山本 真麻さん
実務翻訳と出版翻訳、両立の道を探る
プロフィール
大学の英米文学専攻を卒業後、電機メーカー社員を経て2013年にフリーランス英日翻訳者に。IT、マーケティング、人事分野を中心とした実務翻訳、ノンフィクション書籍を中心とした出版翻訳に携わる。2度の出産や海外生活といった環境の変化をものともせずに走り続けてこられたのは、翻訳という仕事を選んだおかげ。実務翻訳と出版翻訳のバランスを模索しつづける日々。タイ語を学習中。
訳書は、『天才はしつこい』(CCCメディアハウス)、『それはデートでもトキメキでもセックスでもない』(イースト・プレス)、『クソみたいな仕事から抜け出す49の秘訣』(双葉社)など。
多彩な書籍を訳す
加賀山 :本日は、北九州市で出版翻訳と実務翻訳をしておられる山本真麻(やまもと まあさ)さんにお話をうかがいます。フリーランスの翻訳者になられて何年ですか?
山本 :約8年です。
加賀山 :最初の本が出たのはいつごろでしたか?
山本 :最初の出版は2017年ですから、フリーランスになって4年目のころですね。
加賀山 :翻訳にはその何カ月もまえから取りかかるはずですから、3年目くらいから出版翻訳の仕事をされたということですね。順調な出だしです。
まず、最近出た『天才はしつこい 突き抜けた成果を生み出す80の思考』(ロッド・ジャドキンス著/CCCメディアハウス)についてお聞きします。これはどういう本でしょうか?
山本 :イギリスの画家が書いたノンフィクションで、過去の偉人や「天才」、たとえば、芸術家とかデザイナー、建築家、技術家といった人たちがどういう思考回路や行動でいろいろな局面を突破してきたかという例を、たくさんまとめたものです。
加賀山 :だから80あるのですね。天才の特徴が80項目もあるのかと思ったのですが、そうではなくて、エピソードがたくさん並んでいる。
山本 :はい。それが千差万別で、かならずしも一貫性があるわけではないので、自分に合うものを取り入れられるようになっています。
加賀山 :何かおもしろいエピソードはありましたか?
山本 :たとえば、「誰かに直接語りかけながらつくる」という章があります。何かをするときに、みんなに受けるものとか、自分のつくりたいものばかりをめざすのではなくて、作曲だったらジョン・レノンに褒められる曲を書くとか、政治家ならネルソン・マンデラから尊敬されるようなことをするとか、具体的にこの人に認められたいという相手を思い浮かべるということです。
加賀山 :そういうふうに誰かを思い浮かべて成功した人がいる?
山本 :映画の『フレンチ・コネクション』や『エクソシスト』を撮ったウィリアム・フリードキン監督は、シカゴのデリカテッセンで働くおじを思い浮かべて映画をつくったそうです。
加賀山 :ものすごく具体的ですね(笑)。
山本 :おじのことを考えながら撮り、結果的にアメリカの空気を肌で感じてもらえる作品になったそうです。
「地図を捨て、方位磁石に従う」という章もあります。簡単に言ってしまえば、臨機応変に行動できる柔軟性を持てということです。道順や、くわしいプランにはこだわらず、目的地だけを決めて進んでいく。たとえば、IKEAの創業者のイングヴァル・カンプラードは、事業を拡大する過程で、木材の仕入れを止められたり、展示会への出展を妨害されたり、競合他社から邪魔がいろいろ入ったんですね。でも、目標は事業を大きくするということだったので、どんなに途中の道が変わっても気にせず突き進んだという話が紹介されています。
リビングで読書すると、息子たちが本を手に隣に来てくれることも
加賀山 :なるほど。おもしろそうな本ですね。そのまえに出たのは、『休息の科学 息苦しい世界で健やかに生きるための10の講義』(クラウディア・ハモンド著/TAC出版)でしょうか?
