アメリア会員インタビュー

戸田 茜さん
第142回

中国語翻訳の世界戸田 茜さん
Akane Toda

東アジアという「気づき」

加賀山 今日は、戸田茜(とだ あかね)さんにお越しいただきました。中国語と英語を使って、おもに中→日の翻訳と日→中、英→中の翻訳チェックをなさっています。
 まず、どうして中国語に興味を持たれたのですか?

戸田中学高校時代、学校の勧めで海外の方と英語で文通していたのですが、その時文通相手だったスペインのかたから「中国にも漢字や干支はあるけれど日本とどうちがうんだ」と訊かれて、答えられなかったのです。外国といえば欧米のことばかり考えていましたが、いちばん近い東アジアのことを何も知らなかったと気づかされました。
 そこで、大学では東アジアの言語を学ぼうと思いました。韓国語を選ぶ可能性もありましたが、入った大学で学べる東アジアの言語が、中国語だけだったのです。

加賀山 先見の明がありましたよね。これから一生仕事には困らないような……。

戸田でしょうか。ただ、中日翻訳をしていても、英語の資料が送られてきたり、英中翻訳のチェックをするときにコメントを英語で書けと言われたりしますので、英語からは離れられません(笑)。

加賀山 プロフィールによると、卒業後は北京の大学に留学された。

戸田在学中に中国に短期留学する人もいたのですが、私は少なくとも1年間、現地で勉強したかったのです。外国人を集めて教えるクラスでした。中国語を学びながらいろいろな文化に触れることもできて、かえってよかったと思います。

加賀山 帰国後、会社に就職されたのですね。最初はマニュアルなどを扱う翻訳会社だったとか。

戸田正社員ではなく、アルバイトでした。派遣会社にも登録していましたが、語学で仕事をした実績がないと正社員はむずかしいと言われまして、まずは何か仕事をしようと思ったのです。
 ちょうど中国で製造業が発展してきたころでした。それまで欧米に機械を輸出してマニュアルを作っていたけれど、中国にも自社製品を輸出したいという企業などの需要があって、中国語の分かる人材が求められていました。

加賀山 ということは、日中の翻訳ですね?

戸田日中と、英中もありました。多言語展開するときには、だいたいまず英語にして、そこからいろいろな言語に訳すことが多いのです。日本語だとわかりにくい文章が、英語にすると主語述語が明記されるので、まちがいが減るといったこともありましたね。

加賀山 そういえば、中国語の構造は英語に似ていると聞いたことがあります。

戸田たとえばS+V+Oといった語順は似ていますが、修飾語が前からかかってくるところは、日本語に似ていると思います。

加賀山 なるほど。翻訳会社のあとはコンサルティング会社に勤められて、いまはフリーランスですね。フリーになられたのはいつですか?

戸田2010年です。リーマンショック(2008年)で、勤めていた会社が傾いて自宅待機になったのですが、そのあと持ち直したとはいえ、もとの業績までは戻らず、業務も日中からアメリカ・中国間の仕事にシフトしました。そこで、どうも自分のやりたいことではないなと感じて、辞めたのです。

加賀山 いきなりフリーになって、生活の不安はありませんでした?

戸田そのまえから二足のわらじで翻訳をしていましたので、多少収入の見込みはありましたが、退職後まもなく、別の会社から日中と英中のマニュアル翻訳のチェックの話をいただいて、トライアルにも合格し、そこからは定期的に仕事が入るようになりました。いまもその仕事は続いています。

加賀山 プロフィールの翻訳実績のところには、新聞記事から調査報告書、カジノ建設計画書、テレビCMの字幕まで、本当にいろいろな仕事が書かれていますが、現在多いのはどういう内容でしょう。

戸田英中で多いのは、家電などの製品のマニュアルのチェックです。日中は、インバウンド(訪日観光客向け)関連のガイドブックのチェックなど。中日の翻訳は、企業の契約書や報告書などもありますが、最近増えてきたのはゲームの翻訳です。
 時期によってばらつきはありますが、いまの割合は、英中、中日、日中がちょうど3分の1ぐらいずつですね。

加賀山 ゲームというのは、どのような?

