アメリア会員インタビュー

漫画も仕事の糧に

加賀山 :職業として翻訳を選んだきっかけは何でしたか?

田村 :大学では児童文学を専攻し、卒論のテーマはC・S・ルイスの『ナルニア国ものがたり』でした。その後大学院に進み、同時に翻訳学校にもかよいはじめました。大学院卒業後は研究室でアルバイトをしたり、事務の仕事をしたりしながら翻訳学校にかよいつづけ、しばらくしてリーディングの仕事をいただくようになり……という感じでこの道に入りました。お恥ずかしながら、会社員はまったく経験していません。

加賀山 :翻訳学校というのは、中田先生に習っていた時期ですね。

田村 :初めのころは坂崎先生のクラスにいました。あとから知ったことですが、坂崎先生ご自身が中田先生のお弟子さんだったのです。違うクラスにも行ってみたら、というアドバイスを受けて、それで中田先生のクラスに入りました。厳しいことで有名な授業で、そこで鍛えられていまに至っています。翻訳学校にかよったのは4年間ぐらいでしたが、以来昨年まで個人的な勉強会にも参加していました。

加賀山 :翻訳の仕事をするようになってからも勉強会に出ておられたのですね。クラスは何人ぐらいでした?

田村:最大で30人ほどだったと思います。中田先生はつねづね、横のつながりを大事にしなさいとおっしゃっていて。当時の仲間とはいまも忘年会や暑気払いの会でよく顔を合わせています。
 翻訳は孤独な仕事ですから、こういうつながりがあると心の支えにもなります。私が仕事を始めたころはパソコンではなくワープロを使っていて、原稿はフロッピー渡し、調べ物は図書館、携帯電話もありませんでした。いまはメールで原稿を提出したり、著者に直接質問をしたり、本当に便利になりましたが、直接顔を合わせて話をすることが減っていますし。

加賀山:小さいころから本好きだったとか、海外文学に親しんでいたということはありますか?

田村:親が岩波少年文庫など、古典文学をあれこれ買い与えてくれたので、小学校時代には日本のものも海外のものもよく読みました。子供心に初めてガツン、ときたのはミヒャエル・エンデです。とはいえ、なぜかドイツ文学には進まなかったのですが、中学1年生のときには、作文で「翻訳家になりたい」と書いていたようです。

加賀山 :そんなに早い時期に……。

田村:作文にそんなことを書いたにもかかわらず、中学から高校にかけては活字の本より漫画ばかり読んでいました。とはいえそれも、台詞とか、キャラクター造型といった面で、じつはずいぶん翻訳のためにもなっていると思います。抽斗に入っている人物像が増えるというか。子供のころもっといろんなジャンルの漫画を読んでいれば、もっと抽斗が広がっていたのではないかと思うくらいです。

加賀山 :好きな漫画家は誰ですか?

田村:いまは『3月のライオン』や『ハチミツとクローバー』の羽海野チカさんがお気に入りです。昔からのバイブルは三原順さんの『はみだしっ子』。ちょっと屈折したところがありますね。明るい作品も好きですが、少し影のあるものに惹かれます。思えば、アイルランドやウェールズの雰囲気も、どちらかというと「陽」より「陰」ではないかと。

加賀山 :ホラーもお好きだそうで。

田村:一昨年、100年以上前のちょっとおどろおどろしい『エイルマー・ヴァンスの心霊事件簿』(アトリエサード)という本を訳しました。シャーロック・ホームズふうだけれど、少し毛色がちがうという感じのホラーミステリーです。私は勝手に「ノスタルジック・ホラー」と呼んでいますが、哀しくて、この世に未練を残して死んだ人がでてくるような、日本の幽霊話に少し近いかもしれません。
『ナイトランド』という雑誌では、ときどき短篇を訳させていただいています。不気味なものを訳すのは、じつはなかなか楽しいです。漢字に怪しいルビを振ってみたり、とか。

加賀山 :なんとなくお好きな路線がわかってきました。中田先生にもそういう方面のお仕事がありませんか?

田村:ありますね。たとえば、『オーメン』(河出書房新社)を訳されていますし、『ブランヴィリエ侯爵夫人』(白順社)の著書もあります。

 
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