山本 :はい。著者はBBCラジオのパーソナリティもしている脳科学者でして、休息が大切だと一般的に言われるけれども、具体的にはどういう行為がよくて、科学的な面からそれが本当に休息になっているのかといったことを書いています。
おもしろいのは、BBCのリスナー18,000人に「あなたにとって何が休息になりますか?」というアンケートをとって、ベスト10を並べている点です。散歩とか、ランニングとか、いろいろありますが、それらについて過去のいろいろな実験にもふれながら論じています。
加賀山 :これも興味深い。結局、何がいちばん休息になるんでしょうか?
山本 :結論を言えば、「人によってちがう」なんですが(笑)、アンケートでいちばん回答が多かった休息は「読書」でした。
加賀山 :えっ、読書はあまり休息にならない気がしますけど……頭が疲れませんか?
山本 :そのへんもちょうど書いてあって、読んでいるあいだ脳でどういうことが起きているのか、夜に読むのがいいのか、昼に読むのがいいのか、といったことも説明されています。
加賀山 :くわしくはウェブで(笑)じゃなくて、本書を読んでくださいということですね。あと、『DX(デジタルトランスフォーメーション)ナビゲーター コア事業の「強化」と「破壊」を両立する実践ガイド』(カロリン・フランケンバーガー他著/翔泳社)という本も共訳されています。技術寄りのビジネス書ですが、もともと技術系とか?
山本 :いいえ、技術系ではありませんが、翻訳者になるまえに3年間、メーカーのIT部門で働いていました。IT戦略を立てたり、社内に新しいツールを取り入れたりという仕事で、そういう土台が少しあったうえで勉強しました。
加賀山 :『クソみたいな仕事から抜け出す49の秘訣』(ジョフリー・ジェームズ著/双葉社)という訳書もあります。
山本 :自分のキャリアや前進のためにならない無駄な仕事がいろいろありますが、それをしないためのアドバイスが49項目書かれています。
加賀山 :ビジネス書の王道のような本ですね。
社会問題を扱ったノンフィクションも
加賀山 :ガラッと変わりまして、『それはデートでもトキメキでもセックスでもない 「ないこと」にされてきた「顔見知りによる強姦」の実態』(ロビン・ワーショウ著/イースト・プレス)という本は、社会問題を扱っています。
山本 :これはひとことで言うと、レイプに関するいろいろなデータと証言を集めた本です。どういう場面で起きているか、どういう行為がレイプとして認識され、どういう行為が認識されないかとか。とても衝撃的な内容でした。原書は30年前に出版されたんですが、いまも状況があまり変わっていないという理由からか、本国で復刊し、そのタイミングで和訳も出すことになりました。
この本は、初めて共訳ではなく単独で手がけたノンフィクションでして、そういう意味でもとても印象に残っています。
加賀山 :ちょっと変わったきっかけで翻訳の依頼が来たのですね。
山本 :そうですね。この種の問題をなくすには、そもそも問題を問題として認識していないというところから対処しなければいけないので、そうした知識がきちんとまとめられている本が出るのは意義のあることだし、やりがいもあると感じました。
昇降デスクとバランスボールチェアが最近のお気に入りです
加賀山 :いままで出てきた訳書はすべて出版社がちがいます。どうやって開拓されたのですか?
山本 :翻訳出版のエージェントのお世話になっています。
加賀山 :いま何社ぐらいとやりとりされているのでしょう。
山本 :出版では2社のお世話になっています。
加賀山 :けっこう時間が空かないくらい仕事が入ってきますか?
山本 :ありがたいことに、ここ数年はどんどん仕事をいただいています。
加賀山 :プロフィールを拝見すると、実務翻訳もされていて、マーケティング、IT、人事分野をメインとして、ウェブサイトやヘルプサイト、プレスリリースなどを訳されています。ITは以前会社で担当部署におられたから、強みがあるんでしょうね。こうした実務の仕事も同じ翻訳会社から依頼されるのですか?
