小尾 恵理さん
活発なコミュニケーションで、楽しい作品を量産中!
吹替の収録で学ぶ
加賀山 :本日は映像翻訳でご活躍の小尾恵理(おび えり)さんにお話をうかがいます。いまはおもにどんな仕事をされていますか?
小尾 : 海外のドラマシリーズと長尺の映画の吹替の仕事が中心です。
加賀山 :業界全般に、海外ドラマの需要がすごくあるそうですね。
小尾 :ここ2、3年の伸びはすごいですね。とくに吹替を訳す人が足りないようで、字幕の仕事をいただいていた会社からも吹替の依頼があります。
私としては、いまは吹替が多いのですが、字幕も好きで、忘れないように月に1度は字幕の仕事を受けるようにしています。
加賀山 :お仕事の依頼はいつも決まった会社からですか?
小尾 : そうですね。いまは3、4社からいただいています。
加賀山 :内容はどのようなものが?
小尾 : いろいろですね。最近おもしろかったのは、詐欺師のドラマとSFっぽい探偵ものです。いまは主婦たちが主人公のドラマを訳していますが、これもとてもおもしろいです。
加賀山 :よくスタジオ収録に立ち会われるそうですね。翻訳をしても立ち会わないかたもいらっしゃると思うのですが。
小尾 : 仕事にもよりますが、翻訳会社を介さずに制作会社と直接やりとりしている場合には、収録に立ち会うと、その場でいろいろな話がすむといった理由で、呼ばれることがわりとあるのです。基本は呼ばれたら行くスタンスで、呼ばれないときなどは行かないこともあります。収録予定日に緊急で先延ばしできない作業が入ったりすれば、行けないことも。
加賀山 :その場で相談するわけですか。
小尾 :担当のディレクターさんによって、台本になるまえにかっちり直すときと、ほぼ私から提出したままの台本を使うときがあります。後者の場合、収録しながら、「ここ、表情と合わないよね」とか、「ここもうちょっとキメたいんだけど」というふうに相談して変更することがけっこうあって、前者の場合でも、たとえば、「ここはどういう意味?」とその場で訊かれたりします。
翻訳会社があいだに入っているときには、その会社の担当のかたが立ち会って、気になることがあったら私に連絡をもらうというアレンジもありますが、私自身、現場に行くととても勉強になるんです。書いた台詞以上の演技を役者さんがしてくれるので、「ああ、ここでこんなふうに感情がほとばしるのか」といったことがわかったり。
加賀山 :なるほど。たしかに勉強になりますね。
小尾 : ディレクターさんのなかには、今回は「ほんと」という訳語が多すぎるなどと細かく指摘してくださるかたもいます。収録に行くと、役者さんの意見を聞く機会もあります。このキャラクターなら、「○○って言った」じゃなくて、「○○と言った」のほうがいいんじゃないか、というふうに。そうすると、こちらも次の回から修正できます。
加賀山 :シリーズものの場合、そうやって少しずつ修正していけるわけですね。
小尾 : はい。役者さんを見ながら、この人はたっぷり間を取るタイプだから、あまり台詞を詰めこみすぎないほうがいいな、といった調整もできます。あるいは、このディレクターさんはト書きに心情を書きこむのが好きだ、とか、演技は役者さんにまかせるのが好きだ、とか。そうやって現場でわかることがたくさんあるんです。
加賀山 :基本的な質問なんですが、たとえばシリーズで5回目の収録に立ち会うときには、まだ6回目の翻訳は終わっていないのですか?
小尾 : いいえ、だいたい8回か9回ぐらいまで終わっていますね。ですので、いちばんいいのは初回の収録に立ち会うことです。最初がいちばん時間もかかります。まえのシーズンから続いていることもありますから、それの最終回の収録に立ち会っていると、今シーズンの仕事に役立つこともあります。
加賀山 :いまはひとつのドラマを複数の翻訳者で分担することもあるのですね。
小尾 : 「1話と2話」、「3話と4話」などということもありますし、たとえば、ひとりが偶数話を担当することもありますね。2話分を同じ日に収録するときには、現場でもうひとりの翻訳者さんと意見交換することもできて、それも勉強になります。相手がいい訳をつけていると、こっちもどこかで使わせてもらおう、とか(笑)。
『シャークネード』が大好き
加賀山 :最近のお仕事では、どんなドラマが多いのですか?
小尾 : コメディですね。あとはミステリー、子供向けのドラマなどです。
加賀山 :プロフィールには、フィンランドやドイツなどの映像翻訳の経験も載っていますが、これは原語からではなく、英語からですか?
小尾 : だいたいすでに英語の字幕がついているので、①英語字幕、②英語の台本、③原語の台本から訳します。イラン(ペルシャ語)やフィンランドの原語はわかりませんが、Google翻訳にそのままかけると、とくにト書きなどは参考になります。たとえば、軍人ばかりのシーンで、誰が何をしゃべっているのかわかりにくいときでも、原語の台本から話者を特定できることもあるので助かります。
加賀山 :どの国の仕事が多いのですか?
