アメリア会員インタビュー

多賀谷 正子さん

多賀谷 正子さん

ほぼ独学で出版翻訳の道に

プロフィール

大学卒業後、銀行に就職して海外向けのプロジェクト・ファイナンスに携わる。退職後は3人の子どもを育てながら在宅業務に従事。翻訳チェッカーなどをしながら、翻訳の勉強を続ける。2017年より本格的に出版翻訳の道へ。主にノンフィクションの翻訳を手がけている。主な訳書に『夜明けまえ、山の影で――エベレストに挑んだシスターフッドの物語』(双葉社)、『トロント最高の医師が教える 世界最新の太らないカラダ』(サンマーク出版)、『THE RHETORIC――人生の武器としての伝える技術』(ポプラ社)などがある。

印象に残った登山記/旅行記の翻訳

加賀山 :今日は東京にお住まいの出版翻訳者、多賀谷正子(たがや まさこ)さんにお話をうかがいます。すでに訳書が10冊以上出版されていますが、いちばん新しいのは『夜明けまえ、山の影で――エベレストに挑んだシスターフッドの物語』(双葉社)でしょうか?

多賀谷 :はい。去年出た本です。いちばん気に入っています。

加賀山 :女性たちがエベレストに登る話ですか?

多賀谷 :著者のシルヴィアさんはペルー人の登山家で、これは彼女のメモワールです。彼女は幼いころに性的虐待を受けて精神を病んでしまい、大学生になるタイミングでアメリカに移住しました。そのあと、山に登ることで自分のトラウマと向き合うようになっていきます。そして、自分と同じ性暴力サバイバーを救いたいという思いから非営利団体を立ち上げて、サバイバーの女性たちといっしょにエベレストのベースキャンプまで旅をするんです。同じ痛みをもつ仲間と大自然の中を歩くことで、彼女たちはしだいに心を癒していきます。そして、過酷な道中を歩ききることで自分に自信を取り戻していくという話です。
 ベースキャンプまで行くのもたいへんな道のりです。登山初心者の女性たちはそこまでで引き返すんですが、その後、著者はエベレストの頂上を目指します。緊張感をともなう壮大な登山記と、癒やされていく女性たちの旅行記という二本立てで話が進んでいくんです。著者はレズビアンでもあり、LGBTQ+の話もからんでくるので、非常に中身の濃い本でした。訳していて胸を衝かれるところがたくさんありました。

加賀山 :ベースキャンプでも高さは5000メートルを超えますよね。たいへんです。何人ぐらいのパーティだったんですか?

多賀谷 :いっしょにベースキャンプまで行ったのは7人です。そのあとシルヴィアさんは男性たちに混じって頂上まで行きました。彼女はすばらしい登山家で、7大陸最高峰をすべて登ったんです。

加賀山 :それは驚きです。この翻訳の仕事はどうやって入ってきたのですか?

多賀谷 :いつもお世話になっている翻訳会社さんがありまして、そちらからお話をいただきました。

加賀山 :次に新しい本は『アスリートが通う「マインド・ジム」――恐怖心から夢をあきらめてはいけない』(パンローリング)という本ですね。

最近は仕事中にYouTubeで小川のせせらぎと小鳥のさえずりを聞きながら訳すのが気に入っています

多賀谷 :はい。これはアメリカのスポーツ心理カウンセラーが、アスリートのためのメンタルトレーニングについて書いた本です。

加賀山 :ほかに「トロント最高の医師が教える」というシリーズが3冊ありまして、『トロント最高の医師が教える 世界最新の太らないカラダ』、『トロント最高の医師が教える 世界最有効の糖尿病対策』(ともにサンマーク出版)、『トロント最高の医師が教える 世界最強のファスティング』(CCCメディアハウス)です。すべて同じ著者ですか?

多賀谷 :カナダの医師が「太らないカラダ」と「糖尿病対策」を書き、「ファスティング」はその医師に加えて共同研究者と、そのやり方で成功した方の3人で書いています。「太らないカラダ」の実践編のような内容ですね。

加賀山 :太らないことが糖尿病対策にもなるわけですか。

多賀谷 :そうです。3冊は全部つながっています。

加賀山 :『ハピネス・カーブ――人生は50代で必ず好転する』(CCCメディアハウス)という本も出されています。これはどういった本でしょうか?

