アメリア会員インタビュー

安藤 貴子さん

安藤 貴子さん

いつからでも間に合うという気持ちを

プロフィール

英日翻訳者。大学卒業後、外資系銀行勤務、英語講師、アメリカでの日本語講師を経て、2005年からフリーランス。現在は出版翻訳をメインに、ウェブ記事なども手がける。最新訳書『「インターネットの敵」とは誰か? サイバー犯罪の40年史と倫理なきウェブの未来』(双葉社刊)は、発売日に合わせて著者が来日し、フィンランド大使館でお目にかかるという希有な機会に恵まれた。

チェッカーから実務翻訳、出版翻訳へ

加賀山 :今日は札幌市にお住まいの実務・出版翻訳者、安藤貴子(あんどう たかこ)さんにお話をうかがいます。
 まず実務翻訳のほうですが、プロフィールを拝見すると、Wired、Business Insiderのウェブ記事(経済、環境、AIなど)、プレスリリース(機械、化粧品、アパレル、鉄鋼、大使館など)、カタログ(自動車、家具、食品など)、広告キャンペーン資料(航空、飲料)、ウェブサイト(化粧品、ゲーム、航空、テレビ局)、決算資料……というふうに、幅広い分野や媒体の仕事をされています。

安藤 :ここ5年くらいの実績です。最初は実務が中心でしたが、いまは書籍の翻訳がメインになっていて、その合間にウェブ記事を訳し、さらにその合間にほかの実務翻訳という感じで働いています。あまりキャパがないので(笑)。

加賀山 :実務翻訳から始めて出版翻訳が中心になってきたのですね。フリーランスになってからどのくらいですか?

安藤 :18年くらいです

加賀山 :長いキャリアですね。アメリアにはいつごろ入られましたか?

安藤 :昔、勉強のためにちょっと入っていたことがあるんですが、そのときには翻訳は自分に向いてないと思っていったんやめまして(笑)、その後十年以上たってから家でやれる仕事を探すうちに、やはり翻訳しかないということになって再入会しました。入って十数年になります。

加賀山 :翻訳の仕事は18年ですから、アメリア入会は仕事を始められたあとだったのですね。

安藤 :そうです。すごく無謀なんですが、英語にはずっとかかわっていたので、最初は状況を調べながら独学で翻訳を始めて、たまたま仕事をいただいたあとでしっかり勉強する必要を感じて、フェロー・アカデミーやアメリアのお世話になりました。

加賀山 :通信教育で学ばれたのでしょうか?

安藤 :東京に住んでいたときに半年ほど学校に通いましたが、実家がある北海道に帰ってからは通信教育でした。

加賀山 :習ったのは実務翻訳ですか?

安藤 :最初は経済分野の実務翻訳でした。当時は出版翻訳をすることになるとは思っていなくて、興味もあまりありませんでした。出版でデビューするにはまず先生に弟子入りして、というような世界だと思っていましたから。

加賀山 :すると、どこから出版翻訳の話が来たのでしょうか?

札幌市内にある幌見峠ラベンダー農園。

安藤 :リーマンショックのあと、仕事がものすごく減って閑になった時期がありまして、そのころ本を1冊訳す企画のオーディションを受けて合格したんです。ギャラが安くてほかの方が引き受けられなかったのかもしれませんが(笑)。それでご縁ができて、そこから少しずつ出版翻訳をするようになりました。

加賀山 :リーマンショックというと2008年ですね。実務翻訳の実績には、JICA(国際協力機構)の報告書とか、EUの官報、政府の報告書などもありますが、これらも同じ翻訳会社からの依頼ですか?

安藤 :はい。数は少ないですが、同じ実務系の翻訳会社さんからでした。

加賀山 :ほかのお仕事も含めて、すべて同じ翻訳会社から来るのでしょうか?

安藤 :いろいろです。登録だけというところもありますが、最初に拾ってくださった数社からはわりと定期的にいただいていました。

加賀山 :途中からアメリアに入ったのだとすると、とくにアメリアをつうじて翻訳会社を開拓したわけではないのですね。

安藤 :アメリアさん経由で決まった話はあまりなくて、自分で探してトライアルを受けたところがほとんどです。アメリアは、同業者の横のつながりを作ったり、こういうインタビュー記事などを読んだり、ほかにもいろいろな情報を得るのに役立っています。昔は掲示板が充実していて、「仕事が来ないんですけど……」みたいなお悩み相談があったりして、よく読んでいました。心の支えになりました(笑)

加賀山 :実務のなかでとくに記憶に残っている仕事はありますか?

