【アメリア】対談の部屋4-3翻訳家までの道のりは十人十色
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対談の部屋
<第4回>   全5ページ

第4回 ミステリ翻訳界の二人の雄
3.翻訳家までの道のりは十人十色

田口:会社を辞めてから、教員試験を受けて、高校の教員になりました。教員にはなったのですが、三川と違って大学4年間、全然英語の勉強をしていなかったから実力がないわけです。高校の教員にぎりぎり受かる程度の実力しかない。洒落にならないんですよ。教員のくせに、良くできる生徒とあまり差がない。それが情けなくて……。もっと引き離したいと思い、英語の勉強をし直す意味で翻訳をやろうと思ったんです。第一の動機が"英語の勉強をしたい"ということで、それからモノを書くのが好きだったということもあって、趣味と実益を兼ねられるかも知れないってね。高校の頃、親しかった同級生が早川書房という出版社で編集をやっていて、声をかけてみました。それが、やってみると、『こんなに面白いものなのか』という発見があってね。最初の頃は、ミステリマガジンという雑誌から、毎月短編が送られてきました。それが楽しみでね。そういう時期でしたね。

--初めて翻訳を仕事としてなさったのは、いつ頃ですか。

田口:原稿料をもらったのは1977年です。ちょうど今年で25年かぁ。高校の教員をしながらです。翻訳でメシが食えるなんて、本当、思っていなかった。ただ、教員だけも、なんかつまんないなあって。だから最初は、ちょうど良いのが見つかったっていうぐらいの感じだったんですよ。その調子で10年ぐらいやっていると、ちょうどバブルの時代がやってきて、他の出版社からも仕事が来るようになりました。教員と翻訳と天秤に掛けて、好きな方、つまり翻訳をとったということですね。

--それからは翻訳一本ですか?

田口:自分にそんな資質があるとは思えないんだけれども、人を教えるという星に生まれ付いたのか、ちょうど教員を辞めようと思ったときに、フェローから手紙が来たんですよ。講師をやりませんかってね。こんな知りもしない人に講師やりませんかなんて、随分いい加減な学校だなと思ったんですよ(笑)。すると、翻訳者年鑑のようなものがあって、それに僕の学歴や教員をしていたことなんかも書いてあって、それを見たみたいですね。こっちにしても渡りに舟みたいなところがあってね。(高校教師を)パッと辞めるのもちょっと不安だったわけですよ。定収入がなくなるわけだから。ちょうどいいなと思って。37歳の頃でした。

--そして、仲違いしていたふたりが再会されたのが1993年、43歳の頃ですね。

三川:そうです。その20年振りに会った同窓会の席で、「じゃあ、翻訳でもやるか」って言われたんです。最初は、そんな簡単に言ってもいいのかなと思いましたね。何と返事をしたのか覚えていませんが、「そんな大それた事できない」とか、そんなことを言ったと思います。でも一方で、副収入が必要だったので、まぁ、編集者を紹介してくれるのなら、ダメかも知れないけど、やってみようかなと。それから、じわじわと「楽しそうだなぁ」という気になってきました。僕は、翻訳本は読んでいませんでしたが、ずーっと英語のペーパーバックを読んでいました。今、翻訳してるような本を、ずっと読んでいたんです。訳したことはなかったけれども、訳させてもらえそうな本は読んでいたので、「もしかしたら……」という気持ちで、だんだん夢が膨らんでいって、そしてトライアルを受けて、仕事をもらえることになったんです。

田口:いろんな理由で翻訳を始める人がいると思うけれども、離婚手当てを払うために翻訳を始めたというのは、珍しいと思うんですよね。

三川:"お金のため"という純粋な動機ですよ。

--いま、三川さんのなかでは、翻訳はどういう位置付けなんでしょうか?

三川:思い返してみると、僕は英語読むのがとても好きだった。1日が終わると、1杯飲みながら、2、3時間好きな本を読むということをずーっ続いてきていたんです。一方で英語を勉強し、一方で英語を楽しんでいた。それが結びついて、翻訳業に携われるようになった。なんか出来すぎているみたいですけれども、今思うと、なるべくしてなったというか、本当に幸せだなあと思うんです。

--読むことと訳すことというのは、やはり違いますよね。

三川:ええ、ですから、最初はできるかどうか自信がなかった。最初に雑誌に掲載する短編を訳させてもらって、それから1年以上、次の話がなにも来なかったんです。会社の事情もあったらしいのですが、僕はやっぱりダメだった、通用しなかったのかなあと。でも、1年後ぐらいからポツポツと仕事の依頼が来るようになって。まあその裏では、田口がいろいろと口添えしてくれたりしているんですけどね。

田口:三川のよかったところは、英語がよくわかっている。それに、大学教授にありがちなように、翻訳をなめてかかっていない。それがよかったんじゃないでしょうかね。最初の翻訳は、ちょっと硬いというか、手なれていないところが正直ありました。でも、慣れるのが早かった。僕はフェローで教えてもう10年以上になりますから、翻訳家志望の人を何人も見て来ました。やはり、基本的な英語力、それが大きいと思います。よく、「翻訳は日本語が……」っていう人がいるけど、英語があまり解っていないから、日本語の力でなんとかしようとするわけです。本当に英語を理解できていれば言葉はわりと出てくるものですよ。そういうことを、こいつの足跡を見ていて思いましたね。

--おふたりは翻訳への入り方が、全く逆パターンのようですね。田口さんは英語を磨くためで、三川さんは英語力は確かだった。田口さんは日本語を書くことに慣れていたが、三川さんは読書といえば洋書、日本語の本はあまりお読みになっていなかった。お話を聞く限り、性格もどちらかといえば逆という印象を受けます。ご本人はどのように感じていますか?

三川:やはり田口は、日本語を表現したいというのが根っこにある。ちゃんと表現をしていきたいという思いが強いみたいですね。僕は、むしろ無色透明になって、原文をそのまま伝えたい。そういうスタンスが、言葉の端々に出ていると思いますね。

田口:当たっていると思いますね。僕はわりと批判に弱いんです。何か言われると、結構、頭にきているんです。コイツは何を言われても屁のカッパ。だからコイツに表現の曖昧なところなんかを指摘されるとね、ちょっと頑固になってしまう。ちょっとは反省しましたけどね。

三川:翻訳の勉強のつもりで、田口の訳本を読むわけですよ。そうすると、これは原文と比べて、ちょっと違うんじゃないかなと思うところがあって、そう言うんですよ。本当に違っているときは「(指摘してくれて)ありがとう」って言ってくれるんですけれども、もうちょっと踏み込んで、「ここはこういう表現でいいの?」と先生に聞くつもりで言っていたんですが、コイツは怒るので、もう言うのは止めました。

--でも、そういうことが言えるのは、中学の時からの親友だからであって、お互いにすごく貴重な存在なのではないでしょうか。。

田口:そりゃそうですね。

三川:今や貴重な存在ですね。

田口:今やね。

三川:もうすぐ、40年の付き合いになるんでしょう。

田口:途中、抜けているけどね(笑)。なかなかいないですね。

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