多賀谷 :これは私も50代ですので共感しながら訳しましたが、要するに、若いときは人生に対する期待感がすごく高いのに現実が追いつかず、そのギャップに失望してなかなか幸せを感じられない、でも50代以降は、人生はこんなものだと期待値が下がって(笑)、現実とマッチするので、幸せを感じやすくなるという内容です。

加賀山 :なるほど。自己啓発本の一種でしょうか。それから、『クリエイティブ・コーリング――創造力を呼び出す習慣』(CCCメディアハウス)。これも同じ版元から出ています。

多賀谷 :著者はアメリカのフォトグラファーです。自分の心の声をしっかり聞いて、つねに自己表現することを心がけていれば、自分の思いどおりの人生を創造できるようになる、といったことを経験談を交えながら書いています。

加賀山 :『THE RHETORIC――人生の武器としての伝える技術』(ポプラ社)という本も訳されました。

多賀谷 :これは私が本格的に出版翻訳をやるようになった最初の仕事でした。すごく長くて難しかったですね。自分の思っていることを相手にうまく伝えたり、自分の思っているとおりに相手を動かしたりしたいとき、ことばの使い方が非常に大切だということが書かれた本です。レトリックの技法がたくさん紹介されていて、たとえば簡単なところで言うと、話すときに過去形で言うのか、現在形や未来形を使うのかによって、相手を動かせるかどうかが変わる、みたいなことも書かれています。

加賀山 :おお、それはおもしろそうですね。これらは全部同じ翻訳会社さんから入ってくるのですか?

多賀谷 :はい。その翻訳会社さんが実践的な講座を開いていらして、じっさいに出版される本の下訳からゲラの校正までやらせてもらえたんですね。その講座に参加するためのオーディションを受けて、運よく6人の合格者のなかに入ることができたんです。半年の受講期間の最中に、その翻訳会社さんから仕事をいただけるようになり、その後わりと途切れなく依頼してもらっています。

加賀山 :この本の出版が2018年ですから、2017年ぐらいから本格的に仕事をなさって今年で6年目ですね。次ですが、『夫の言い分 妻の言い分――理想的な結婚生活を続けるために』(かんき出版)という本があります。

多賀谷 :これは昔出た本の新訳でした。絶版になっていたところ、カナダ出身の歌手、ジャスティン・ビーバーが自分の愛読書だとSNSに投稿したことで注目がものすごく高まって、新訳を出すことになったんです。彼がちょうど結婚したころだと思います。

加賀山 :だから愛読していた(笑)。

多賀谷 :読んでなるほどと思うことも多いし(笑)、読んでくださった知り合いの方は、著者は男性だけど女性の気持ちがよくわかっている、夫の立場も妻の立場もうまく書かれていると言っていました。

加賀山 :もともとそういう気配りができる人だったのかもしれませんね。

YAの講座から訳書の出版へ

加賀山 :『大人の育て方――子どもの自立心を育む方法』(共訳、パンローリング)はどういう本ですか?

多賀谷 :そのなかに「ヘリコプター・ペアレント」というキーワードが出てきますが、子どもの上をつねにホバリングしているような子育てでは、子どもはなかなか自立できない、親の目的は子どもを大人にすることだから過保護はやめましょう、という内容です。

加賀山 :『大人の育て方』というタイトルはそこから来ているのですね。そして、ちょっとこれは毛色が違う感じですが、『ディズニー365日毎日アナと雪の女王 1月-6月のおはなし』(共訳、学研プラス)という訳書もあります。

頼りになる一冊

多賀谷 :1ページ1つのお話で構成されていて、アナと雪の女王の映画の話と、オリジナルの話が書かれています。子どもが読みやすくて、読書習慣がつけやすい本です。

加賀山 :あの映画は続編がありましたが、それとは違う内容ですか?

多賀谷 :はい。別のオリジナルの話です。最初の20ページくらいは一作目の映画の内容になっていますが、それ以降はスピンオフといった感じです。

加賀山 :おもしろそうですね。『世界の核被災地で起きたこと』(共訳、原書房)というのは、広島や長崎で起きたことに関する話ですか?

多賀谷 :これはすごく重厚な作品でした。広島、長崎はもちろんですが、世界には核実験などによって放射性物質に汚染された地域がたくさんあります。この本は著者であるジャーナリストが、そうした場所にじっさいに足を運んで取材したルポルタージュです。たとえばロシア、アメリカ、オーストラリア、カザフスタン、スペイン、デンマークなども含まれています。

加賀山 :デンマークなんて狭い国なのに、そんなところがあるんですか。いまはどんな本を訳しておられますか?

