アメリア会員インタビュー


守井 悦子さん

第129回

いろいろな働き方ができる翻訳の世界守井 悦子さん

Etsuko Morii
在宅とオンサイトで翻訳の実績を積む

加賀山 :本日は、20年近くフリーランスで実務翻訳にたずさわったのち、現在は企業の翻訳部門で働いておられる守井悦子(もりい えつこ)さんにお話をうかがいます。
 さっそくですが、実務翻訳をなさるようになったきっかけは何でしたか?

守井 :大学では英語学科で、在学中にアメリカ留学もしましたが、経済、とくに国際金融に興味があったので、経済学部のゼミを聴講しました。就職活動のときに、その担当の先生が外資系の銀行を紹介してくださったので、まず卒業後はそちらに就職。マーケティング部門に配属になりまして、そこで財務諸表の見方など、基本的な知識を独学で学びました。

加賀山 :新卒でそのまま外資系の銀行というのは、ハードルが高くありませんでした?

守井 :英語専攻ですから、直接外資系の銀行に就職する人もわりといましたね。ただ、いきなりマーケティングというのはハードルが高かったのです。ふつうは、オペレーションのほうで伝票処理など事務的なことをひととおり学んでからマーケティングに移るのですが、私の場合には最初からでしたので。ちょっと泳ぎを習った人がいきなり荒海に放りこまれたような。(笑)

加賀山 :外資系金融というと、仕事がすごくたいへんというイメージもあるのですが、じつのところどうなんでしょう。

守井 :いまはそうかもしれませんが、当時はこれからバブルというころで、景気もよくて、職場環境も穏やかでした。
 新卒で入社して、同じ銀行の大阪支店の開設にたずさわったりしたのですが、その後主人の母の希望もあり、会社を辞めて家庭に入ることになりました。でも私の中で働きたいという気持ちが強く、「家で仕事をするならよかろう」と、在宅の仕事を探しました。
 その際思いついたのは、英語関連か、税理士でしたが、税理士の勉強を始めてみると、難しいうえにあまりおもしろいと思えなかったんですね。そこで翻訳だったらやれるかなと、どちらかというとうしろ向きな感じでのスタートでした。

加賀山 :仕事はどうやって見つけました?

守井 :最初は未経験でしたので、まず翻訳学校の通信講座で学び、終了後にジャパンタイムズに掲載されている求人に応募し、トライアルを受けて仕事をいただきました。当時はネットの求人情報などありませんでしたから。

加賀山 :そこから始まって、だんだん増えていった。

守井 :はい。そんなふうに在宅で働きはじめたのは1990年でした。その後、出産・育児で一時中断したあと2004年から2007年は翻訳会社でオンサイトの仕事をしました。

加賀山 :在宅から会社勤務になったのですね。どういう経緯でその翻訳会社に勤めるようになったのですか?

守井 :在宅で働いていたときに、そちらから翻訳を依頼されたことがあったのです。当時は定収入がほしかったので、同じ会社がアメリアを通じてオンサイトのコーディネーターを募集していたときに応募してみたところ、「このまえ翻訳をしてくださった守井さんですね。クライアントに評判がよかったですよ」と言ってくださって、すぐに来てくださいということになったのです。それで翻訳コーディネーターの仕事を始めました。

加賀山 :そこから3年間、会社で働かれた。

守井 :はい。でもコーディネーターには向いていなくて(笑)、すぐに翻訳専任になりました。そこで、金融レポート、ホテル運営会社のホームページ、IT系の資料など、あらゆる分野の翻訳をしました。
 しかし、2007年に家族の介護が始まって会社勤務が難しくなったので、また在宅に戻ったのです。

加賀山 :そのあとも継続的に仕事はありましたか?

守井 :在宅で働いていたあいだ、つねに何かしら仕事はありました。常時お仕事をいただいていた翻訳会社は3社ほどでしたが、各社のコーディネーターさんと良い信頼関係が築けていたことも、継続してお仕事をいただけた理由の一つかもしれません。受注が重なり、納期を融通してもらったり、手いっぱいで、残念ながらお断りすることもありました。

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