アメリア会員インタビュー

中山 桂さん

第135回

専門分野から着実に仕事の幅を広げてきた金融・経済の翻訳家中山 桂さん

Katsura Nakayama

財務会計の知識をフルに活かす仕事から

加賀山 本日は、金融・経済分野の実務翻訳でご活躍の中山桂(なかやま かつら)さんにおいでいただきました。さっそくですが、いまのお仕事の内容からうかがえますか?

中山全体的には、英日の翻訳がだいたい7割、日英が3割です。
 日英はほとんど財務系で、日本企業の有価証券報告書、財務諸表、株主招集通知など、法定開示文書(金融商品取引法と会社法によって公開会社に義務づけられている情報開示)が中心です。
 英日のほうは、投資銀行の調査レポートやヘッジファンドの運用報告書、投資家向けプレゼンテーション資料等が4割くらい、あとは金融会社のプレスリリース(CEOによる従業員向けレター、社外向け決算報告)、監査法人による会計指針等の情報提供資料などですね。金融関係の契約書の翻訳依頼もあります。

加賀山 こうした仕事は毎月入ってくるのですか?

中山レポートなどは毎月ですが、監査法人の資料などは年に4、5回、突発的に入ってきます。
 有価証券報告書は、決算日から何日以内に開示しなければならないということが法律で決まっているので、その期日内に日本語の法定開示書類が出されます。海外の投資家はその英訳を待っていますので、3月決算が多い日本企業の日英翻訳の仕事は、5月が非常に忙しくなります。

加賀山 ちょうどいまごろですね。お仕事はご自宅でなさっているのですか?

中山はい、すべて自宅です。もともと翻訳を始めたきっかけは、会社で産休に入ったことでした。家ですごす時間が増えたので、すでに持っていた会計の資格を活かせるかなと思って応募してみたところ、採用していただいたのです。

加賀山 出産、育児がフリーランスのきっかけになるかたが、けっこういますね。

中山その最初の仕事が財務監査の日英翻訳で、かなり専門的でした。翻訳の技術より専門知識が必要とされる、どちらかというと機械翻訳に近い仕事でしたが、最初がそれだったので、この調子で続けられるんじゃないかと思いこんでしまって(笑)。しばらくは、そのような専門的な仕事だけを選んでやっていました。

加賀山 むしろ正確さが大切で、あまり日本語の表現をいじってはいけない分野かもしれません。それは翻訳会社から入ってくる仕事でしたか?

中山複数の翻訳会社から依頼していただきました。翻訳そのものの知識があまりなくてもやっていけそうだと思ったので、財務会計という分野に絞って開拓していったのです。
 ところが、金融にはサイクルがありまして、2008年のリーマンショックのようなことがあると、いっせいに仕事が来なくなってしまう。そこで初めて、これではいけない、真剣に翻訳を学ばなければという気になって、まずJTF(日本翻訳連盟)が主催したセミナーのビデオを購入しました。子育て中でセミナーなどに出席することが難しかったのです。そのビデオの講演者が、金融関係の実務翻訳家の鈴木立哉さんでした。

加賀山 以前、このコーナーでもお話をうかがって、たいへんおもしろいかたでした。

中山それをきっかけに「鈴木教」に入信しまして(笑)、アドバイスどおりアメリアにも入り、トライアルをいろいろ受けて、仕事が金融・経済全般に広がったのです。
 ただ、金融・経済だからということで依頼が来ると、財務会計以外の内容も増えてきます。一口に金融といっても、中心的な内容が契約や為替のものは、その専門のかたにやっていただいたほうがいいかなとか、ビジネスのなかでも政治関連のことはちょっとわからないといったことがありまして、いまは内容を選択しながらお引き受けしています。
 ビットコインなど金融工学の知識がふんだんに問われる内容も、得手不得手が分かれる分野かもしれません。

加賀山 お仕事は次々と入ってくるのですね。金融関連の翻訳が全体として増えているということでしょうか。

中山実務翻訳のなかでも、金融に含まれる範囲がすごく広いということがあると思います。特許や医薬などの特殊な分野を別にすれば、ビジネスでお金にかかわらないことってほとんどありませんから。これからこの分野をめざすのであれば、その広い範囲のなかに、かならず自分に合ったところ、強くなれるところが見つかると思います。
 たとえば、経済レポートなどでも、モノのインターネット(IoT)とか、モバイル、医薬、AI、そしてESGですとか、金融のなかで扱われるトピックが増えています。

加賀山 ESGというのは?

