【アメリア】対談の部屋7-1集結!技術英語の雄、水上龍郎の弟子が語る
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対談の部屋  
<第7回>  全4ページ

第7回 集結!技術英語の雄、水上龍郎氏の弟子が語る
 

『対談の部屋 第2回』にご登場いただいた水上龍郎氏は2002年1月にご逝去なさる直前まで、25年間もの長きに渡って東京、大阪で技術英語研究会を主宰なさっておられました。水上氏がお亡くなりになられた後も、その遺志を引き継ぎ、技術英語研究会は存続されています。
 今日は、技術英語研究会より5名の方々にお集まりいただき、水上氏から学んだ技術英語について存分に語っていただきました。


 ・プロフィール

鈴木 弘明 氏   (写真左上)
音響・映像機器メーカーの研究開発部門において、室内音響の研究、音楽スタジオ、劇場の音響設計などに約25年従事。現在は、DVDの諸規格を生み出しているDVDフォーラムのオーディオ・ワーキング・グループWG-4の議長。1977年に水上龍郎氏を講師に迎えて技術英語研究会が発足した時からのメンバー。現在は同研究会で講師の一人を務めている。

堀 滋雄 氏     (写真右上)
総合電器メーカーに25年間勤務。フィールドエンジニア(カーオディオ関係の現地での技術指導)として世界中を巡回。その間ベトナムとサウジアラビアに駐在。退職後、関連会社で技術資料作成および海外工場向けスペックの翻訳等に従事。技術英語研究会は 1986 年に入会。

仲吉 洋一 氏   (写真下中央)
特許事務所に勤務して30年になる。化学分野の日英翻訳を中心に、特許全般の英語に関するアドバイザでもある。現在、技術英語研究会の講師と千葉大学工学部の非常勤講師を兼任。日本工業英語協会発行の季刊『工業英語ジャーナル』において「特許明細書における論理性の重要さ」というタイトルで連載中。

岡本 康男 氏   (写真左下)
ソフトウェアメーカーでランゲージスペシャリストとして、技術翻訳やローカライズの言語品質にかかわるサービスやサポートに従事して約7年。以前は、フリーランスで技術翻訳やテクニカルライティング、OA機器メーカーで国内外向けマニュアル制作なども経験。現在、技術英語研究会の幹事。

長島 香寿美 氏 (写真右下)
1993年にフェロー・アカデミーのカレッジ・コースで翻訳の勉強を始め、翌94年に実務翻訳チェッカーの仕事をしながら故・水上龍郎氏のゼミを受講。ゼミ修了後、同氏の経営する(株)スマーテックで実務翻訳の仕事をスタート。現在、同社のシニアトランスレータとして主にIT分野の翻訳に従事。技術英語研究会は95年に入会。



多くの人を惹きつける技術英語研究会とは

人それぞれ、技術英語研究会との出会い


鈴木
:水上先生が技術英語研究会(以下、研究会)をお始めになったのは1977年の秋ですが、私は創立当時からのメンバーですから、この中でもいちばん古いことになります。ということで、今日は私が司会を務めさせていただきたいと思います。まず始めに、皆さんが研究会に入られたきっかけを教えてください。

:私も結構古いんですよね。これを機会に調べてみたら1986年でした。実は入会する前に、会社で技術英語の勉強を始めていたんですよ。もう定年退職いたしましたが、当時私は電器メーカーに勤めていました。社員向けの技術英語の講座がありまして、それを受講していたんです。その頃は、まだ水上先生の存在は知りませんでした。たまたま仕事関係の知人のなかに研究会のメンバーがいまして、「将来定年退職になったときに、英語をしっかりやっていたら、再就職に困らないよ」ということで、研究会に誘われたんですよね。私が48歳ぐらいの時だったかな。それで研究会のメンバーに入れていただいたというわけです。

仲吉:私の場合は、雑誌で勉強会の存在を知りました。『工業英語』という雑誌が70年代に創刊されて、その連載コラムで水上先生が添削教室というコーナーを担当されていたんです。その頃、私はもうすでに特許事務所で翻訳者として働いていたのですが、それとは別に普通の技術英語というのにも興味があったものですから、その添削教室の応募したんですよ。そしたら、「今回の最高得点でした。27歳でこれだけ書ければ文句ないです」というお誉めの言葉をいただきまして。先生は誌面によく登場されていたので、経歴は存じ上げていました。出身大学など経歴が私と似ていたので、何となく片思いをしていたんですよね。その先生からそんなコメントをもらったものだから嬉しくて。1977年に研究会が立ち上がったということを誌面で知って、その翌年に入会しました。

鈴木:片思いの相手に初めて会ったときの感想は?

