岡 敬子さん
医薬系の日英翻訳にたずさわる専門家
プロフィール
これまで4ヵ国10都市に住んだ経験や、製薬会社の営業・開発での経験を活かして、英訳専門の医学翻訳者として活躍中。
高校卒業後そのままアメリカの大学へ
加賀山 :今日は三重県南伊勢町にお住まいの岡敬子(おか けいこ)さんにお話をうかがいます。医薬関係の日英翻訳をされているということですが、英語圏での生活が長かったのですか?
岡 :高校を卒業してすぐアメリカに留学しました。その後は見ているメディアも友人たちとのやりとりも英語が多いので、かなり「外国人」脳になっているかもしれません。
加賀山 :日本の大学を受験しようとは思わなかった?
岡 :出身地が自動販売機もないくらいの田舎ですから、大学に進学する人も少なく、英語が好きだったので単純に「渡米」に憧れていたんですね。せっかく行くんだからできるだけ日本語を使わないところがいいと思いました。留学の支援機関に手伝ってもらったりして、大学のカタログで、アジア人比率がいちばん少なかったオハイオ州の大学を選びました。
加賀山 :プロフィールの経歴にはニューヨーク市立大学とあります。オハイオ州から移られたのですか?
岡 :そうです。オハイオで2年学んで、そのあと編入しました。
加賀山 :すごい……全部自分で計画を立てて実行されたんですね。ご両親が心配されたのでは?
岡 :ですよね。いま思うと、17、8の娘がアメリカに行きたいというのをよく許してくれたなと思います(笑)。
加賀山 :結局、何年ぐらいアメリカにいらしたんですか?
岡 :5年ですね。途中で2回、専攻を変更しました。
加賀山 :ニューヨーク市立大学を卒業して、帰国後、製薬会社に勤められたのですね。MRというのは、Medical Representative?
岡 :そうです。製薬会社の営業で、自社の薬の情報を医療機関に正確に伝える仕事ですが、今はお医者さんもネットなどで自分で調べられますから、MRの役割は、おもに医療機関に頻繁に顔を出して良好な関係を保つというところでしょうか。特に日本独自の営業カルチャーがあるので、顧客とより友好な関係を保つことが、最新の医療情報を提供するということより、重要になることが実際は多いですね。
そのあと別の製薬会社に転職して、今度は開発のお手伝いをしました。精神科領域だったので、精神科で扱う薬の治験をデザインしたり、精神科領域では日本を代表する著名な先生方と相談して、評価項目のスケールを決めたりする部署でした。たとえば、うつ病などの薬の治験では、血糖値や血圧と違い、血液検査で数値を元に薬を評価することが難しいので、治験の評価項目を何にするかが重要になるのです。
さまざまな薬事申請関連資料を英訳
加賀山 :お仕事の内容についてうかがいます。すべて英日ではなく日英の翻訳ですか?
岡 :最近、アメリカの企業と日本の製薬会社を結ぶ仕事で通訳や、少し和訳も始めましたが、それ以外はすべて日英です。
加賀山 :プロフィールの実績にある「薬事申請関連資料」というのは、海外での申請に使う資料でしょうか?
岡 :おもに製薬会社のグローバルチームが日本の治験を把握するためのものでして、FDA(アメリカ食品医薬品局。日本の厚生労働省に類似)への申請用ではありません。ただ、たとえば日本がまず申請して、そのあとアメリカで申請するようなことがあれば、日本のデータが重要ですから、FDAが参考資料として提出を求めることはあります。
基本的には、グローバルでおこなわれる治験の関連資料はすべて英語でまとめられますので、日本の書類を英訳しなければなりません。
仕事風景
加賀山 :「薬事申請関連資料」の内訳には、薬効・薬理、薬物動態、IB(治験概要書)、プロトコールなど、さまざまなものがあります。そのひとつ、「審査報告書」というのは、日本でおこなった治験の審査結果を報告するのですか?
岡 :そうです。グローバルな治験でも、日本で実施するものに関してはPMDA(医薬品医療機器総合機構)というところに申請して審査を受けます。その内容の報告ですね。
加賀山 :「照会事項」というのは?
岡 :日本で治験をおこなうとき、その方法や、薬の有効性の判断基準、データなどについて、PMDAがいろいろな質問のリストを出してきます。それが「照会事項」で、期日が課せられるので、製薬会社は、課せられた数日から2週間の期日以内に回答しなければいけません。
加賀山 :「添付文書」は何に添付されている文書でしょう?
岡 :薬の箱に折りたたんで入っている説明書です。おもに翻訳するのは、OTC医薬品(処方箋なしで薬局などで買うことのできる一般用医薬品)ではなくて、処方薬なので、ドクターや薬剤師さんが確認する文書ですね。
加賀山 :「市販後試験報告書」は薬の販売が始まったあとの報告ですか?
