アメリア会員インタビュー

三島 健司さん

第141回

法律知識を武器に翻訳の世界へ三島 健司さん

Kenji Mishima

裁判所書記官から条例立案まで

加賀山 本日はとくに企業の法務、総務分野の実務翻訳でご活躍の三島健司(みしま けんじ)さんにお越しいただきました。プロフィールを拝見すると、裁判所にお勤めだったそうですね。

三島はい、最初は事務官として入ったのですが、試験に合格して書記官になり、研修を受けたあと2年ほど勤めました。

加賀山 書記官というのはどういう仕事ですか?

三島法廷で裁判官のまえに何人か座っていますね。あれが速記官と書記官です。速記官のほうは、法廷内のやりとりを一言一句記録するのですが、書記官は、法律上必要な要件を書き留めます。それが調書になり、証拠として扱われるのです。書記官の仕事には、ほかにも一般のかたの手続き相談や、裁判官の補佐的な調査業務があります。私が担当していたのは、法廷立ち会いと手続き相談でした。

加賀山 勤務先はどちらでした?

三島最初は最高裁でしたが、書記官研修所を卒業してからは、簡易裁判所で民事も刑事も扱いました。

加賀山 その仕事をされながら、翻訳を学ばれたのですか?

三島いいえ。裁判所から民間に転職しまして、地方自治体の、たとえば条例立案の仕事を請け負うような会社があるんですが、そういうところで働きました。あとは学生時代にバンドをやっていましたので、音楽方面に進むことも考えたり。ですので、英語は大学受験のときには得意科目だったのですが、30年ほどほとんど触れる機会もなく、翻訳という仕事も考えたことがありませんでした。

加賀山 そこから翻訳をやろうと思われたきっかけは何でした?

三島じつは体調を崩しまして、会社を長期で休むこともあり、自宅でできる仕事はないだろうかと探したのです。家内も外で働いていますので、子供の世話をする必要もありました。
 そのとき、たまたま広告で、ある先生の翻訳通信講座が目にとまりまして、文芸翻訳でなく産業翻訳という仕事があることを知り、「だめもと」で受講してみたのです。1年ほど学んで上級講座に進み、これならなんとか仕事にできるかもしれないという感触を得た。それがきっかけでした。

加賀山 法務のバックグラウンドという強みもありますからね。

三島そうですね。特許は特殊分野ですから別として、ほかにも法務関連の翻訳の需要はあると思いましたし、通信講座の先生からも、最初は分野を絞って仕事を探すことを勧められました。そこで、ひたすらトライアルを受けました。

加賀山 トライアルはネット経由で探したのですか?

三島はい。アメリアに登録しておりましたので、主にアメリアの求人案件を中心にトライアルを受けました。最初は5、6社受けてすべて不合格でした。それが今年の初めごろから、ぽつぽつと受かりはじめて――――

加賀山 仕事は最初から入ってきましたか?

三島合格してもすぐに仕事は来ませんでしたが、今年の4月、ある翻訳会社さんから急に大口の仕事が定期的に入るようになりました。手当たり次第にトライアルを受けたあとで、最終的にいまの大手の会社とつながりができて、ラッキーでしたね。
 それから、仕事をするたびにアメリアのプロフィールを更新していたおかげかもしれませんが、今度は外資系の翻訳会社からスカウティングのメールが来たのです。「経歴を見ました。活躍できそうなのでトライアルを受けてみませんか」という内容でした。分野は法務も含めたビジネス一般で、いろいろ細かく分かれていましたが、いずれのトライアルにも合格することができました。
 というわけで、現在の仕事は、メインが大手の翻訳会社、それにときどき外資系の会社からの小口の依頼をお受けするといった感じです。

加賀山 それでだいたい毎日、仕事の時間が埋まるくらいの依頼になるのですか?

三島そうですね。外資系の会社からはもっと分量の多い仕事の打診もあるのですが、いまの段階で最初の翻訳会社の仕事と両立させるのはむずかしいかなということで、少し控えめにしてもらっています。現時点ではまだ体調面の不安もあり、これ以上の無理はしないようにとの思いもあります。

