなければ転学しなさい」なんて言って脅すんですよ。

吉本:合理的な教え方のような、そうでもないような。

水上:とくに影響されたのは安藤一郎教授のシェイクスピア購読で、それから沙翁の作品にすっかり傾倒しましたね。あとで当時読んでいた「テンペスト」の原書を見たら、more betterのところに、double comparative, common in Elizabethan Englishなんてメモが書いてある。

室田:相当読み込んでいらしたわけですね。

水上:アメリカ現代文学を教わったのは、瀧口直太郎先生。

吉本:子供の頃に瀧口訳のカポーティ「冷血」やドイル「失われた世界」を読んで、何かすごく重厚なお名前だなと思ってました。当時は訳がいいとか悪いとかの観念はありませんでしたけど。

水上:瀧口先生は翻訳がお忙しかったのか授業はちょっと片手間のような印象がありましたね。で、私と仲間が先生に恐る恐る不満を訴えたんですが、おかげで学年末の成績は悪かったように記憶してます。まもなく、早稲田の教授になってしまわれた。

吉本:英作文の先生はどなただったんですか。

水上:大学の受験参考書で有名な海江田進助教授です。やはり当時は英作文を苦手とする学生が多かったんですが、こちらが英語をうまく書けないと先生に嘆くと、「書こうという気持ちがないのではないか、あるいは書こうという内容を持っていないのではないか」と叱責されましたね。いまだにこの言葉が胸に残っています。

室田:大学を出られた後はすぐに英語関係のお仕事に就かれたんですか。

水上:いや、ちょっと英語離れの時期があって、中央線あたりのトリスバーやらニッカバーで新しい友人たちと文学論議に花を咲かせていたんですよ。二年以上。仲間はいろいろいて、医学部のインターンやら、海兵帰りの堅物とか、歴史研究家とか、私のような得体の知れない無頼漢とか。

吉本:僕も大学出てから1年ほどブラブラしていた時期がありますが、こちらは映画会社狙いの就職浪人なんであまり無頼じゃないな。やっぱり酒におぼれないと格好がつかない。当時、先生は酒代をどうされてたんですか。

水上:家庭教師で、中高校生に英数国を教えていましたね。週6日、1日3家庭というペースだから、経済的には成り立つわけです。まあここで英語を教えていたというのが、わずかに英語のブランクを埋めていたといえばいえるでしょう。このときの人に教える経験というものは、後に活きたと思います。

室田:家庭教師が生業になってたわけですね。

水上:事実上はそんなもんですが、さすがに情けないと思って、齢25にして就職活動を始めるわけです。

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