【アメリア】対談の部屋2-5達人の少年時代
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対談の部屋
<第2回>   全5ページ

第2回 翻訳マエストロ 水上龍郎 vs. 翻訳探求家 吉本秀人
5.達人の少年時代−翻訳者に必要なのは「寄り道」


● 
少年時代、青年時代−知的な飢えと「知ったかぶり」の効用

室田:先生は昭和でいうと何年のお生まれでしたか。

水上:
7年です。

吉本:
大島渚と同じ。

水上:
石原慎太郎とか青島幸男といった人たちも同年の生まれです。

吉本:
先生が小学校の頃は軍国教育の時代ですね。

水上:
その当時はやっぱり軍隊に憧れました。陸軍は嫌いでね。海軍に憧れた。あの制服がよかったな。なんとか海軍兵学校に入りたいと思いましたよ。

吉本:
海軍兵学校は当時一番難しかった学校ですからね。

水上:
難しかった。でも、私の町内からは3人海軍兵学校に行ったんで教育が盛んな町だったんでしょう。

吉本:
昭和ヒトケタ生まれの人たちの多くは、小学校のときに軍隊に憧れて、戦後価値観がひっくり返ると共産主義に影響されますよね。先生もそうですか。

水上:
当時はやはりコミュニズム全盛の時代なので、やっぱり旧制中学時代はいろいろなものを読みましたね。大内兵衛とか河上肇とか。

吉本:
「貧乏物語」ですね。

水上:
そう。教師に「貧乏物語」なんて言われたって、最初はなんだかわからない。わからないから俄然読みたくなるんですよ。当時は本を買うときには、お金で買うだけじゃなくて手持ちの本と交換したりするわけですが、それで家にあった「昭和文学全集」と交換して。やっぱりそのような状況だと、本に対する飢えのようなものがありました。

吉本:
常盤新平さんとか、先生と同年配の文芸翻訳の方たちがよく言う戦後のペーパーバックに対する飢えに近いものがありますね。

水上:
そうそう、それと同じです。

水上:
マルクス・エンゲルスなんかでも経済関係の理屈なんていうのは難しいもので、ほとんど忘れてるんですが、おかしなもんで、詩的な表現や人生訓みたいな言葉を覚えてる。他の大事な部分じゃなくて。

吉本:
本の内容を新書的な解説で鳥瞰的に理解するだけじゃなくて、著者の言葉を断片として頭に入れるというのはすごく大切と思うんですよ。警句とか箴言なんていうものは、お仕着せの言葉としてじゃなくてそういう読書体験の中から自力で得るものでしょう。

水上:
あと、ハイデッガーなんて哲学者がいますね。

吉本:
「存在と時間」。岩波文庫で二分冊の分厚いのを買いました。悪戦苦闘して読んだ記憶があります。

水上:
たとえば、学生の時分、友人が急に「ハイデッガーは・・・」なんて話を始めるわけですよ。こっちはその時点でハイデッガーなんてぜんぜん知らないけど、「うん、そうかな」なんて知ったかぶりして曖昧にうなずいてる。それで、家に帰ってから、ハイデッガーの本を買って猛烈に1週間くらい勉強するんですね。で、次に会ったときには、「君、この間ハイデッガーについてこんなこと言ってたけど、この問題についてどう思う」なんて反撃しちゃう(笑)。

吉本:
知的スノビズムとうか、知ったかぶりの効用というのはありますね。少なくとも、若い頃は勉強しなくちゃと自分を追い込むきっかけになる。でも、いつまでも知ったかぶりしている人は救いようがない。


● 何でもやってやろう−「痴れる」ことの素晴らしさ

吉本:翻訳以外のお仕事でいうと、水上先生は、CSKの顧問をおやりになったことがありましたね。

水上:
機械翻訳の仕事を評価してくれというんで入ったんですが、あまり働かないのに相当な給料をもらうわけですよ。先ごろなくなった会長の大川さんに、先生はいてくださるだけでうちのプラスになるとありがたいことを言っていただいて。2年くらいで辞めようと思ってたんですけど、結局、5年もやりました。

吉本:
具体的にはどのようなお仕事をされたんですか。

水上:
コミュニケーション・シートというのをもらって評価をするんですが、正直に評価をすると開発している人たちの仕事がなくなっちゃう。だから少し下駄を履かしたりして。

室田:
当時の機械翻訳はどのようなレベルだったんでしょう。

水上:
有名な話で、「光陰矢のごとし」なんていう日本語を英語にしようったって、なかなか訳せない。逆に、Time flies like an arrow.という英語を日本語に訳すというと・・・。

吉本:
「トキバエ」が登場するわけですね。

水上:
「時蝿」とも「時間の蝿」ともいいますが、それが主語になってしまう。そのトキバエがarrowをlike「好む」と。すなわち、「時蠅は矢を好む」となるんです。

室田:
前衛詩みたいですね。

吉本:
そのような欠陥を克服するためには、句や文をまとめて覚えさせるしかない。

水上:
ですから、機械翻訳のシステム構築なんて、スペインのサグラダ・ファミリア教会の建設みたいなものだと言ったことがあります。少しずつ進行はするがいつまでも完成しない。少なくとも、いつ完成するか分からない。

吉本:
翻訳を学習していると、ときどきサグラダ・ファミリアの建設現場にいるような気がすることもあります。

水上:
翻訳の勉強なんて、本当はあちこち寄り道するのがいいんです。さっきお話したハイデッガーなんていうのは、普通、実務翻訳に関係ないと思われているけど、そうではない。あらゆる本を没頭して読むことで自分の頭の中に奥行きができるんですよ。私は、「痴れる」という言葉が好きなんですが。

吉本:
「この、痴れ者!」なんて叱り言葉で使われてますけど、とにかく何かに夢中になったり耽溺することを示す言葉ですね。あれこれと好奇心を持っていろいろな物事に「痴れる」のは大切でしょう。

室田:
「酔い痴れる」とも、いいますし。

水上:
私はよく、「常識」が大切だと言ってるんです。妙な話、「結婚」も常識、「離婚」も常識。結婚していない人間には「結婚しろ」、結婚した人間には「離婚しろ」と言ってる(笑)。

室田:
肝に銘じます。

水上:
やっぱりinstructorとして翻訳を教える立場になると、そういういろいろな常識が手がかりになって思わぬところで役に立つことがあります。

吉本:
受講生にはいろいろなバックグラウンドを持つ人がいますからね。いろいろなからめ手から攻めないと懐に入れない。

水上:
あと、とにかく、歴史から学ばないとダメです。何に関しても、歴史を学び現場を見る。そこで物事の根本のイメージをとらえる。たとえば、ローマに行っても、トレビの泉がどうですね、とかそんなことしか言わないのはダメでしょう。

吉本:
立体的な認識を持たなければいけないということですね。しかもそれをいろいろな角度から見直す柔軟性も必要。

室田:
今日は、お二人とも貴重なお話をありがとうございました。

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