戸田スマホのゲームです。台詞だけでなく、ゲームのルールやシステムの説明などの翻訳もあります。

加賀山 全体として、中国語翻訳の需要は増えているのでしょうか。

戸田製品マニュアルなどは昔からありましたが、インバウンド関連とゲームの翻訳は、最近明らかに増えています。インバウンドのほうは、訪日中国人観光客の増加に連動して急に増えましたし、ゲームはいま、中国のゲーム市場がすごいぞということで盛り上がっています。

加賀山 そんなにすごいんですか。

戸田昔はあまりおもしろくないし、グラフィックも古かったけれど、いまは日本と遜色ないという話ですね。

加賀山 実際にプレーしたこともありますか?

戸田あります。おもしろいですよ。ゲームの世界観理解のため実際にプレーしながら翻訳しているのですが、自分の仕事が終わったあとも、ほかのかたが訳したところが気になって、やりつづけています(笑)。

中国語翻訳の世界にも悩みごとが?

加賀山 仕事の納期はだいたいどのくらいですか?

戸田ゲームの翻訳は、短いときには4〜5日から10日くらい。長いのは1カ月などもありますね。マニュアルのチェックは、追加部分だけだと1日とか、マニュアル全体では1〜2週間ぐらいということもあります。インバウンド関連の翻訳チェックはガイドブックや短いものが多いので、1日とか、2〜3日。

加賀山 わりと短いものが次々と来るのですね。中国語の翻訳者の総数は増えていますか?

戸田増えていますね。日中関係が冷えこんだときには中国語を学ぶ学生の数も減ったと聞きましたが、いまはまた関係がよくなったせいか、学習者も、翻訳をやろうという人も増えています。

加賀山 いろいろな仕事をなさったなかで、とくに印象に残っているものはありますか?

戸田あまりいい話ではありませんが、中国のある文化芸術団体が来日公演をすることになって、そのパンフレットの翻訳を頼まれたのですが、靖国参拝の影響で来日がキャンセルになってしまって。私は原稿をすでに納めていたので翻訳料はもらえることになったのですが、クライアントさんの興行収入が見込めなくなったことでエージェントさんも予定していた収入が見込めなくなってしまい、私ももらえるはずの翻訳料がガクッと減ってしまったことがありました。もう10年以上前のことですが、今でも印象に残っています。

加賀山 政治の影響を受けるのですね。プロフィールによると、「中ロ首相共同声明」なども訳しておられて、びっくりしました。

戸田それはコンサルティング会社から来た仕事でしたので、恐らくマーケティング関係か何かだったんだろうと思います。いろいろな実績がある理由としては、当時、中国語の仕事は増えていたとはいっても英語ほどたくさんあったわけではなく、一つの分野にだけ絞っていてはやっていけなかったので、いただける仕事はなんでもやる方針だった、というのがあります。翻訳会社さんのほうも扱う分野が広がっていましたから、何かと声をかけていただいたのでしょう。

加賀山 トライアルもけっこう受けましたか?

戸田それはもう何十社と受けました。その結果、いまコンスタントに仕事をいただいているのは5社ぐらいですが、登録は10社以上しています。

加賀山 翻訳の報酬は、英語ならワード単位ですが、中国語の場合には?

戸田日本語と同じで、文字数です。

加賀山 単価は上がっていますか?

戸田いいえ、下がっています。私が翻訳を始めたころのレートは、もう緊急案件とか、手書きですごく読みにくい文書とか、そういう「やる人がいなさそうな案件」じゃないと、出してもらえなくなりました。

加賀山 下がっているとは驚きです。こんなに需要があるのに……。

戸田たしかに需要はあるのですが、翻訳者も増えていますし、中国内の翻訳会社も増えて、競争が激しくなっています。中国にも日本語を勉強している人はたくさんいますから。

加賀山 個人としては、景気がいいわけではないんですね。

戸田そこがいちばんの悩みどころです。仕事はあるけれど、収入が少なすぎるという。たとえば、中日、英日の同じ分量で比較すると、単価はひょっとしたら英語の半分ぐらいかもしれません。先輩の翻訳者さんも、生活が苦しいということで辞めたり、発注側の仕事にまわったりしています。あとは、英日翻訳にも手を広げたり。

加賀山 明るい未来を勝手に想像していましたが、中国語もたいへんなんですね。

中国語ならではの苦労

加賀山 翻訳する際に、中国語ならではの注意点などありますか?