仲吉:初めての研究会の日、私は、ワクワクして待っていました。先生は白いワイシャツ姿で、颯爽と現れました。まだ髪もあったしね(笑)。非常に溌剌としていらっしゃいましたよ。私は1981年から理系の大学に行くためにいったん辞めるんですけどね。4年後にまたカムバックしました。それからずっと続いています。カムバックしてからのほうが長くなりましたね。

鈴木:一般の翻訳教室でも4年や5年といったら、かなりの長さですよね。普通は1年ぐらいで卒業して、別の勉強をしようというふうになりますが、研究会の場合はそうはならなかった。そこがすごいなといつも思っているんですよ。

:鈴木さんは卒業しなさいとは言われなかったの?

:言われませんでしたよ(笑)。

:何人かは卒業しなさいと言われた人がいると聞いたことがあるんですけど。

鈴木:そうそう。特に卒業の決まりはなかったのですが、先生が「君はここまでのレベルに達したのだからもういいでしょう」と言い渡した人が、確か2人いたと思います。仲吉さんは、その第1号だったんですよね。

仲吉:私の場合は追い出された感じですよ(笑)。大学入学という私の都合で退会せざるをえなかったので、ちょうど良い機会だという感じでね。でも、その後また入会しましたから。それだけ先生には魅力というか、力があった。

岡本:私の研究会在籍期間は合計3年ほどですが、初めてメンバーになったのは、25年前の大阪の研究会が発足したときです。2年ほどでやめて上京。その後、先生とは仕事がらみでお付き合いはありましたが、先生の講義を受けたのはフェローの水上ゼミで1年間だけ。そして、東京の研究会のメンバーになったのが昨年7月です。

鈴木:さて、だいぶ古い人たちの話をしてきましたが、長島さんは研究会に入ったのも新しいですよね。きっかけは?

長島:私が初めて先生にお会いしたのは、実はフェロー・アカデミーなんです。フェローに水上ゼミというのがあって、その最後の年、1994年の受講生でした。一年間、フェローのカレッジ・コース(全日制)で勉強した後、2年目にどの授業を受けようかとフェローの担当者の方に相談したら、「おすすめの先生がいますよ」って、水上ゼミを紹介されて。その頃はまだ普通の生徒でしたけど。

(全員笑う)

鈴木:普通の生徒っていうのは?

長島:授業に出て、終わったら真っ直ぐ帰る。先生と直接話をすることも、ましてや先生とお酒を飲むこともなかったという意味です(笑)。1年間のゼミが修了したときに、先生が生徒全員を飲みに連れて行ってくださったんです。でも、みんな先生の隣を遠慮していたので、私が思い切って隣に座り、その時初めて個人的に言葉を交わしました。「今、あなた何やってるの」って聞かれて、当時はフェローで紹介していただいた翻訳会社でチェックの仕事をしていたので、そう答えると、「私の翻訳会社の試験を受けてみる? 明日来なさい」って言われて。それで、先生が経営されていたスマーテックに常駐翻訳者としてお世話になることになり、それと同時に研究会にも入会して、今に至るというわけです。

●絶対に誰の訳文も否定しない、愛情溢れる授業

鈴木:長島さんは、水上先生の他にいろいろな先生から翻訳を教わった経験があるわけですが、水上ゼミに入って、水上先生の授業はいかがでしたか。

長島:すごく面白いと思いましたね。なんていうか、水上先生の授業は今まで受けたどの授業とも違っていました。途中で挫折をして来なくなる生徒がほとんどいないんです。当時の水上ゼミの仲間から研究会に入った人が結構いるんですが、今でも何人も残っています。

鈴木:皆さん、そのように感じていますよね。私も振り返ってみると、先生の授業を初めて受けたときは、ビックリしましたよ。自分は小さいときから英語は好きで、少しは英語ができるつもりでいた。まだ若い頃ですから、鼻っ柱も強かった。でも、先生の授業を聞いて初めて、自分がわかっているつもりでいた英語なんて全然問題にならないと思いましたね。例えば、前置詞ひとつとっても「こんな意味だったのか」、冠詞ひとつの使い方も「こうだったのか」と。本当に、その時、初めて本当の英語に触れたという気がしました。