山本 :いいえ、実務のほうは別ルートで、海外も合わせると5社ぐらいと取引があります。
加賀山 :出版と実務の仕事の割合はどのくらいですか?
山本 :私はけっこう極端で、書籍の仕事をいただいているときには、9対1か8対2くらいで書籍の翻訳をしています。
加賀山 :書籍の仕事がないときに実務を増やす。
山本 :本当は両立したいんですが……とくに書籍は、ずっと同じ案件を訳しつづけるじゃないですか。そういうときにちょっと実務案件が入ると、すごく新鮮な気持ちになれるという面もあります。煮詰まってしまったときなんか、まったく違う仕事に救われています。
アメリアで最初の知識を得る
加賀山 :会社に勤めていたときに翻訳をしようと思ったきっかけは何だったのですか?
山本 :翻訳には学生のころから憧れてはいましたが、夢というか、一通り会社でキャリアを積んだあとでなるものだろうと考えていました。でもあるとき、このまま会社員を続けて、なりたいものにならずに終わってしまったらどうしようと思ったのと、訳書を出すまでには何年もかかるということを知りまして、これはもういますぐ始めようということで、会社を辞めました(笑)。
加賀山 :それは大胆な(笑)。しばらくは生活のために会社員と両立するパターンが多いように思いますが。
山本 :いま思えば、いろいろ選択肢はあったんでしょうが、若気の至りというか、何も考えずに辞めてしまって。仕事もまだないのに、フリーランスの開業登録をしました。
加賀山 :最初はどうやって仕事を探したのですか?
山本 :そこは本当にアメリアさんのお世話になりました。職が欲しいので真っ先に会員になったんです。アメリアに掲載されているいろいろなコンテンツで勉強しながら、少しでも実績になるようにとボランティアの仕事から始めて、未経験でもできる仕事で拾ってもらい、おかげさまでフリーランスとしてなんとかスタートできました。
加賀山 :アメリア自体はどうやって見つけたのですか?
山本 :たぶん当時、「翻訳の仕事」などで検索すると、最初に出てきたんだと思います。いちばん情報量がしっかりしていそうなところだと思って入会しました。
加賀山 :翻訳者としてやっていけそうだと思ったのはいつごろでした?
山本 :それが意外に早くて、ありがたいことに、最初に契約した翻訳会社さんが、コーディネーターのお手伝いやチェッカー、校閲の仕事をまわしてくださったので、収入面はわりとすぐに安定しました。チェックツールや、実務翻訳上の基本的なルールなどもすべて教えてくださるとても親切な会社で、最初からけっこうな量の仕事をいただきました。本当に幸運でした。
加賀山 :それはいい縁でしたね。そういう会社に出会えたのは、アメリアに入ってよかったことのひとつですか?
山本 :そうですね。あの会社がなかったら、ここまでやってこられたかどうかわかりません。アメリアには「未経験可」の求人もあるので、なんの業界情報も持ち合わせていない者にとっては、すぐに応募できてとてもありがたかったです。
あと、翻訳を始めたころは当然業界に知り合いもいませんし、SNSもあまり活用していなかったので、翻訳者が何をしているのかもわかりませんでした。翻訳会社があいだに入ることすら知らなかったので。アメリアには、どういう流れで仕事が発生して、どういうクライアントがいて、といった知識や、そろえるべき辞書などの情報のコラムがたくさんあったので、最初の知識を得られたという点でもかなり助かりました。
加賀山 :なるほど、けっこう翻訳をしてからアメリアに入るかたもいますが、最初から入って情報を得るという使い方もあるのですね。
山本 :基本的な知識も充実していると思います。
加賀山 :フェロー・アカデミーの通信講座も受講されたということですが?
山本 :はい。マスターコースを3期受講しました。すべて出版のコースでした。
加賀山 :それはフリーランスになられてからですね?