加賀山 トライアルになかなか受からなくて、あるときから受かりはじめたというのは、何がどんなふうに変わったんでしょう。

三島全般的に実力がついたのかな。挑戦しつづけたことで、いわば千本ノックみたいに実力がついたような気がします。見直しの精度も上がりました。

加賀山 千本ノック(笑)。

三島特別な勉強はあまりしませんでしたが、連戦連敗のときにTOEIC受験をめざしたことがあって、単語や文法の総復習をしました。あと、『翻訳力錬成テキストブック』(柴田耕太郎著/日外アソシエーツ)という問題集を読み進めて、それが3分の2ぐらいまで来たところで合格しはじめましたね。
 でも、おそらくいちばん大きかったのは、英文の法律文書のパターンが見えてきたことです。法務関連の文章はだいたいどれも長くてむずかしいんですが、共通するパターンがいくつかあって、先が読めるようになってきた。それが全体のレベルアップにつながったと思います。
 さらにつけ加えれば、トライアルをいくつも受けている途中から、申し送りのコメントを積極的に残すようにしたのです。文法がどうこうというより、ここは直訳するとこうだけれども、法律的な文脈ではこうしたほうがいい、というような指摘です。そのあたりが評価されたのかもしれません。

加賀山 そこに「法律のプロ」が垣間見えたのかもしれませんね。

外資系企業は効率的?

加賀山 受けたトライアルは、すべて法務だったのですか?

三島法務だけではなく、総務もありました。もともと法務と総務は重なるところがあって、たとえば就業規則などは、法律上の問題でありながら人事の領域でもある。

加賀山 ああ、そういえば、会社ではよく総務部のなかに法務課があったりしますね。すると、いまのお仕事はビジネス全般でしょうか。

三島そうですね。多いのは公的な文書、たとえば、海外機関の特定法務分野の公式書類などです。PDFのファイルが送られてきて、けっこうな量になります。あとは契約書、定款、社内教育用のマニュアルのようなものも訳しています。それから、機械翻訳のポストエディットをすることもあります。

加賀山 いま機械翻訳はいろいろな分野で検討されていますね。法律関連の翻訳の精度はどうですか? それこそパターンが蓄積されれば、うまく訳せるような気もしますが。

三島比較的短めの文章などで、すごくはまっていて驚かされるときもありますが、法律特有の持ってまわったような、かつ専門用語の入り混じった長文の訳ということになると、全体的にはまだまだ改良の余地があるように思います。
 さらに、法律文書では、たとえば同じandでも「および」と訳すべき場合と「ならびに」と訳すべき場合があります。両者のニュアンスは同じでも、これらを正確に訳し分けないと原文の正確な意図や論理構成を日本語に再現することができず、最悪の場合には法的な結論まで変えてしまう。そのような細かい訳し分けが、機械翻訳ではうまくできていないように思います。

加賀山 なるほど。ちなみに、外資系の翻訳会社というのは、日本の会社とは勝手がちがいますか?

三島メールなどの連絡が全部英語なので苦労します(笑)。日本のかたがあいだに入る場合もありますが、たとえば、先日はポーランドの人から突然依頼されたりしました。
 その会社のトライアルに合格したあと、研修のようなものがあったんです。翻訳者用に独自のオンラインシステムを導入しているのですが、それの説明動画がすべて英語で困りました。読み書きはできますが、リスニングもスピーキングも苦手なので……。
 それでもひとつずつ質問しながら、使い方を憶えていきました。最初は翻訳そのものより、システムの操作方法とか、先方の指示を正確に把握することのほうがむずかしかったですね。

加賀山 ワードで訳文を作成して、メールに添付して送る方式ではないのですか?

三島ちがいます。画面の左右に原文と訳文を並べて翻訳を進めていく方式で、操作ボタンなどもすべて英語です。じつは、もう一方の日本の翻訳会社さんのほうも専用システムを使っていまして、これは、ワードでベタ打ちして提出する場合もあれば、所定のファイルで作成してシステムにアップロードする場合もあります。

加賀山 いろいろあるんですね。

三島外資系のほうは、たいていそのシステムで仕事をしますから、オフラインだとはかどりません。
 慣れるまで苦労しましたが、逆に働きやすい面もあります。考え方が合理的というか、ドライというか、24時間いつでも依頼してきて、できないと答えれば、じゃあまた今度、というふうに商談も早い。システムの扱いに慣れさえすれば、すごく効率がいいと思います。訳しているあいだ、いま何パーセント完了していますということがバーで表示されるんですが、それが100%になると本当にうれしくて(笑)。
 仕事の入り方としては、私の名前で直接依頼されることもありますし、入札方式で複数の登録翻訳者にメールが来て、早く手を上げた人が仕事を獲得する場合もあります。

加賀山 報酬は1ワードごとですか?

三島はい、通常の翻訳案件ではどちらの会社もワード単位です(ポストエディットなどでは独自のレート算出方法で提示されますが)。もう少し実績を積んだら、レートの交渉もしようと思っています。本格的に翻訳の仕事を始めたのは今年の4月からで、まだ駆け出しですから。

加賀山 でも、そう考えると、完全にフリーになってからの出だしは順調でしたね。

三島去年のいまごろは連戦連敗でしたから、たしかに現在の状態は想像もつきませんでした。

英語からではなく、法律知識から

加賀山 ふだんスキルアップのためにしているようなことはありますか?