多賀谷 :ちょうどゲラを待っている本がありまして、来年の3月に出る予定です。アメリカの投資銀行で高い役職についていた女性が書いたメモワールで、女性が働くのがどれほどたいへんな職場だったかということを記した、いわゆる暴露本です。
 それとは別に、児童文学のほうで訳しているものもあります。これまでずっとノンフィクションを訳してきたんですが、フィクションへの憧れがあり、3年ぐらいまえからYA(ヤングアダルト)の講座を受けています。そこの先生に原書のレジュメを提出したところ、出版社に紹介していただけて、来年の春ぐらいに出版されることになりました。

加賀山 :それはおめでとうございます。レジュメの持ちこみの成功例を聞くと、がんばろうという気持ちになりますね。YAの講座というのはフェロー・アカデミーですか?

多賀谷 :フェロー・アカデミーでも原田勝先生のマスターコースの通信講座を半年ぐらい受けたことがありますが、いま受けているのはカルチャーセンターの講座です。

加賀山 :以上のなかでとくに印象に残っているお仕事は、やはりエベレストに挑んだ女性の『夜明けまえ、山の影で』でしょうか?

多賀谷 :そうですね。物語の世界が好きなので、ストーリー性のあるものを訳したいと翻訳会社さんに相談したところ、この仕事をいただけました。つらい場面もたくさんありましたが、やりがいがありました。

これからは自分への投資も

加賀山 :経歴についてうかがいます。翻訳を始めたきっかけとして、たとえばもともと翻訳小説が好きだったとか?

多賀谷 :いいえ。じつを言うと、子どものころは日本の本を読むのは好きでしたが、翻訳物は苦手でした。どちらかというと消去法に近いかたちでいまの仕事を始めたんです。結婚してそれまでの仕事を辞め、子どもを3人育てながら自宅でできる仕事を選んでやってきました。英語が好きでしたので翻訳をやってみようと思い、翻訳チェッカーなどの仕事をしながら、勉強をつづけてきたんです。

加賀山 :会社を辞めたあとで考えたということですか?

多賀谷 :そうです。最初1年ぐらいは通信教育を受けましたが、そのあとはほとんど独学でした。自分のためにお金や時間を使うのに罪悪感があったんですね。そこで、原書と訳書を両方買ってきて照らし合わせてみたりとか、自分で訳してみて訳書と比べるとか、あとはいろいろな無料体験講座がありますのでそれを受けたり、翻訳のオーディションのようなものに応募したり、そういう勉強のしかたでした。
 ただ、独学でずっとやっていても、まえが開けない感じでした。年齢も上がってきたので、これでだめだったらあきらめよう、別の仕事を探そうと思いながら、最初に申し上げた翻訳会社さんの実践的な講座のトライアルを受けました。そこで幸い合格して、そこからは講師の方に頻繁に質問したりして、やる気があるところをアピールしました。それを見ていてくださったのか、講座の途中で、こういう仕事があるんですがどうですか、と声をかけていただいたんです。

加賀山 :最後と決めていた挑戦がうまくいったというのは、ドラマチックですね。

多賀谷 :運命だったと感じます。子どもも大きくなってきたので、外に働きに出ようかとも考えていましたので。反省として、もっと自分に時間やお金を投資すればよかったなと思っていて、いまはできるだけそうしています。

加賀山 :独学のところで、原書と訳書を照らし合わせていたとおっしゃいましたよね。じつは私、それがいちばん勉強になると思っています。私自身もそれをやって進歩を感じたので、結果的にすごくいいことをやっておられたんじゃないかと。今後はフィクションのほうにもお仕事を広げたいですか?

多賀谷 :そうですね。翻訳会社さんから仕事をいただけるのはとてもありがたいんですが、出版社の編集の方と直接やりとりをすることがないので非常にもどかしいというジレンマがありまして、できれば出版社と直接かかわる仕事も増やしていきたいと思っています。今回たまたまYAの講座からそういう道が開けましたが、まだ1社ですので、これからどうやって広げていけばいいのかと……。

加賀山 :ひとつはレジュメの持ちこみでしょうかね。実績もおありですし、出版社としても基本的に新しいレジュメは歓迎するはずですから。興味のある分野の本を出している出版社に連絡してみるといいかもしれませんね。

多賀谷 :レジュメを送っても、編集者さんのもとにはすごくたくさん送られてくるから、なかなか読んでもらえないよ、という話もよく聞きます。

加賀山 :あきらめずにレジュメを何度か送っているうちに、まったく別の本を訳してみませんかというふうに仕事をもらえた例もあります。編集の方とつながりができたら、レジュメを提出しつづける意味はあると思いますね。実際に仕事につながることは、たしかに少ないといえば少ないんですけど。
 映像翻訳とか、ほかの分野に挑戦したいという気持ちはありませんか?