中山環境・社会・ガバナンスの頭文字を取ったもので、この3つの側面から企業活動を評価するという試みです。
 たとえば、スーパーマーケットが店舗で賞味期限切れの食糧廃棄を減らすためにどのような取組みをしているかとか、住宅関連会社だったら森林伐採にどうとりくんでいるかといった点ですね。そういう面での企業の取り組みが投資に影響を与えるようになってきました。これは社会的責任投資(SRI)として、近年非常に注目されてきています。

加賀山 従来の金融翻訳の枠組み以外に、関連分野の裾野が広がっている。

中山そうですね。SRIに注目した投資では、ESGへの取り組みが積極的な企業が投資対象として評価されます。したがって、企業がこれまでよりもESGに対する取組みを積極的に開示するようになっています。
 たとえば、本社をエコ推進型ビルに建て替えた(環境)とか、社外取締役に女性を登用した(ガバナンス)など、自社の取組みを活発に社外に発信するようになってきています。
また、日本の企業もグローバルなESG関連団体に参加しつつあります。こうした加盟企業が活動に関する情報を開示しはじめていますので、ESG分野の仕事は英日、日英ともにこれから増えていくと思います。

金融のゼネラリストから翻訳のスペシャリストへ

加賀山 最初は外資系投資銀行にお勤めで、次に日系の銀行。経歴を拝見すると、さまざまな部署を経験されていて、そのまま金融のプロでもやっていけるように思えるのですが、翻訳に興味を持たれた理由は何でしょう。

中山金融のプロというと、ものすごく数学ができるとか、何かの技術があるとか、特定の商品に非常に詳しいといったイメージですが、私はどちらかというとゼネラリストでしたので、「金融のプロ」という意識はそれほどなくて、むしろ自分の得意分野を持ちたいという思いがありました。
 大学の専攻が発展途上国の開発経済で、「海外」と「金融」は常に頭のなかにありましたので、日本の資格だけでなく英語で取る資格にチャレンジしました。そうしているうちに自分の強みが生かせて、マイペースでできる仕事ということで、翻訳に行き着いたんだと思います。

加賀山 なるほど。外資系の金融というと、わりと早く転職するようなイメージがあるのですが、7年間いらっしゃったんですね。

中山中途採用のかたは短期間で転職することが多いのですが、新卒のゼネラリストとして採用されると、いろいろな部署に異動して、比較的長く勤めます。私もそのときどきで人手が必要な部署などに何度か移って、自分にはあまり専門がないなと思っていたときに、たまたま営業で担当していたお客さんが国内で銀行を立ち上げて、いっしょにそこで働かないかと誘ってくださったのです。しかも、バイサイドの運用(株式や債券などの金融商品を販売会社から購入して運用する仕事)をやらせてくれるというので、その銀行に転職しました。

加賀山 でも、考えてみれば、いくつかの部署を渡り歩いた経験は、翻訳にすごく役立ちますよね。

中山そうなんです。浅く広くいろいろなことを勉強したことが、いまの仕事に活きています。

加賀山 やはり長い目で見て、合理的な道を選ばれているのだと思います。そして産休を機に、財務会計の翻訳を始められた。

中山はい。翻訳会社の仕事に応募するときに、最初は翻訳の仕事の経歴がない履歴書を送るしかないんですが、そこで資格を見てもらえたのは大きかったです。USCPA(米国公認会計士)とCFA認定証券アナリストの資格を持っていたので、翻訳の経験はなくても、その部分の技能を判断して仕事をくださったのだと思います。
 それまで、資格負けしてるよねと言われていたのですが、初めて資格が役に立ったと思いました(笑)。

加賀山 会計士になろうとは思わなかったのですか?