山本 :フリーになってしばらくたってから、出版のほうの勉強はどうすればいいんだろうと思って受講しました。
加賀山 :実務のほうは経験しているので、今度は出版を勉強しておこうということですね。そもそも会社に入ったころから翻訳が頭にあったようですが、それはなぜですか?
山本 :とにかく読書が好きで、子供のころから海外の小説をわりと読んでいました。あと語学も、自分で文章を書くのも好きでしたので、気がついたら翻訳という仕事が目にとまったのかなと思います。
加賀山 :翻訳を仕事にしている人には、だいたいそういう下地みたいなものがあると思います。
山本 :表から見えにくい仕事ですからね。私も昔は翻訳家のことは気にせず、本を楽しんでいたんですけど、たしか中学生のころ、神戸万知(ごうど まち)先生のヤングアダルト小説を読んでいたときに、ふと、「これってもともと英語なんだよな。日本語でつくり直しているんだ」と気づいたことがあって、そこからこの仕事に憧れていたと思います。
ニュース記事を読んで勉強
加賀山 :翻訳に特化した勉強というと、先ほどの通信講座のほかに何かされましたか?
山本 :実務翻訳を始めてからは、早く仕事を覚えることで一杯一杯でしたから、仕事が勉強のようなものでした。
加賀山 :最初のころ実務翻訳で多かったのはどのような仕事でした?
山本 :ホームページ、ユーザーマニュアル、アフターサービスのヘルプページなどですね。チェックとか校閲もたくさんさせていただいたので、それでベテランのかたたちの訳を見られたのが、いちばん勉強になったかもしれません。
加賀山 :アメリアでトライアルも受けられましたか?
山本 :受けました。最初の翻訳会社さんもトライアルでの採用でしたし、ほかにも未経験可のトライアルを受けました。とにかく実務翻訳の仕事を得なければと思っていて、トライアルしか道がなかったのです。
加賀山 :会社員時代からお仕事はずっと北九州ですか?
上海ではローカル市場の徘徊が楽しみのひとつでした
山本 :そうです。出身は神奈川県ですが、就職と同時に北九州に来て、その後5年ほど夫の仕事の関係で上海に住んでいました。
加賀山 :おっ、中国語もけっこう訳せるとか?
山本 :いいえ。日常会話はできますが、とても仕事のレベルではありません(笑)。やはり英語でもまだまだ勉強は尽きないなと思っているので。
加賀山 :そう、たしかに永遠に勉強ですね。最近、勉強としてふだんから気にかけているようなことはありますか?
山本 :BBCやTIMEのニュースを英語で読むようになりました。いままでは、書籍の仕事が来ると原文と参考文献を読むのだけで手一杯で、ほかのインプットをする余裕がなかったんですが、それでは視野が狭くなるということにようやく気づきまして、最近は仕事があっても、記事ひとつでもいいから読むように心がけています。時間があるときには、それを自分で訳して、日本語訳と比べることもありますね。
加賀山 :これから進みたい分野、仕事を広げたい分野はありますか?
山本 :実務翻訳と出版翻訳を両方やっていきたいと思っていますが、出版でいうと、ジェンダーとか社会問題を扱う、パワーのある本を訳したいです。
加賀山 :いま出版が増えている分野だと思います。これから出版翻訳をやりたいというかたに何かアドバイスはありますか?
山本 :やりたいと思ったら、すぐに動きだすことでしょうか。後悔しないように。私は、やりたいやりたいということしか頭になかったので、よく現実が見えてなかったのかもしれませんが、意欲と熱意だけは負けない、という気持ちは大切だと思います。
■IKEAの創業者ではありませんが、目標に向かって臨機応変に、しっかり進んでおられるように感じました。訳書の説明もうまいので、どれも読みたくなります。でも、やはり就寝前の読書は脳を興奮させてしまうのか……。