岡 そうですね。治験も終わって政府から販売許可を得たあとです。治験中の管理された環境と実臨床現場では、副作用なども違ってきますので、そういう結果の報告です。
加賀山 :「バリデーション関連」は?
岡 :バリデーションというのがありまして、たとえばアメリカなどで使っている治験のスケール(判断基準)が日本でもそのまま使えるかどうか確認します。たとえば、精神科の薬の場合、日本の患者さんはシャイなので、うつ病など自分の症状を上手く表現できず、アメリカの基準はそのまま使えなかったりします。そういう確認ですね。
加賀山 :ああ、国民性のようなものが反映されるのかもしれませんね。それにしても、本当にいろいろなものを訳すのですね。グローバルな治験が多いということは、請け負っている翻訳はおもに外資系の製薬会社向けですか?
岡 :日本の製薬会社、外資系の製薬会社のどちらもあります。たとえば、日本でおこなう治験も、世界同時に実施される治験では、国際共同治験の一部として承認を受けるために英訳が必要となります。
加賀山 :お仕事の大きなくくりとして、「薬事申請関連資料」のほかに「社内資料」の翻訳もあります。そのなかには、プレゼンテーション、議事録、MR用資料、プレスリリースなどがあるようですが、これもグローバルチームのためなのでしょうか?
岡 :社内資料は多岐にわたります。グローバルチームと会議をしたいので資料を英訳してほしいという場合もあれば、最近では、製薬会社の透明性が厳しくチェックされていますので、海外のグローバルチームが日本のチームの透明性を確認するというプロセスで英訳が必要になる、という場合もあります。
加賀山 :「医学論文」の翻訳もあります。これは製薬会社とは関係のない仕事ですか?
岡 :製薬会社がスポンサーについていなければ、直接関係はありません。私はもともと医学論文を読むのが好きだったので、翻訳というと、そういうものを訳すイメージでしたが、だんだん製薬会社の仕事が増えてきまして、今年は今のところすべて製薬会社関連ですね。
加賀山 :その他、「講師」のお仕事もあるようですね。
岡 :治験用の英語は特殊ですので、その教材を作らせていただいたことがあります。それから、日本の製薬会社の研究者の方たちとグローバルチームのあいだに入って、コミュニケーションのとり方をアドバイスすることも。メールの添削をしたり、「平素よりお世話になります」はどう訳すんですか? と訊かれたり(笑)。
あと、治験を担当されるモニターの方が受ける試験があるのですが、その試験問題を作らせていただいたりしています。
加賀山 :そんなお仕事もされているんですね。それらもすべて翻訳会社からの依頼ですか?
岡 :はい。翻訳会社から最初にお話をいただきました。
加賀山 :新型コロナウイルスの流行で仕事の内容や量が変わりましたか?
岡 :量はぜんぜん変わっていません。そこはこのフリーランスの仕事の強いところだなと感じました。内容としては、やはりワクチン関連の仕事も増えてきましたね。Groundhog Dayという映画(邦題は『恋はデジャ・ブ』)、ごらんになったことありますか?朝起きたら毎日、同じ日になっているという映画ですが、コロナで外出もしませんし、家で過ごす時間がこれまで以上に増え、いまは毎日そんな感じです……平和すぎて。
世界を移り住んで働く
加賀山 :製薬会社を辞めてすぐフリーランスで翻訳を始められたのですか?
岡 :そうです。2社目に転職したときから、翻訳をやりたいと思っていました。というのも、1社目でやったMRというのは、最新の情報をできるだけ早く病院の先生に持っていくことが大事なんですね。そこで、たとえば外国で大きな治験の結果が出たりすると、すぐに日本語に訳して紹介していました。そのときに、翻訳は楽しいなと思ったんです。
2社目に入ったときには、将来翻訳をしようと決めていて、そのために薬の開発の仕事を知りたかったというところがあります。すでに翻訳学校で勉強を始めていたので、そこの検定に合格したら会社は辞めようと思っていました。
加賀山 :それが自分で設けた基準だったのですね。
岡 :会社の仕事自体はすごく楽しかったのですが、検定に合格した次の日ぐらいに上司に辞めますと伝えました(笑)。
ベルリンのオフィスにて同僚と。毎日順番で料理をします。
加賀山 :そのまま会社勤めをしてもおかしくない経歴だと思いますが……。
岡 :あまりひとところにとどまりたくないほうでして、会社を辞めたあとはしばらく海外で暮らしていました。人生一度きりですから、死ぬまでに一度アーティストが移り住む街に住んでみたい、と思ってベルリンに引越しました。その後は、ベルギーで生活していました。夫がベルギー人なので。
加賀山 :なんと。するとふだんの生活はフランス語ですか?