小尾 : どこでもありです。最近注目されているのはトルコ映画ですね。韓流ブームのときには、当初、よく英語の字幕がついた韓国映画の仕事がまわってきました。そのうち韓国語から直接、日本語の字幕を作る人が増えたのです。
加賀山 :テレビ用とか、DVD用、あるいは機内用とかで、訳し方はちがうのでしょうか。
小尾 : とくに変わりませんが、差別語の扱いなどがちがうことはあります。近年はほとんどAll Rightsでの買い取りなので、Netflixで流れ、そのあとDVDになり……といろいろな媒体で使われても、訳者にはわからないのです。
加賀山 :そうなんですか。買い取りだと、テレビで再放送があっても訳者さんには追加で何も入ってこないんですよね?
小尾 : 残念ながら。昔は転用料といって別に入ってきていたんですが、最近は減っていることが多いように思います。あくまで、私がかかわっている範囲の話ですが。ただ、いまでも少しだけAll Rightsでない契約が残っていますし、何年か前に訳した作品などで、たまに思いがけず転用料が入ってくることもあります。それはちょっとしたお年玉ですね(笑)。
加賀山 :いままででとくに印象に残っている作品はありますか?
小尾 : いっぱいありますが、このところ大好きなのは、何度か吹替のみでご縁をいただいたサメのシリーズです。
加賀山 :サメ? ドキュメンタリーですか?
小尾 : いえいえ、もとはB級映画だったんですけど、あまりに話がぶっ飛んでいたせいか人気が出て、シリーズ化したのです。これまでに何作かだけ吹替をやらせてもらいましたが、毎年、視聴者としても楽しみにしている作品なんです。
加賀山 :タイトルは何でしょう。
小尾 :
“シャーク”と“トルネード”の組み合わせで、『シャークネード』というんですけど、サメが空から降ってきたり、宇宙に行ってみたり、『スター・ウォーズ』をはじめとしたたくさんの映画のパロディが盛りこまれていたり、今回は時空を超えたりして、私も「これはないわ〜」と思いながら夢中になってしまいました。
アメリカでは、毎年夏に「サメ週間」として、サメに関する番組を流すチャンネルがあるのですが、『シャークネード』は、だいたいその時期に合わせて現地で放映されるテレビ映画です。けっこう有名な俳優も出ますよ。日本の吹替のキャストも豪華で、毎年発表されるとネットで話題になります。日本でも夏はテレビ東京でサメ映画を特集しているときがあって、そこで放送されることもあります。
加賀山 :それは見なければ!
小さなきっかけをつかんで
加賀山 :どのようにして映像翻訳の道に入ったのか、教えていただけますか?
小尾 :
もともと英語の教員をしていたのですが、転勤の話が出たときにその先について考えました。泊まりでの引率や出張も多い仕事ですし、すでに結婚もしていたので、ライフステージを考えて、一度立ち止まってみようと。
いったん仕事を辞めて、これから何をしようかと思ったとき、頭に浮かんだのが翻訳でした。調べてみると、当時、翻訳を全般的に学べる学校は2、3校しかなく、そこからフェロー・アカデミー
を選びました。
加賀山 :その時期は学習に専念されたのですか?
小尾 :
途中からは、翻訳関連のアルバイトをしながらの勉強でした。
そのうち、翻訳を仕事にするなら文芸か映像だなと思うようになりました。子供ができたときには通信講座で学びつづけ、そのあと通学を再開しました。
そうこうするうち、古巣の学校で急に欠員が出て、働いてもらえないかと声がかかりました。非常勤で働きはじめましたが、勝手のわかった職場で居心地もよく、このまま教員を続けることになるのかなと思っていたときに、キンダー・フィルムフェスティバルの仕事をいただいたのです。
加賀山 :それはどういうお仕事ですか?
小尾 : アメリアで紹介されていたボランティアです。子供向け映画の映画祭(現在は「キネコ映画祭」)で、イランの短編映画の仕事でした。まだ、翻訳では芽が出ていなかったのですが、これが転機になって、もう少し翻訳をがんばってみようと思ったのです。
加賀山 :最初はトライアルを受けました?
