藤田 美菜子さん編集と翻訳、両方の強みを活かすプロフィール大学で美術史を専攻。出版社や編集プロダクションなどで20年近くにわたり単行本や雑誌などの編集に携わったのち翻訳者に転向。訳書は『炎と怒り』、『より高き忠誠』、『マインドエクササイズの証明』、『ツイン・ピークス シークレット・ヒストリー』、『ツイン・ピークス ファイナル・ドキュメント』、『北朝鮮を撮ってきた!』など多数。現在、日本近代政治史がテーマの歴史書を翻訳中。 『ツイン・ピークス』から、政治、マインドフルネスまで加賀山 :今日は、編集者・ライターであり、出版翻訳者でもある、藤田美菜子(ふじた みなこ)さんにお話をうかがいます。話題のトランプ大統領に関連する本を訳されたそうですね。 藤田 :はい、2冊続けて訳しました。ジャーナリストのマイケル・ウォルフが政権の内情を暴露した『炎と怒り』(早川書房)と、元FBI長官ジェームズ・コミーの回顧録『より高き忠誠』(光文社)で、どちらも共訳です。 加賀山 :どういう経緯で訳すことになったのですか? 藤田 :『炎と怒り』のほうは非常に急ぎの仕事だったので、翻訳会社が取りまとめて大勢で訳したのですが、私は冒頭のいちばんボリュームがあるところを担当しました―たぶん、力業ができるということで(笑)。 加賀山 :内容はやはりセンセーショナルでしたか? 藤田 :そうですね。そのへんは報道などで紹介されたとおりですが、原文はかなりクセのある文章で、違和感のない日本語に落とし込むのに苦労しました。
加賀山 :最初の出版翻訳は、『ツイン・ピークス シークレット・ヒストリー』(角川書店)ですか? 藤田 :はい。リーディングのあと翻訳を依頼されて、がむしゃらにやった仕事でした。ところがいきなり、ある書評で誤訳を指摘されまして……。 加賀山 :あわわ。その手の指摘はよくありますよね。しかもツイン・ピークスは熱烈なファンがいるから……。 藤田 :そうですね。「洗礼」を受けました。最初にこういうことがあってよかったと思います。400ページ近い作品の、1カ所が間違っているだけでも読者は気づくということが身に染みたので。
加賀山 :記者・編集者の経験が活かされましたね。同じ年に『ツイン・ピークス ファイナル・ドキュメント』(角川書店)も出ました。 藤田 :ちょうど日本のWOWOWで『ツイン・ピークス THE RETURN』の放映が終了するタイミングでの出版でした。ドラマと本で食い違っている個所もあるので、「誤訳と思われなければいいなあ」とドキドキしていたのを覚えています(笑)。 加賀山 :『北朝鮮を撮ってきた』(原書房)という本も訳されています。 藤田 :これも同じ翻訳会社からの依頼でしたが、アメリカの女性が10日間北朝鮮に行って、なかなか訪ねられない場所の写真をたくさん撮ってきたというノンフィクションです。文章が達者な人で、楽しく訳せました。 加賀山 :2017年の出版ですから、ツイン・ピークスの本と合わせて年に3冊出ています。かなりのペースですね。 藤田 :最初に名刺代わりになるような本がいくつか欲しいと思ったので、しゃかりきになっていたというのはあります。無理をしましたが、実績になってよかったと思います。 加賀山 :2018年には、『マインドエクササイズの証明』(パンローリング)が出ています。 藤田 :これはマインドフルネスの本で、ガチガチの脳科学ものです。最初、私に訳せるだろうかと尻込みしたのですが、そもそも一般読者向けの本ですから、調べればわかるだろうということで引き受けました。 加賀山 :マインドフルネスや瞑想は、自己啓発本などでもトレンドになってきましたね。 「焦ったのでいろいろ動いた」加賀山 :出版翻訳のほかには、どんな仕事をされていますか? 藤田 :もともと雑誌記者で、ライター、編集者の仕事を18年間やっています。これはいまも続いていて、そこに出版翻訳が加わって2年がたちました。
加賀山 :編集の仕事から翻訳者になったきっかけは何だったのでしょう。 藤田 :週刊誌の編集にたずさわっていましたが、40歳をすぎたころ、これをいつまで続けられるかなと思いはじめたのです。フリーランスなのに机をいただいているという、イレギュラーな勤務だったので、いつまでもお世話になるわけにはいかないなと。
加賀山 :こりゃいける、みたいな。 藤田 :そこまで言うのは僭越ですが、やってみたいなと思ったんです。職業柄、日本語の運用は得意でしたから、この原文にはどんな日本語が当てはまるだろうかと考えて、パズルのようにカチッとはまったときに楽しいと思いました。
加賀山 : 大学時代もあまり英語を使わなかった? 藤田 :英語部のようなところに入ってはいました。後輩に、いま映像翻訳で活躍中の古瀬由紀子さんなどがおられましたが、私は当時、英語を仕事と結びつける発想がありませんでした。やはり日本語の活字が好きだったんですね。
加賀山 :外国生活の経験が役立っていると感じることはありますか? 藤田 :英語に関しては、コアのところに筋肉がついている感じはします。パートナーから、原文を読んでも意味がつかめないと質問されたときに、自分はふわっとわかるとか。面倒くさい構造の英文でも、書いた人が何を言いたいのかざっくり感知できる力があるのかもしれません。 加賀山 :そういう感じはわかります。翻訳の勉強は特別にされましたか? 藤田 :仕事として考えたときに、とりあえず自分の実力が知りたかったし、何か動かなければと思ったので、フェロー・アカデミーの那波先生の初級クラスに通いました。那波先生はフィクションもノンフィクションも訳しておられて、こういう仕事のしかたもあるのだなと納得するところがありました。