安藤 :契約書ですかね。最初のころは翻訳よりチェッカーの仕事を多くしていたんですが、そのときに契約書を担当して、よくわからないままチェックをするのもどうかと思って、フェローさんの契約書の講座を受けました。それで理解が深まったころに、今度は契約書の翻訳の仕事もいただくようになりました。。

加賀山 :なるほど。お仕事は英日と日英の両方ですか?

安藤 :チェッカーは両方ですが、翻訳のほうは英日のみです。

加賀山 :すると経歴の流れとしては、英日と日英のチェッカー、英日の実務翻訳、そして出版翻訳ということですね。チェッカーの履歴には、各種機械の取扱説明書、エレベーターやクレーンの仕様書、IR文書、治験報告書などもあります。チェッカーのほうが幅広い分野を担当されたのですね。

安藤 :そうですね。翻訳するのは難しくてもチェックはできますというレベルです。「チェッカーをやると翻訳はできませんよ」とおっしゃる先輩方もいらっしゃいますけど……。

加賀山 :え、そうなんですか? それはなぜ?

安藤 :チェックばかりやっていても翻訳者にはなれないという意味だと思いますが、私は分野によってはすごく勉強になると思います。

加賀山 :私は出版翻訳のみですが、自分が訳したもの以外で原文と訳文を突き合わせる機会は、意図的に作らないとなかなかないんです。でもそれがいちばん勉強になると思っていて、チェッカーはそもそもそういう仕事ですからね。

安藤 :そうです。もちろん現状に満足してしまうと、そこから先には行けなくなりますけど、やり方しだいで「チェッカーから翻訳者にもなれますよ」と言いたいです。

加賀山 :ちなみに、コロナ禍で仕事の内容が変わったりしましたか?

安藤 :基本的には変わりませんでしたが、初期の2020年ごろは、Wiredなどでしばらくコロナ関連の記事が増えました。夫婦ともに在宅勤務になったけれど、ずっと家にいても家事をするのは妻だけで夫は何もしない、どうしたらいいんだ(笑)といったテーマの記事は、どこの国も同じなんだと思って興味深かったです。あとは、オンライン会議の限界とか。

脳科学の本をわかりやすく訳す

加賀山 :現在メインの出版翻訳のお仕事のほうに移ります。いちばん新しい本は、『「インターネットの敵」とは誰か? サイバー犯罪の40年史と倫理なきウェブの未来』(ミッコ・ヒッポネン、双葉社)でしょうか?

安藤 :はい。サイバーセキュリティの会社で働いているフィンランドの方が書いた本で、インターネットの黎明期から現代までのウイルスとの闘いや、昨今のAIがどうなっているかといったところまでカバーしています。

加賀山 :タイムリーなテーマですね。次に新しいのは『セックスロボットと人造肉 テクノロジーは性、食、生、死を“征服”できるか』(ジェニー・クリーマン、双葉社)ですね? タイトルだけ見てどんな話だろうと思ったら、テクノロジーがどれだけ世の中を変えるかという内容のようです。『「無人戦」の世紀 軍用ドローンの黎明期から現在、AIと未来戦略まで』(セス・J・フランツマン、共訳、原書房)という本も訳されました。全体の傾向として、テクノロジー、IT関連のお仕事が多いんでしょうか?

安藤 :たまたまそうなっています。最初のころ、ウェブデザインに関連した仕事が多かったので——

加賀山 :『みんなではじめるデザイン批評』(アーロン・イリザリー他、ビー・エヌ・エヌ新社)とか『デザイン組織のつくりかた』(ピーター・メルホルツ他、ビー・エヌ・エヌ新社)などでしょうか?

安藤 :——そうです。とくに自分で選んだわけではありませんが、その流れで来ているのだと思います。

自宅近くのサイクリングロードは、いつものウォーキング・コース。

加賀山 :まえの本からのつながりで引き受けているうちにだんだん偏ってくることがありますよね(笑)。いままでに20冊以上訳されていますが、出版翻訳でとくに印象に残っている作品はありますか?