多賀谷 :映像翻訳にも憧れはありましたけど、自分には向いていないと思ったので、やはり出版でやっていきたいですね。フィクションもノンフィクションも、両方好きなので、できれば両輪で。

ノンフィクションでは大胆な編集が入ることも

加賀山 :「翻訳で実現したいこと」は何でしょうか?

多賀谷 :私自身も、育児をしていたときとか、社会人として成長できないと悩んでいたときに、海外のノンフィクションを読んで助けられたことがあります。ですから、フィクションでもノンフィクションでもかまわないんですが、読んでくださった方の心が軽くなったり、前向きになれたりするような本を訳したいですね。

加賀山 :アメリアに入ってよかったことは?

多賀谷 :プロフィールに登録してもまだ仕事に結びついていないので、そういう意味での実績はありませんが、ホームページの情報が楽しくてためになります。とくに原田先生が書いておられるコラムなど。アメリア経由でお仕事をいただけるようになるとありがたいんですが。

週に1回程度、アメリカ生まれのジャザサイズで汗を流しています

加賀山 :実際に、アメリアのプロフィールを見た翻訳会社や出版社から仕事を依頼されたという話も聞いています。アメリア経由のトライアルはあまり受けていないのですか?

多賀谷 :いまは受けていません。手元の仕事が忙しいということもありますが、あるトライアルの仕事を見たときに、納期がとても短くて、これは自分には無理だと思ったこともありました。

加賀山 :あと、個人的にうかがいたかったことがあります。最近、久しぶりにノンフィクションの翻訳をしたんです。すると編集の方からかなりいろいろ修正や省略を提案されました。ノンフィクションはフィクションよりもう1段階、噛み砕いて読みやすくしなければいけないという心構えではいるんですが、それでも足りなかったようで。これは最近、ノンフィクションの編集が以前より大胆になったということなんでしょうか。それともたんに、久しぶりのノンフィクションの翻訳で私の腕が落ちていただけ(笑)?

多賀谷 :出版社、編集者さんによるんじゃないでしょうか。私の場合、これまでですごくばっさり省略が入ったのは1冊だけですね。できるだけ多くの人の手に取ってもらうために、ページ数を減らしたかったようで。そのほかの本では、それほど大きな編集はありませんでした。

加賀山 :そうですか。編集の方の方針でしょうかね。ちょっと不安になったもので。

多賀谷 :フィクションとノンフィクションの両輪というのは難しいですか?

加賀山 :目先が変わるというか、ノンフィクションだとまったく知らなかった分野の新たな知識が得られますし、フィクションでは物語の世界に浸れて楽しいので、難しいとは感じませんね。ただ、自分の話をすれば、つねに両輪というわけではなくて、時期によってフィクションばかりとか、ノンフィクションが立てつづけに来るといったこともあります。
 ふだんはずっと家のなかで仕事をされているんですか?

多賀谷 :そうです。腰痛になりますし、ストレートネックになって、めまいが起きたり、たいへんです。

加賀山 :やはりずっと同じ体勢でいるのが体に悪いので、家にいてもときどき動いたほうがいいんでしょうね。何かご趣味は。

多賀谷 :海外ドラマをよく観ます。最近だとNetflixの『グッド・ドクター』とか。自閉症の青年が優秀な外科医になる話です。あとはライブやコンサートによく行きます。

加賀山 :それは運動になりますね。

多賀谷 :そんなに激しく動くコンサートじゃないんですが(笑)、そういう生の芸術に触れることがすごく好きなので、1カ月に少なくとも1回はコンサートや舞台を観にいっています。

■ 出版翻訳の状況が少しずつ厳しくなってきているなか、着実に実績を積んでおられるという印象を受けました。いろいろ思うところはあっても出版翻訳はとても愉しい仕事ですからね。お互いがんばりましょう!

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