アメリア会員インタビュー



齋藤慎子さん

第60回
あこがれの翻訳に遠いスペインの地からインターネットを駆使して挑戦!
  齋藤慎子さん
Noriko Saito


社会人12年目にして夢への一歩を

坂田:今回のゲスト、齋藤慎子さんは現在スペイン南部の地中海を見わたす町にお住まいです。翻訳には以前から興味があったものの、自分にできるとは思っていなかったそうです。スペインで仕事が見つからず、やはり翻訳しかないと思い、それから本格的に翻訳の仕事を探し始めました。現在は出版翻訳を中心に日本の出版社から依頼を受けた仕事を多数こなしています。翻訳にたどり着くまでの経緯、日本の会社との仕事の仕方などについてお話を伺いたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

齋藤:こちらこそ、よろしくお願いします。

坂田:翻訳には以前から興味があったということですが、それはいつごろからですか?

齋藤:漠然とした興味という意味では、小さいころからですね。両親ともに本が好きで、とにかく本の多い家でした。ごく普通のサラリーマン家庭でしたが、引っ越しのたびに引越業者から「お宅のご主人は大学教授かなんかでっか。えらい本が多いですなぁ」と母がこぼされていたのを思い出します。いま思えば、狭い家のわりには、ということだったのでしょうけど(笑)。その影響もあってか、私もよく本を読みました。外国の本をよく読んでいた記憶があります。『エルマーのぼうけん』シリーズや『ニルスのふしぎな旅』など冒険ものが大好きでした。子ども向けの世界名作全集も読みました。イソップやアンデルセンなどの童話よりは、『ガリバー旅行記』、『ああ無情』、『巌窟王』などが好きでした。

将来なにをするかを具体的に考えるようになった大学生の頃は映画が大好きだったので、字幕翻訳のほうに関心が向きました。ただ、あこがれのようなもので、現実的じゃないだろうなという思いがあって、普通に就職活動をして企業に勤めましたが。

坂田:では、それからずっと翻訳には縁がなかった?

齋藤:勤めたのは広告会社の国際部だったので、仕事の中で社内資料を翻訳するといったことはありました。翻訳へのあこがれはずっと持ち続けていたので、翻訳コンテストを見つけたら応募したりはしていましたね。社会人になって12年くらい経って、広告の仕事は体力的にもキツイし、将来どうしようかと悩む時期があり、あこがれだった翻訳を一度きちんと学んでおこうと学校に通うことを決めました。やはり映像翻訳へのあこがれがあったので、字幕・吹替の通学講座を選び2年間ほど通いました。

坂田:いよいよ夢の実現ですね。2年間学び、仕事に結びつきましたか?

齋藤:それが、その方面の仕事をそろそろ真剣に探そうと思っていた矢先に結婚することになって……。夫はスペイン人の公務員で、仕事を辞めて日本に住む気にはなってくれなかったので、私が折れて(笑)日本での仕事を辞め、スペインへ行くことにしました。なので残念ながら映像翻訳の仕事はしていません。夫の仕事の都合で1年間だけシドニーで暮らしましたが、2003年からずっとスペイン南部の町で暮らしています。

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