安藤 :もともと大人向けに書かれたものを子供向けに書き直した『学ぶ力を強くする ガリ勉しないで成績を上げる脳の使い方』(バーバラ・オークリー他、ヤマハミュージックメディア)という本があります。テーマは効率的な学習法ですが、脳科学のシンプルな説明がとてもわかりやすくて、ニューロンとか基本的な脳科学の入門書にもなるような本です。版元さんも大々的に宣伝して売るという感じではなかったんですけど、重版もかかりましたし、読んだ友人がすごくおもしろかったと言ってくれたので、よく憶えています。こういう本がもっと売れるといいですね。

加賀山 :このまえインタビューした方もおっしゃっていましたが、科学的な説明は、子供向けの本のほうが図解なども多くてわかりやすいことがあるようです。

安藤 :理解するのにちょうどいいですね。ただ、訳すときには専門用語を使わないのでかえって難しいこともありました。この用語を使えたら楽なのに、というような。
 この本の著者もすごく親切で、どうしても理解できないジョークがあったのでこちらから出版社経由で質問したら、「ジョークを訳すのは難しいわよね。それならこういうふうに変えましょう」と提案してくれたりしました(笑)。

加賀山 :ジョークの日本バージョンですね。『ジョー・バイデン 約束してくれないか、父さん』(ジョー・バイデン、共訳、早川書房)や『私たちの真実 アメリカン・ジャーニー』(カマラ・ハリス、共訳、光文社)といった政治関係の本も訳されています。

安藤 :どちらも共訳で、同じエージェントさんからいただきました。初めて扱う分野だったので、カマラ・ハリスさんの本を訳したときには共訳の方とのあいだに実力差がありまして、私は訳文を直されたりしながら、「ああ、ここはこういうふうに訳さなきゃいけないのか」というふうにたくさん学ぶことがありました。

加賀山 :お互い相手のゲラとかを見るから勉強になったわけですね。

安藤 :それまではどちらかと言うと専門書が多くて、あまりたくさんの人に読まれる本を訳したことがありませんでした。その点、カマラ・ハリスの本は友人たちが広く読んでくれて、女性にも受けたので、うれしかったです。

加賀山 :最初のお仕事は『人類の歴史を変えた発明1001』(ジャック・チャロナー、共訳、ゆまに書房)でしょうか?

安藤 :そうです。それが先ほど言ったオーディションの企画で、3、4人でやる翻訳者のひとりに選んでいただいて訳しました。

ポピュラーサイエンスのおもしろさ

加賀山 :経歴についてうかがいます。大学卒業後に外資系企業に就職されたそうですが、そこにどのくらいいらっしゃったのですか?

安藤 :3年くらいですね。

加賀山 :そのあとすぐフリーランスになられた?

安藤 :アルバイトみたいな形で翻訳をやってみましたが、あまり向いていないと思って(笑)、やめました。そして地元に帰ってからは、英語を教えたりしていました。

加賀山 :そのあと翻訳を始められた。いろいろあったのちに落ち着いたというか(笑)。

安藤 :そうですね。主人が転勤族だったので、英語を教える仕事もなかなか続かないという事情がありました。北海道のなかを移り住むので、東京とかと違ってそんなに働けるところもありませんし。最初は働かなくてもいいかなとも思ったんですが、2〜3年それが続くと飽きてしまって、何かないかなと考えました。そこで結局自分にできるのは翻訳なのかということになりまして、できるかできないかわからないけれどやってみようと。ふり返って見ると、我ながらずいぶん図々しかったと思います(笑)。

加賀山 :それから翻訳の世界に入って、フェロー・アカデミーでの学習歴が3年。通信講座で契約書、リーディング、実用書/自己啓発書を学ばれたのですね。いまは学校では習っていませんか?

安藤 :習っていませんが、自己啓発書の通信教育でお世話になった上原裕美子先生が年に何回かオンライン勉強会をやってくださるので、都合が合えばそれに参加しています。とても貴重な機会で勉強になります。

加賀山 :ほかにふだん勉強されていることはありますか?