岡 :家の中では英語です。ただ、去年の夏、母親が病気になったので日本に帰ってきました。
翻訳の仕事はベルリンに行くまえからフリーランスでやっていました。ベルリンでもベルギーでも、コワーキングスペースのようなオフィスを借りて仕事をしていました。家と職場は別のほうがスイッチのオン・オフができるので。戦場のジャーナリストだとか、歴史家だとか、大学の教授から俳優、アーティストまで、いろいろなバックグラウンドの人たちといっしょに働いて、毎日順番でお昼ご飯を作ったりとても楽しい経験で、人生の宝物になりました。
加賀山 :はー、すごい。翻訳の仕事の開拓はどうされたのですか? 最初から生活に困らないくらい稼ぐのは難しいと思いますが。
岡 :たしかに、検定に通ると翻訳者として登録されますが、登録が1社だけだったので、なかなかお仕事をいただけなくて、トライアルを受けてほかの会社を増やしていきました。幸い2社目からコンスタントにお仕事をいただけるようになりました。
加賀山 :フリーランスになってだいたいどのくらいで、これならやっていけそうだと思われましたか?
岡 :貯金が減ってとくに苦しかったのは最初の3カ月ぐらいで、あとはなんとか楽に暮らせるようになりました。ベルリンの物価が安かったのもありがたかったですね。
医学方面に進んだのは偶然?
加賀山 :ふだん何か意識的に勉強しているようなことはありますか?
岡 :The New England Journal of Medicineという、医学論文やその抄録を載せているサイトがあって、日本語版と英語版の両方を見ることができます。いつも仕事のまえに、その日本語版を見て、自分ならこう訳すと考えながら英語のオリジナル版を確かめるという方法で勉強しています。
加賀山 :それはものすごくためになりそうです。これから医薬関係の翻訳をやりたいと思っている方は、どんな勉強をすればいいでしょうね?
岡 :私がすんなり医薬に進めた理由は、大学で疫学を勉強したからだと思います。まさに去年からのコロナウイルス流行を扱うような分野ですが、とにかくその学科では大量に医学論文を読まされました。そこでたくさん読んだのと、製薬会社の営業をしていたときに、営業成績を上げるために先生に新しい情報を届けようと英語の論文をつねに読んでいたので、そういう経験が役立ちました。
読む量を増やせば、英語ではこういう言い方をするのだということが自然に身につきます。表現の筋肉が鍛えられる感じですね。
加賀山 :そもそもどうして医学方面に進もうと思われたのですか?
岡 :アメリカの大学に進むときに最初に考えた条件が、アジア人が少ないところだったんですね。それで選んだオハイオ州の大学が、たまたま薬学部に特化していました。アメリカで薬剤師になるには8年かかりますが、全米で4校だけ6年でなれるところがあって、そのなかの1校だったのです。
みんないろんな州から薬剤師になるためにその大学に来ていて、私は18歳で三重から出たばかりで、英語も、まわりで何が起きているかもわからないなかで、とにかく友達の輪に入れるようにと、みんなが受けている有機化学や、生物の授業を取りました(笑)。サイエンス以外を勉強している友達がほとんどいなかったので、スタート地点の選択肢がサイエンスしかなかったという感じです(笑)。
加賀山 :そういうふうに将来が決まることもあるんですね。
岡 :実験の授業があって、みんなで白衣を着て薬を調合したり、子豚を解体したりするんですが、先生の教え方にも勢いがあって楽しいんですね。だから勉強にも熱が入りました。Laboratory Technicianになるつもりで学んでいたのですが、途中で看護学科に移りたくなって、その大学は看護学校はあまり強くなかったので、ニューヨーク市立大学に編入しました。アメリカの大学は、わりと自由に編入ができるのです。そしてニューヨークに行ってからは、また違う風が吹いて結局、疫学を勉強することになりました。
新しい街に引っ越してまずすることは、歌の先生を見つけること。
加賀山 :数十年後に起きることを読んでいらっしゃった(笑)。やはり伊勢から飛び出す最初の精神がふつうの方とは違いましたね。
いまのお仕事が充実しておられるようなので、あまり念頭にないかもしれませんが、今後新しくやってみたいことなどありますか?
岡 :去年の夏に母ががんにかかりまして、がんが他人事ではなくなりました。手術も抗がん剤治療も本当にきついということを目の当たりにして、抗がん剤の治験は多く扱っていましたが、やはり実態を知っているのといないのとでは大違いだと実感しました。ですので、今年の目標は、がんについて勉強することです。
加賀山 :それで帰国されたんでしたね。ちなみに、身内にこれから薬学部に進む人間がいるんですが、何を勉強すればいいですか?
岡 :若いあいだはいろいろやってみることだと思います。好きなことを一生懸命やっていると、自分に合うものが勝手に寄ってくるのではないでしょうか。
■息抜きには、オンラインでヨガの教師になるトレーニングもしておられるとのこと。高校卒業後に渡米したことといい、たいへんなバイタリティを感じます。パンデミックのいま、医薬系の翻訳は引く手あまたではないでしょうか。ご活躍を期待しています。