三島だいたい納期がきついので、いまは仕事以外の勉強になかなか手がまわりません。外資系の翻訳会社は、翌日までとか、極端な場合には数時間で訳してほしいということもありまして。

加賀山 それはたいへんだ。

三島ただ、専門書はつねに横に置いてあります。ときどき英文契約書の訳し方とか解釈に焦点を当てた本も読んでいます。最初は、それまでの知識とまったくちがう、新しい発見ばかりでした。shallひとつとっても、契約書で義務的な意味合いを持たせてかなり頻繁に使われることなんて知りませんでしたから。
 あとは通常の検索に加えて、有料の〈ジャパンナレッジ〉というデータベースを活用しています。たとえば、契約書に出てくるIT関連用語なども、ウィキペディアを当てにせず、正確な情報を利用したいので。

加賀山 たしかに。今後の計画のようなものはありますか?

三島これから1、2年は修業といいますか、お金をいただきながら勉強もさせてもらって、数をこなし、そのあとレートの交渉をして、もうちょっと年収を上げたい。それからまったく別の話として、いつか文芸翻訳もやってみたいです。
 通信講座の先生から、産業翻訳にかぎらず、翻訳では日本語力が、英語力と同じかそれ以上に大事だと言われたことがあったんです。そのとき、日本語力には自信があったので、チャレンジしてみようと思いました。法律文書の日本語はもちろん書けますが、もともと文章を書くこと自体が好きで、表現にもこだわります。翻訳という仕事のやりがいもそこにあると思います。

加賀山 もしかして、小説家をめざしていたとか?

三島考えたこともあります。でも、題材がなかなかないんですね。あることはあっても、多くの場合そこには「モデル」となる人物がいて、それを書くと当の本人には見せられない(笑)。かつてそういったことで最高裁まで争われた有名な事件もありますしね。

加賀山 いきなり直木賞をとったら、ばれてしまう(笑)。そういう意味では、文芸翻訳はいいかもしれませんね。原作という元ネタがあって、こちらは表現担当なので。
 フリーランスからまた会社勤めに戻ることはなさそうですか?

三島そうですね。いろいろ経験してきましたが、現在もなお体調への配慮を要する身でもあり、体力面からもいまの生活が向いていると思います。自分さえ元気なら、いわゆる定年の年齢をすぎても続けられますし。

加賀山 法務分野の翻訳に興味のあるかたに、アドバイスをいただけないでしょうか。やはり法律知識は必須ですか?

三島必須ですね。私の場合には、30年間、英語に触れる機会がほとんどなかったのに、いまこうして翻訳の仕事をしている。元来日本の法律は、概念などを英米法からかなり輸入していて、根本的な発想が似ているのです。あちらは訴訟社会ですから、反論の余地をぜったいに残さない、水も漏らさない書き方をします。だからどうしても細かく、長くなりますが、日本では、そこから行間を読めるところはカットして取り入れている。あるいは日本人のお人好しさゆえの無頓着からそうなっていることもあるのかもしれませんし、和を重んじる民族特性から必然的にそうなっていることもあるのかもしれません。
 いずれにせよ、そのような「根本的な共通点」と「相違点」のようなものが、翻訳の経験を積むうちにわかってきました。だから日本の法律の知識は非常に役立ちましたし、逆にその経験がないと、ちょっとこの仕事は厳しいと思います。

加賀山 なるほど。たしかにそうですね。

三島ですので、たとえば私の知人にも、なかなか司法試験に受からなくて苦労している人がいますが、彼なんかはひょっとすると、法務分野の翻訳の仕事に向いているかもしれない。「試験」に向いていないだけで、法律知識はありますから。ほかにも、会社の法務をやっていたかたとか。日本語の表現に興味があれば、めざしてもらいたいですね。
 個人的には、やったことがそのまま目に見えるかたちで人の役に立つところが気に入っています。サラリーマン時代には、いずれ誰かの役に立つんだろうけど、どう役立つかは直接見えない仕事が多かったので。
 生活面では、納期がハードでも、毎日のスケジュールを自分で管理できるところがありがたいですね。「フリーランス」のことばどおり、心が自由なのがいちばんです。

■翻訳者というと、英語が好きとか、英語に関連した仕事がしたいというふうに、英語から入るかたが多いのですが、法律知識と日本語から入ったというのは興味深いし、頼もしい感じがしました。いつか余裕ができて、執筆活動や音楽活動も再開できますように。
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