アメリア会員インタビュー


宮田攝子さん

第67回
気軽な気持ちで始めた翻訳のとりこになり、がむしゃらに突き進んだ10年間。今は自然体で取り組んでいます
  宮田攝子さん
Miyata Setsuko


仕事以外の“お稽古ごと”の一つとして学び始めた翻訳

坂田:今回のゲストの宮田攝子さんは、外資系企業の総合職としてバリバリ働いていた1998年にフェロー・アカデミーで翻訳の勉強を始め、同時にアメリアに入会。2年後の2000年に「翻訳トライアスロン」で総合優勝された経歴をお持ちです。そんな宮田さんがその後の10年あまりをどのように過ごし、そして現在はどんな翻訳をしているのか、伺ってみたいと思います。宮田さん、どうぞよろしくお願いします。

宮田:こちらこそ、よろしくお願いします。

坂田:1998年に翻訳の勉強を始めたとのことですが、何かきっかけがあったのですか?

宮田:会社勤めも6年ほど経ち、30歳を目前にした頃でした。学生時代から、バリバリ働く女性に憧れていたので、外資系企業に総合職として入社して、希望通りではあったのですが……。それでも30歳を前に、なりたかった自分と現実の自分にギャップを感じたりもして、モチベーションアップのために何か始めようと思ったんです。それまでにも簿記を習ってみたり、カラーコーディネートの講座に参加してみたり、いろいろとやりました。当時は海外マーケティング部門から国内営業に異動になり、日常的に英語を使う職場を離れ、日々忙しいながらも、すこし物足りなさを感じていた時期でした。なので、英語のブラッシュアップを兼ねて、翻訳の勉強を始めたんです。その時は転職などまったく考えていなかったので、最初に受けた講座は“楽しそう”という理由で「映像翻訳」でした。映画のかっこいいセリフにしびれてしまうタイプなので、舞台裏をちょっとのぞいてみたくて。

坂田:講座に通い始めていかがでしたか?

宮田:私はそんな軽い気持ちで通い始めたのですが、クラスメートは違っていました。本気で映像翻訳家を目指している人がたくさんいて、最初の自己紹介の段階から「すごい!」と思いました。半年間の講座だったのですが、そういうクラスメートから大いに刺激を受けました。それに、課題をこなし、授業に出るうちに、翻訳ってすごく面白そうだって気付いたんです。

坂田:どのあたりが面白そうだと?

宮田:そのとき感じたのは、訳すことの面白さもさることながら、知らないことを知る、新しい世界を発見するという面白さだったんじゃないかと思います。フェローで学び始めると同時に、FMC(アメリアの前身)にも入会していたので、「翻訳お料理番」など応募できるものにはどんどん応募しました。毎回違ったテーマの課題に取り組むのに、好奇心がそそられました。それに、会社で時々やっていた翻訳は、意味がわかればいい、凝った表現をする必要はない、というものでしたが、講座でやった映像翻訳は決め台詞をどうするかに悩んだり、「翻訳お料理番」などの課題でも言葉にとことんこだわることが重要でした。そこにも難しさと同時に面白さを感じました。ただ、翻訳をもっと本気でやろうと決めたとき、私は映像翻訳ではなく出版翻訳のほうがやりたいと思ったので、次は文芸基礎のクラスを受講しました。このクラスでフィクション、ノンフィクションから児童文学まで幅広い課題に取り組み、その中から次に受講したのが「ノンフィクション」の実践クラスでした。毎週火曜日、会社がひけたらいそいそと駆けつけました。楽しかったですね。平日夜の授業は、会社勤めの方が多く、いろいろなキャリアの方がいました。男性も多かったですね。あのときのクラスメートには、今でも翻訳者として活躍している方が大勢います。

坂田:映像翻訳から出版翻訳に替えての受講でしたが、出版のほうがご自身には合っていた?

宮田:そうですね。海外の映画やテレビドラマを観るより、本を読んだり、文章を書いたりするほうが好きでしたから。情報誌『Amelia』の課題や翻訳コンテストにも軒並み応募して、「まさに面白さに目覚めました!」という感じでした。

坂田:その頃は会社でも7、8年目くらいで、忙しかったのでは?

宮田:残業も多く、忙しかったですね。でもその頃の私にとって、翻訳がエネルギー源だったんです。家に帰るのが夜10時や11時、それから寝る間を惜しんで午前2時、3時まで翻訳をしていました。会社で面白くないことがあっても、家に帰って翻訳をすることでまた気力が湧いてくるんです。通勤電車の中でも訳文を練っていました。ただ、会社を辞めて翻訳で生計を立てられるとは思っていませんでした。いつかできればいいなという憧れはありましたが。現実問題としては無理だろうと思っていました。

関連する会員インタビュー
出版翻訳