アメリア会員インタビュー

会社員時代の多彩な経験

加賀山 :大企業の広報部門にお勤めだったら、そのまま続けるという道もあったかもしれません。フリーランスになろうと思ったきっかけは何でしたか?

小島 :家族ですね。会社の仕事自体はやりがいもありましたから、辞めたくはありませんでした。結婚当初、夫が地方に単身赴任をしていまして、私は東京で勤務しており別々に暮らしていました。私が産休と育休に入って夫の赴任地に加わったのですが、私の育休が明けるまでに夫が東京転勤にならなければ、子供と私だけでまた東京に戻り職場復帰することも考えていました。しかし、結婚してから初めて一緒に暮らし、生まれた子供がとてもお父さん子で、夫も子供を溺愛している様子を見て、考え方が変わってしまいました。会社にはとても申し訳ないことをしてしまったのですが、このまま家族で一緒に暮らすほうがいいのではないか、私が力をつけてフリーランスになればこれからも転勤のことで悩まなくてすむ、と思ったのです。

加賀山 :翻訳という仕事が頭に浮かんだのは、学生時代ですか?

小島 :もともと本を読むことも、作文も好きでした。加えて、大学二年生まで日本から出たことがなく、英語や海外への憧れも大きかったです。そのため、大学は国際関係の学部に進み、いつか英語を駆使して文章を書くなど世界で活躍する仕事につきたいと思っていました。
 その学部では帰国子女で英語が堪能な友人が多く、そんな友人たちに憧れて国際コミュニケーションを専攻し、通訳や翻訳の授業も選択したのですが、日本から出たことのない自分と海外育ちの友人たちの英語力の差は歴然でした。外国人の先生や海外経験豊富な友人に囲まれているという恵まれた環境で、自分には英語を仕事にすることは無理ではないかと、かえって自信を失ってしまったんです。せめて一度くらい海外に行っていないと話にならないと思い、親に頼みこんで大学二年生の夏休みに初めて海外でホームステイをさせてはもらいましたが、残念ながら英語力を伸ばすモチベーションはあまり回復しませんでした。

加賀山 :なるほど。転機が訪れたのはいつでした?

小島 :英語をあきらめたまま大学生活を過ごした後、会社に入って、事業部門の広報担当に配属されたのですが、そこでもとくに英語力が必要となる機会はほとんどありませんでした。しかし、同じ職場の上司や先輩が英語に熱心で、将来的に仕事の幅を広げるには英語が大切だよと言われて、もう一度がんばってみようと前向きになれました。皆さん帰国子女というわけではなく、ご自身で英語力を磨いている努力家だったからです。いつか海外にたずさわる仕事をするために、改めて英語の勉強を始めました。
 数年後、その部署がなくなることになったときに、上司から、今後英語を使う仕事を希望するかと尋ねられて、はいと答えたところ、いきなり本社のグローバル広報部に配属されました。

加賀山 :希望がさっそく叶ったのですね。そこからは英語を本格的に使うように?

小島 :海外の仕事に憧れて本気で英語力を磨いていたときでしたから、辞令には天に昇るような嬉しさを感じたことを憶えています。しかし、配属になったとたん、まさに崖から突き落とされたような衝撃がありました。その日から、当然のように海外との英語での電話会議やテレビ会議などの進行をまかされたり、海外の知らない方から名指しで電話がかかってきたり、海外メディアを訪問して事業について英語で説明することになったり。井の中の蛙がいきなり大海に放りこまれた感じで、最初は非常に戸惑いましたが、記者会見などを開くためにUAEやウガンダ、ドイツやシンガポールなどへ出張するなど、別世界での多くの経験を通して格段に成長することができました。

加賀山 :出張でウガンダまで?

小島 :あちらでは多くのエリアで電気が通ってないんですが、そんな無電化地域用の商品に関する発表会が現地でありまして。

加賀山 :貴重な体験でしたね。その後もずっと広報関係のお仕事をされたのですか?

小島 :はい。電機メーカー退職のあとも、海外マーケティングの会社から在宅で広報関係の仕事をする機会をいただいて、しばらく働いたこともありました。完全にフリーランスになったのは、そのあとです。

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