:私もそうでした。私の場合、60歳の定年まではフィールドエンジニアでしたから、自分で翻訳をするということはなかった。自分で翻訳をし始めたのは60歳を過ぎてからで、まだ4年ほどしか経っていないんです。ですから、まだ本当に幼稚な英語しか書けていません。今後は、先生の教えていただいたことをもう一度見直して、良い英語を書いていきたいなと思っています。

鈴木:仲吉さんほど英語ができる方でも、先生の授業を20年近く受け続けたということは、それだけ魅力があったということなんでしょうね。

仲吉:みなさんご承知のように、私の仕事は特許でしょう。特許というのは、口の悪い人に言わせると、面白くもなんともないものなんですよ(笑)。厳密に、正確に、一定の技術レベルの人であれば、間違いなく一つの方向に、一つのポイントに収れんする、そういう訳が要求されるわけですから、それは仕方がないんですが、そういうことをやっていると欲求不満になるわけです。特許英語以外のものも味わいたくなる。しかし、自分の仕事が忙しいなかではそれができない。だから、先生が授業をなさると聞いたとき、どういうふうに教えてくれるのかなって、興味津々だったんです。それで、実際に授業を受けてみたら、先生の教えてくださる技術英語は、特許をやっている私にも非常に面白いわけですよ。特許ほどガチガチでないにせよ、やはりマニュアルというものは、正確無比な翻訳が要求されます。ところが正確に書きながら、なおかつネイティブにピンとくるような文章っていうのは、なかなか書けないんですよね。先生がよく『等価の翻訳』とおっしゃっていましたが、"日本語としての価値、中味をそのまま自然な英語で置き換える"というのは容易なことではないんですよ。そういうことを、そういう発想の転換といったことを、研究会では学んできたんだと思うんです。

鈴木:そうですね。先生の授業は奥が深かった。

仲吉:えぇ、初級者でも、中級者でも、上級者でも、自分のレベルなりに学ぶものがあった。そういう意味で先生というのは、どんな人の目的にも答えられる幅の広さがあったような気もしますね。生徒が黒板に自分の翻訳を書いた時に、それがどんなに間違いの多い訳であっても「これはダメです。正解はこれです」ということは絶対になかった。それがいちばん簡単なんですが、先生は違った。必ずその人の訳の良いところを見つけようとしてくれた。

鈴木:水上先生の研究会が始まる前にも、何人かの先生に来ていただいて、月に一度研究会を開いていたことがあるんですよ。生徒が書いた英訳に間違いが多ければ、他の先生の場合、生徒の答えにはバツを付けて、隣に自分で持ってきた正解の訳文をバンと書いちゃうんですよ。そうすると、書いてきた人にとっては何も残らないんですよね。どこが、どうダメだったのかわからない。これでは勉強は続きません。そういう意味でも、水上先生ほどの教え方ができる人っていうのは、少なくとも私は他には知らないですよ。

仲吉:それは、教える立場になって、非常によくわかるんですよね。難しいですよ。どんなものもけなさずに、良いところをなんとかして見つけようというのは。何て言うのかなあ、書いている人に対する愛情なのかなあ。とにかくひとつ言えるのは、先生は人間が好きだった。だから、誰かが一生懸命書いた以上は、この人の意欲をかって、少しでもいいものがあれば、それにスポットをあてて褒めてあげる。書いた人を、いい気持ちにさせるんですよね(笑)。

鈴木:本当に先生は褒めるのが上手でした。もちろん、お世辞とかじゃなくて、本当に先生自身がそう思って褒めてくれる。何か良いことがあっても、一緒になってすごく喜んでくれましたよね。みんなに対してそうだったでしょう。研究会のメンバーのひとりが言っていました。「みんな『自分が先生に一番好かれているんじゃないか』って思っている」ってね。当たっていますよね。先生は我々に対して本当にそういう接し方ができる人でしたね。

:そうです。先生は実にうまく直される方でした。その人の文章の個性に合わせて直してくださるんです。必ず第一声が「よく書けているんです」、その後に「が……」とくるんですよね。そこからが恐怖なんですけどね(笑)。でも、全然嫌みなく直してくださる、納得いくような直しかたをしてくださる。それは本当にそうでしたよね。直し方がうまいからなんですよね。

仲吉:すぐに立ち直れる直し方。

:そうですね。そうじゃなかったら、「もう俺辞めた!」って言っていたと思う。そもそも才能があるわけじゃないんだから。おそらく私はですね、水上先生じゃなかったら、こんな続かずにとっくの昔に辞めて、英語の道には入っていなかったんじゃないかと思うんですよ。本来エンジニアですから。それが今は英語で食べていますから。先生のおかげだと思っています。
 
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