中山思いませんでした。そもそもなぜCPAを取ったかというと、外資系投資銀行に在籍中に、日本の金融機関が保有している海外の金融資産の買い取り業務に携わっていたことがきっかけです。海外金融資産の買い取り価格を売手である日本の金融機関に提示するわけですが、価格はその資産のキャッシュ・フローにもとづいて算出されるので、米国の財務諸表が読めないと売り手に値付けの説明ができなかったのです。そこで、どうせ勉強するなら資格を取ってしまおうと。
 でも、当時は日本で試験を受けられなかったので、極寒のアラスカで受験しました。白夜で夜も明るく、ほとんど眠れませんでした(笑)

加賀山 隔世の感がありますね。いまは翻訳専業になったわけですが、どんなところに仕事のやりがいを感じますか?

中山たとえば、日本の金融専門雑誌の記事を日本語で読んでも、ジャーゴン(その分野の人のみが理解できる専門用語)が多く、一般の人には何を書いているかわからない文章がけっこうあるんです。英語から日本語に直訳しただけの翻訳ではもっとそうなってしまう可能性があるわけで、そこをいかにわかりやすい日本語にするかということを、最近よく考えています。
 英語の専門用語を日本語の専門用語に置き換えるだけでは、いちおうお金はもらえるけれどプロの仕事ではない、ということに、やっと気づいたというか(笑)。

加賀山 金融・経済の分野ですと、もとの英語がかなり難しいんでしょうね。

中山そういうときもありますが、英語のほうが論旨ははっきりしている場合が多いので、それをきちんと日本語にすれば、充分読みやすくなると思います。
 たとえば、法定開示文書で事業内容を説明する場合、日本語だと1文が7、8行続いていることがあって、英訳するときにすごく困るんですけれど、アメリカでは平易に書くことが推奨されていて、証券取引委員会(SEC)からはプレイン・イングリッシュに関するハンドブックが出されています(https://www.sec.gov/reportspubs/investor-publications/newsextrahandbookhtm.html)。
 米国の証券会社はこのハンドブックにもとづいて記載する義務があり、そのため日本の法定資料よりもずっと読みやすいんですね。それを翻訳すれば、日本語でもかなり読みやすくできるはずなのです。

最新ニュースはしっかり押さえておこう

加賀山 仕事の新規開拓はどうされていますか?

中山皆さんと同じように、アメリアに登録してトライアルも受けていますが、おととし、育児から多少手が離れたのもありまして、養知塾という寺崎徹哉さんが主宰する財務会計専門の翻訳スクールの説明会を訪ねてみました。
 結局スクールには入らなかったのですが、そのとき知り合ったかたがたと仕事や勉強に関して様々な情報や意見交換をする機会をいただき、やはり家にこもっているより外に出たほうが仕事に結びつくのだなと実感して、翻訳関連のセミナーなどに少し顔を出すようになりました。

加賀山 出版翻訳でも人のつながりが大事なんですよ。

中山そうですね。翻訳は家でできる仕事だということで、こもりがちになるんですが、そうすると新しい仕事も来ないし、成長もできないかなということはあります。

加賀山 いまは着実にキャリアを積んでいらっしゃいますが、今後取り組みたい分野はありますか?