加賀山 :突撃精神ですね。 藤田 :初級クラスで半年学んだあと、布施先生の中級クラスに移ったのですが、核兵器に関するむずかしい課題だったので、兵器関連の新書を何冊か買って勉強しました。そういう調べ物もおもしろいと感じ、雑誌で培ってきたマインドを活かせるのではないかという手応えにもなりました。 加賀山 :なるほど。そのあとどうやって仕事を開拓されたのですか? 藤田 :布施先生のクラスにいたときに、皆さんの顔つきが「マジ」で、ちょっと焦ったんですね。ライバルは多いなと。これは自分も何かやらなければと、翻訳会社のトライアルに応募したら、合格しました(そのときの仕事は分厚い料理本で、まだ出版されていません)。
加賀山 :ワークショップというのは、具体的にどのような? 藤田 :いずれ翻訳書になる原書1冊を、参加者で何章かずつ分担して訳し、議論していくのです。翻訳学校では毎回短めの課題を深く議論しますが、こういうワークショップは50ページとか、分量のあるものを訳す練習になりました。 加賀山 :そこは大事ですよね。翻訳の50ページは、5ページの10倍ではないので。 藤田 :そうなんです。長いものを訳すのには、また別の経験が必要ですね。
編集と翻訳のあいだのフィードバック加賀山 :自分の訳文を編集者の目で見ることはありますか? 藤田 :それはよくやっていると思います。 加賀山 :うらやましい。私は原文の解釈でこうだと思いこんでしまうと、なかなか離れられなくて、他人のような目で見られるといいなと思うのですが。 藤田 :英語の解釈のところで間違うと、そこはたしかに離れるのがむずかしいのですが、日本語のチェックは編集の目でやりますね。一度原文どおりに訳して、そこからは編集する気持ちで臨みます。自分の文章に対して「ここは原文に逃げている」と思ったり、もっと踏みこんで解釈しないと文章として成り立たないと考えたり。そういうチェックです。 加賀山 :そうしてできた訳文をさらに別の編集者がチェックするわけですが、どう感じますか? 藤田 :私はこうするのがいいと思っても、意外と別の提案をされることもあって、人それぞれだなと思います。自分の好みを過信しないように気を付けてはいますね。 加賀山 :それは日本語の表現などで? 藤田 :ええ。具体的に言うと、たとえば文末で「〜だ」や「〜た」が続くのを避けるかたがいるのですが、私は気にならなくて、むしろ機械的に動詞の現在形を入れるほうが嫌なのです。あと、やたらと主語を省く提案にも賛成できません。誰が何をしているのかわかりにくくなることもあるので。 加賀山 :和訳で主語を減らしましょうというのは、定番の修正提案ですからね。 藤田 :なんであれ赤字や鉛筆が入ってくるということは、編集者がその個所に違和感を覚えたということなので、その事実はいったん受け止めなければならないとは思っています。ただ、杓子定規なルールは好きではありませんね。
加賀山 :興味深い指摘です。編集の仕事と翻訳の仕事と、どちらが楽しいですか? 藤田 :どちらが楽しいかと言えば、だんぜん翻訳のほうで、あっと言う間に時間がすぎますね。ただ、編集と翻訳で双方にいいフィードバックがあると思います。翻訳だけやっていると、私はたぶん自分の好きな類いの本しか読まなくなりますが、メディアのほうで取材をしていれば、さまざまな情報が入ってきて、いまの世の中で求められているものがわかってきます。すると翻訳でも、取材した情報が役に立つことがある。 加賀山 :編集者の仕事と翻訳の仕事はいまどのくらいの割合ですか? 藤田 :単行本の翻訳をやっているときにはそちらが8割ぐらいになりますが、ふだんは半々ぐらいです。 加賀山 :編集の仕事のほうは分量の調整ができるのですか? 藤田 :できます。不定期のお仕事については、忙しい時期は引き受けなければいいので。 加賀山 :そういう仕事があると助かりますね。単行本の翻訳は長くかかるし、ないときにはぽっかり時間が空いてしまいますから。いま翻訳のためにとくに勉強しているようなことはありますか? 藤田 :いろいろインプットしたくてたまらないのですが、ニューヨーク・タイムズの記事などをたくさん読むようになって、不思議と聞き取りのほうもできるようになりました。おそらくこの3、4年で、それまでの全人生の倍以上の英語を読んでいて、それが勉強になっています。 加賀山 :翻訳でお好きな分野はありますか? 藤田 :大学で美術史を専攻していましたので、アートやデザイン、建築といったジャンルは好きです。とはいえ、人に話したくなるようなおもしろいものはなんでも手を出したくなるタイプです。ビジネス書などでも、新しい理論がどんどん出てきて興味をそそられますね。このジャンルというより、「おもしろい本を読んだな」と思っていただけるような仕事がしたい。雑誌の仕事でも、新しい概念、新しい発見、新しいムーブメントというのをずっと発信してきましたので、翻訳でもそういうことができればと思います。 加賀山 :最近気づいたムーブメントのようなものはありますか? 藤田 :やはりAI(人工知能)の話は熱いですし、どんどん状況がアップデートされていくので注目しています。ただ、AIで翻訳者の仕事がなくなるという話については、私はちょっと懐疑的なんです。むしろ、翻訳者の仕事を脅かす存在があるとすれば、「英語を読むことに抵抗がなくなった若い人たち」なんじゃないかなと。
■バイタリティということばがぴったり来ると思うのは、いまも記者魂をお持ちだからでしょうか。ここには書けない話題(!)も含めて、多岐にわたる楽しいお話をありがとうございました。 |