小尾 :
トライアルはまだ受けていなかったんですが、キンダーさんには2度目の応募で採用されました。この仕事をしたことが実績になって、トライアルや求人で採用されるようになりました。
定期的に仕事が入るようになったいまは、長尺作品でのお手伝いはむずかししいときもあるのですが、翻訳業界に入るきっかけを作ってくれましたから、恩返しという意味でも、手が足りないようなら、できるだけお手伝いできればうれしいなと思っています。
加賀山 :ちょっと不思議に思っていまして、とくに映像ではトライアル応募の条件に「経験者」というのがありますよね。最初はみんな未経験だから、正直に受け取ると応募できないんですが。
小尾 :
そうなんです。だからこういう映画祭は、キャリアの最初の一歩にできるという点でとてもいい機会だと思います。
しかも、劇場公開映画の仕事をするまでにふつうは5、6年かかりますけど、新人でもいきなり訳した作品を大きなスクリーンで上映してもらえる。パーティなどで製作の人たちと直接話ができたりもします。この映画祭で吹替を担当した作品が別の映画祭で上映される際に、字幕をつけたこともありました。
このキンダー・フィルムフェスティバルの仕事のすぐあとで、これもアメリア経由でしたが、別の仕事のトライアルを受けて採用してもらいました。そこからですね、仕事が続くようになったのは。
加賀山 :とはいえ、最初は生計を立てられるほどではありませんよね。
小尾 :
ええ、最初の1年は収入も少ないし、いまより単価も低かった。順調になってきたのは2年目ぐらいからですね。時代の流れもあって、ボイスオーバーの需要が増えたり、地上波の韓流ドラマのブームがあったり、DVDが普及しはじめて、吹替や特典映像の仕事ができたりしました。
最初は、映画のホームページに載せるプロダクション・ノートや、買いつけまえの脚本を訳し、そのうちに字幕・吹替をやらせてもらえるようになりました。新人のころには、SST(字幕制作ソフト)を使ったスポッティング、つまりカットのなかに台詞を割り振る仕事もしていました。
以前仕事をした会社から、今度は吹替を頼みたいからうちでやっている講座を受けてみない? と言われて、吹替をもう一度学んだこともありました。
加賀山 :日英翻訳もやっていらしたそうですが。
小尾 : いまはほとんどやっていません。NHKのドキュメンタリー番組や、長尺の映画などがありましたね。新人のころは「なんでもやります!」でしたけど、日英翻訳のたいへんさがわかったこともあり、最近はもっぱら英日です。
英文法も大事
加賀山 :ふだん心がけている勉強方法などありますか?
小尾 :
やはり映画やドラマなどを見ることでしょうね。ほかの人が訳した作品は本当に勉強になります。吹替の日本語を聞きながら、字幕も出して見ると、吹替と字幕のちがいがよくわかります。「吹替では、ここまでキャラ立てたんだ」とか。
もちろん、本を読むことも勉強になります。正直なところ、なかなか時間はとれませんが。
加賀山 :これはまったく個人的な意見ですが、出版の場合、昔は読むだけでこの人とわかるくらい訳者の個性があったのに、最近は、全体の質は上がっているにせよ、画一化が進んでいるというか、似たような訳になっていると思うんですね。映像翻訳でそんなことはありませんか?
小尾 :
ひとつ思うのは、DVDがなかったときの吹替はかなり自由だったということですね。私みたいにDVDで吹替を聞きながら字幕を見る人がいると、両者のちがいに気づきますから。字幕と吹替がちがうじゃないか、といったクレームもなくはないのです。文句を言うほど真剣に見てくれているのだから、うれしいことではありますけれど。
そういうわけで、仕事でも「字幕と吹替のすり合わせをしてください」、「字幕(あるいは吹替)とちがう箇所は申し送ってください」と要望されることがあります。吹替は、作品にもよると思うのですが、キャラクターが立ったほうが圧倒的におもしろくなる場合があるので、そのへんが自由にできるとおもしろいかもしれません。
最近の例では、シリーズの最初に不思議ちゃんキャラの一人称をディレクターさんに相談させていただいて、最終的に「ミー(は・が)」と決めた案件があったのですが、役者さんがものすごく楽しいお芝居をしてくれました。
加賀山 :そういう工夫ができると、訳すほうも見るほうも楽しくなりますよね。
小尾 :
はい。ただ、制作側にどのくらい裁量の余地があるかにもよりますし、複数の翻訳者がかかわっているときは、冒険するのは危険でもあります。
それに、じつのところ、本当に多くの人が見て楽しんでいる作品というのは、奇抜なことをしなくても自然にみんなに受け入れられている。ひとつの理想ですね。私の場合には、ディレクターや制作のかたたちと相談して、方針を決めていきます。
加賀山 :これから映像翻訳でデビューしようというかたに何かアドバイスをいただけませんか?
小尾 :
縁を大切に、ということでしょうか。その「縁」は作ることができるものなので、最初は自分のほうからいろいろ動いて、何にでもチャレンジしてみることをお薦めします。
あと、英文法は大事です。文法に助けられることはけっこうありますね。最近では、psychicというのが出てきまして、そこは初稿の段階で名詞と取りちがえていたんですが、不定冠詞のaがついていなかったから、形容詞だったんです。
もうひとつ例をあげれば、仮定法は「事実とちがう」ことを述べる、といった知識です。登場人物が仮定法を使っていれば、「○○さんは本当は生きていない」といったことがわかるんですね。そういう細かい点を取りこぼすと、5話で生きているはずだった人が8話で死んでいた(!)などという大事件になりかねません。
加賀山 :たしかに。小説ですといちおう最後まで読めますから、その種の事故は起きにくいのですが、急ぎでドラマを訳すときなどは、先の展開がわからないこともあるでしょうから、たいへんですね。
小尾 : そういうときには、現地の人たちが見て書きこんだネット情報なども駆使して、「この人、本当は性格悪いんだ」(笑)などと把握しながら仕事をします。
■さすが台詞の専門家。コミュニケーション能力の高さにつられて、長々と話をうかがってしまいました。そろそろ夏に向けて、『シャークネード』の新作に取りかかるころでしょうか。楽しみにしております。