戸田そのまま訳すとどうしてもくどくなってしまうので、日本語らしい表現にしなければならないのは、英語でも中国語でも同じかもしれません。中国語の場合、同じ漢字なのでかえってまちがいやすいこともあります。日本語と同じ単語でも完全に意味がちがうものもありますし、同じ漢字を書いても微妙にニュアンスが異なる単語もあるので、そういうものはケースバイケースで訳さなければなりません。
 また、中国語の動詞は英語や日本語のように活用しません。基本的に時制がありませんので、文脈から判断します。

加賀山 そうなんですか。

戸田だから、ゲームの翻訳はすごくたいへんなのです。場面の説明がなく、ばらばらのテキストだけが送られてくると、いつのことなのかわからない。映像翻訳のように映像がついていれば判断できますけど。
 中国のゲームでも、たまに英訳が先にできているときがあって、その英語のテキストを送ってもらえることがあります。すると時制がわかって、助かったりします。

加賀山 なるほど、おもしろいですね。中国本土と台湾の中国語はちがうのですか?

戸田文字が簡体字(中国)と繁体字(台湾)でちがいますし、単語や文の表現方法もちがったりします。新語、流行語にもちがうものがあります。台湾で使われている新語、流行語が中国に入って、それがしばらく中国で使われていたけれど、中国側でそれが定着せず、気がついたら中国と台湾で別々の言い方になっていた、なんてこともありました。

加賀山 中国語の入力はどうするのですか?

戸田WindowsのMS-IMEで入力しています。昔は中国語入力用のソフトが別にあったのですが、Windows XPぐらいから中国語入力が標準装備されました。

漫画の翻訳も楽しい

加賀山 プロフィールの「実績」によると、漫画の翻訳もされているようですね。

戸田それは最近始めました。

加賀山 中日の翻訳ですよね。中国の漫画もゲームソフトのように進化が著しいのですか?

戸田そうですね。スマホのアプリでも、中国の漫画を日本語に翻訳したものがけっこう出ています。私も好きで、よく読みます。

加賀山 いまの仕事のなかでは、どれがお好きですか?

戸田やはり和訳ですね。内容的には、ゲームや漫画です。昔からやりたいと思っていましたので。

加賀山 文芸の分野では、いまミステリーやSFの世界でも中国語圏の作家が活躍していて、今後ブームになりそうです。文芸の翻訳もいかがですか?

戸田いいですね。もともと物語は好きですから。私が中国語の勉強をしたり、翻訳を始めたりしたころは、中国から輸入するより日本のものを輸出することのほうが多かったので、いま逆の流れが増えているのは興味深いです。

加賀山 東アジアのほかの言語も学んでみたいとか?

戸田韓国語はやってみたいです。ただ、中国語を勉強したときに、中国語が英語の知識に上書きされたというか、英語がなかなか出てこなくなってしまったので、韓国語を勉強すると中国語が出てこなくなるのではないかとちょっと心配です。

加賀山 最後に、中国語の翻訳者をめざすかたにアドバイスをいただけないでしょうか。中国語をしっかり勉強するのは当然でしょうけど。

戸田英語もやっておいたほうがいいですね。

加賀山 中国語翻訳者に英語(笑)。

戸田中日の仕事であっても参考資料が英語、という場合があります。それに中国企業もアメリカやヨーロッパに進出しており、そこから仕事が来る場合、担当者が非中国語/日本語話者で共通の言語が英語しかないということもあります。
 駆け出しのころ、派遣会社のかたから聞いた話ですが、中国語の仕事が増えているとはいっても、いちばん増えているのは英語と中国語の組み合わせだから、英語も勉強しておいたほうがぜったいいいよ、と。
 そのときには、そういう仕事は、英語ができる中国人や、中国語のできるアメリカ人に行くだろうから、自分には関係ないと思ったのですが、私自身、アメリアのプロフィールに英中の実績を書いたところ、英語に関連した新しい仕事をいただいたこともありました。

加賀山 そうか、中国語だけできればいいというわけでもないのですね。とても実用的な知識だと思います。

■中国語翻訳は、いま引く手あまたでうれしいことだらけだろうと想像していましたが、たいへんなこともありますね。考えてみれば当然です。でもそこですでに10年以上働いて、ベテランの域。今後、お好きな分野に仕事がますます広がることを祈っています。
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