安藤 :ひとつ仕事の山を越えると自分に足りないところが見えてくるので、そのテーマで訳例を集めてみたり、原書と訳書を突き合わせてみたり、こういう表現は使えそうだというようなものをノートに書いたり、そんなことはしています。読書も意識的にしないと、読む量が減ってしまいます。

加賀山 :手元に仕事があると、どうしてもそっちをしてしまいますよね。翻訳でこれから開拓したい分野などありますか?

安藤 :もうちょっとポピュラーサイエンス寄りのものを手がけてみたいですね。もともと文系なので食わず嫌いをしていたんですけど、先ほどの脳科学系の本にしても、わかりやすく科学を解説しているものはすごくおもしろいので。脳科学についても、違う方面からやってみたいなと思います。
 あとは、お話をいただくなかで無理のないものをできるだけ受けていきたいです。いままでもずっとそうやってきましたから。

加賀山 :ぜんぜん知らなかった分野でいただく仕事にもおもしろいものはありますからね。

ときに孤独な翻訳作業を支える相棒も、気がつけばもう11歳。

安藤 :ありますあります。そういうものをひとつずつやっていきたいですね。

加賀山 :最初は出版翻訳を考えておられなかったということですが、今後は出版を中心にということでしょうか?

安藤 :実務と比較するわけではありませんが、このおもしろさを知ってしまったらやめられないというか、本という形になったときの喜びは何物にも代えがたいですね。ふだんは「もう嫌だ、もう休む」と文句ばかり言っていますけど、1冊終わると寂しくなって、早く次が来ないかなあと。

加賀山 :昔から本がお好きだったんでしょうか?

安藤 :ここで「すごく本が好きでした」と言えればいいんですけど、そうでもありません(笑)。もちろん読むことは読んでいますが、出版翻訳者のなかにはすごく読まれる方がいらっしゃるじゃないですか。

加賀山 :そうですね。ものすごい量を読む方がいます。

安藤 :そういう方々に比べたら、ごめんなさいというレベルなので。ですから、せめて仕事がひと区切りついたら何か読むように心がけています。翻訳の仕事を始めてからそうなりました。

加賀山 :私は会社員時代の通勤中がいちばんの読書時間だったので、フリーランスになったとたんに読書量ががくんと減りました。フリーになってから読書量が増えたというのはいいですね。

安藤 :もっと労力のかかる骨太なものも訳してみたいんですが、実務から来ているせいか、裏づけのとれない話が少し苦手なんですね。

加賀山 :空想の話とか?

安藤 :そうですね。たとえ話とか、風景描写とか(笑)、そういうものを生き生きと訳すのが難しいです。「だって見てないし」と思ったり(笑)。ビジネス系でも著者の数字の間違いを見つけたりするのが好きなんですけど、逆に答えのない、調べようのないものを訳すのが苦手で、そういう面で理解力を高めて表現の幅を増やさなければいけないと感じています。

加賀山 :さも見たかのように訳さないといけませんからね(笑)。英語は昔からお好きだったのですか?

安藤 :好きでした。英語を使って何かしたいという思いだけで大学を選び、職も選びました。中学生のときに英語をちょっと勉強したら点数が上がってうれしかったあたりから始まって、「これがいちばん好きだ」となったんですね。広く浅くいろいろな分野を訳しているというのは、ほかに大きな専門分野がないことの裏返しでもあります。

加賀山 :来るものは拒まずという方針も立派です。出版翻訳をめざしている方に何かアドバイスはありますか?

安藤 :そうですね。私はこの仕事を20年近くやっていますけど、本格的に始めたのは40歳になる頃からです。「40歳からでもぜんぜん間に合いますよ」ということはお伝えしたいです。ちょっと向いてないと思ってやめた経験もありますが、そのときそのときに与えられたものをまじめにやっていくことで、仕事の幅が広がりました。

加賀山 :あきらめる必要はないということですね。

安藤 :人生100年とか急に言われるようになりましたが、いつからでも間に合うので、あきらめずに始めてほしいです。

加賀山 :最後にうまくまとめていただきました(笑)。

安藤 :やっといいことが言えましたね(笑)。

■「たまたま」そうなったと何度かおっしゃっていましたが、その都度、ときには無意識のうちに将来の展望が開ける道を選んでこられたのだと思います。基本は、バイタリティと新しいことへの興味でしょうか。これからも健康に気をつけてがんばりましょう。

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