中山金融の勉強がまだまだ足りないと思っているので、そこをしっかり勉強したいのと、たとえばIRでも、法定開示文書だけでなく、これからもっと広がっていくと思うんですね。ESGの観点から見ると(上述の環境やガバナンスといったこと以外にも)従業員がどれだけ育休をとったかとか、地域でのごみ拾いに企業として参加したとか、女性がどれだけ働きやすい職場かといったことが、投資家から見て重要になってくる。なぜかといえば、最終的にそのように従業員が充実感を得て、生きがいを見出しながら働ける会社は、投資家にとって成功する投資先だからです。
 そうして裾野がどんどん広がると、IRとPR(一般大衆向けの広報)の垣根があいまいになります。翻訳はもっと読みやすく、わかりやすいものが求められるようになる。投資家層も、機関投資家だけではなく、一般個人投資家もどんどん増える。専門用語だけでなく、消費者に分かりやすい、広告で使われるようなことばも取り入れる余地は大いにあると思います。

加賀山 たしかにそうですね。翻訳のスキルアップのためになさっていることはありますか?

中山毎日、英語の原書と日本語の訳書を音読して、英語の文法書も定期的に読んでいます。鈴木立哉さんの「翻訳ストレッチ」ですね。鈴木さんは1日5分でいいとおっしゃっていたはずですが、ご自身は1時間ぐらいになるときもあるようで。
 ただ、5分で切るこの方法のいいところは、毎日続けられることです。以前は1章まとめて読んでいて、今日は時間がないからとパスすることが多かったんですが、最初から5分と決めていれば、途中でやめることが前提なので気になりません。この訓練は、続けることが大事なので。
 あと、ウォーキングしながら英語のヒアリングもします。

加賀山 具体的には何を読んでおられますか?

中山いま読んでいるのは、ハワード・マークスの『投資で一番大切な20の教え』(日本経済新聞出版社)ですね。そのまえは、『脱線FRB』(日経BP出版)を読んでいました。 ヒアリングは、CFA協会の“Take 15 Podcast Series”という金融関連のトピックスに関するインタビューを短くまとめたポッドキャストや、TED(カンファレンス)、ブルームバーグ、BBCニュースなどを聞きます。じつは20数年ぶりにTOEICを受けようと思っていまして、いま勉強中です。対策用のテキストを買ってきたら、アメリカ以外の英語がわからなくて困りました。

加賀山 え、アメリカ以外の英語が出てくる?

中山最近はグローバルになっていて、イギリスとか、カナダ、ニュージーランドの英語もリスニング問題として出題されます。発音を聞きちがえそうなところがわざと問題になっているのです。

加賀山 それは知りませんでした。今後、金融関連の翻訳に取り組みたいというかたがたに何かアドバイスをいただけませんか?

中山直近のニュースを把握しておくことは必須ですね。金融の翻訳では、フィクションなどとちがって、答え合わせができるのです。私からすれば、フィクションのように「答えがない」ものを翻訳するのはとても怖い。
 たとえば、レポートに出てきた経済指標の数値は、調べればわかります。原文に書いてあることはだいたい検証できますが、必要な情報やニュースを知らないで、英文の字面に引っ張られると、反対の意味に解釈してしまうこともあります。
 最新データを把握しておく努力は、たとえば英検1級の資格がなくてもできることですから、市況にしろ、誰がいつ辞任したか、誰がハト派で誰がタカ派かといった情報にしろ、ロイターやブルームバーグなどのサイトで常にチェックしておくことです。原文の情報がまちがっていることもありますし。

加賀山 とくに金融レポートなどでは、専門家が書いていないケースもあって、原文のまちがいを翻訳者のほうから伝えることもあると聞きました。

中山そうですね。あと、専門家になるほど詳しく説明しなくてもわかるだろう、という不親切な文章を書きがちです。先ほど申し上げたジャーゴンがふんだんに盛りこまれた、前後の文脈が金融業界の人間にとって「当たり前」との前提で説明されていないケースも多いです。金融だけで見ても、翻訳する分野は広がっています。訳文で「事実」をまちがえてしまうとアウトなので、ニュースはしっかり押さえておきたいです。

■銀行にお勤めのころにリーマンショックがあったということで、「ハゲタカ」業務の話で盛り上がりました(私は大いに勉強になりました)が、残念ながらここには書けません。どんな分野でも、専門のことをわかりやすく教えてくれるプロの話は本当におもしろいものだと思いました(ご自身は謙遜しておられますが)。
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