木田 雅子さん映像翻訳のあらゆる分野に飛びこむプロフィール大学卒業後、結婚・出産を経て映像翻訳の道に入る。フェロー・アカデミーのゼミに通いながら下訳、チェッカー、リライトなどで経験を積み、2014年に本格デビュー。ホラー、コメディ、情報番組、映画祭作品など多分野で字幕・吹替の両方を手がける。代表作に『それいけ!ゴールドバーグ家』、『イングリッド ネットストーカーの女』、『緑のたまごとハム 〜サムとガイの大冒険〜』など。現在コメディドラマを字幕で翻訳中。息抜きは大声で歌うこと。 ジョークを訳すのは楽しい加賀山 :本日は、映像翻訳でご活躍の木田雅子(きだ まさこ)さんにお越しいただきました。訳された作品についてさっそくうかがいたいのですが、いただいたリストには、『それいけ!ゴールドバーグ家』、『イングリッド ネットストーカーの女』、『クリスティンの奇妙なお菓子教室』、『BBC EARTH タイ 〜楽園への招待状〜』などがありますね。『それいけ!ゴールドバーグ家』、アマゾンで検索しても出てこなかったのですが、どのような作品ですか? 木田 :ドコモの動画配信サービスdTVで見られましたが、2018年の夏ごろからは地上波のTOKYO MXでも放送していました。1980年代のフィラデルフィア郊外の町が舞台のファミリー・コメディで、プロデューサー(アダム・F・ゴールドバーグ)やスタッフの子供のころのエピソードをドラマにしていて、毎回最後にはそのエピソードに関連した80年代の実際の映像が流れます。 加賀山 :つまり、プロデューサーの人生が素材としてかなりおもしろい? 木田 :そうですね。たとえば、お母さんはすごくキャラクターの濃い人で、髪の毛も「爆発ヘア」、お父さんは家に帰ってくると玄関でズボンを脱いでテレビのまえに座るのが日課というふうに、まず家族がおもしろいんです。今アメリカではシーズン7が放送中です。 加賀山 :けっこう人気のあるシリーズなんですね。 木田 :本国では人気のようで、脇役を主人公にしたスピンオフの作品も作られています。日本では、最初は大手の配信サービスで流れたのですが、内容がちょっとマニアックすぎたのか、どんどん扱いが小さくなりました。脚本や間合いの取り方など絶妙で完成度も高い作品なのですごく残念です。歌やジョークもたくさん出てくるので、訳すときには、「よし、やってやるぞ」と燃えました(笑)。 加賀山 :吹替を訳されたのですね? ジョークも吹替では字幕よりわりと自由に訳せるのでしょうか? 木田 :字幕ではルビを活用してジョークを説明できたり、便利なこともあるのですが、字数制限があるうえ、原語が同時に聞こえるので、あまりかけ離れた意訳をすると視聴者に違和感を与えてしまいます。その点は、原語が聞こえない吹替のほうが自由度は高い。もちろん原語の方向性やポイントははずさないようにしながら、ちょっとちがうギャグに変えることができます。この作品では、私の案をそのまま採用してもらったジョークがけっこうありました。 加賀山 :訳しがいがありそうですね。 木田 :ええ。1話20分ほどなのですが、ほぼずっと誰かがしゃべっていて、キャラクターもそれぞれおもしろいし、とても楽しい仕事でした。 加賀山 :これはうまくできた、というギャグはありますか? 木田 :うーん……たとえば、主人公が子役オーディション用の写真を撮ってもらう場面があって、腕がいいと評判のカメラマンのところに行くんです。「顔写真の王ですって?」とお母さんが言うと、そのカメラマンが「ああ、くれぐれも無礼のないように」と。カメラマンだけに、「ブレがない」とかけたんです。これはお風呂に入っているときに思いついて、われながらすごいと(笑)。声優さんはちょっと言いにくそうでしたけど(笑)。 加賀山 :なるほど、楽しそうです。逆に苦労されたこともありましたか? 木田 :80年代のドラマなど、当時流行したものをけっこう調べなければなりませんでしたが、いまはネットにも情報がたくさんありますし、古いドラマそのものをYouTubeで見ることもできますから、さほど苦にはなりませんでした。
加賀山 :見直しに2日かけるというのは、特別な理由があるのですか? 木田 :自分には必要ということです。翻訳者によっては、まず「直訳」しておいて、あとで字数を合わせるかたもいるようですが、私は最初からだいたい合わせた完成形のものを勢いで訳していきます。はじめに勢いと感覚に頼らないと、いい訳が浮かびません。そのあとひと晩は置いて、もう一度じっくり確認していくのです。じつは一時、訳のまちがいが続いて大きな迷惑をかけたことがありまして、そこで猛省した結果、見直しは1日では足りない、2日にしようと決めたのです。 配信作品の需要はさまざま加賀山 :『クリスティンの奇妙なお菓子教室』というのは、どういう作品ですか? 木田 :アメリカの料理番組ですが、ドラマ仕立てになっていて、主人公のクリスティンが、グロテスクだけどすごく精巧なお菓子や飾りを作ります。たとえば、クモとか、骸骨とか、お化け屋敷とか、そういうものを作って、毎回誰かをもてなすという趣向です。 加賀山 :レシピもついている? 木田 :レシピもありますし、「ここは時間をかけて」とか、作るときのポイントも説明してくれます。私も影響を受けて、怖い顔のキャンドルを作っちゃいました。 加賀山 :さっそく(笑)。 木田 :とはいえ、こういった作品は、視聴者がレシピを見て実際に作る料理番組というよりは、ドラマの部分や、「へー、こんなふうに作るんだ」というふうに技を見て楽しむ部分が受けているのかもしれません。 加賀山 : 最近の番組にはそういう需要もあるんですね。がらりと変わって、『BBC EARTH タイ 〜楽園への招待状〜』はドキュメンタリーでしょうか? 木田 :そうです。時間をかけて撮影したナショナルジオグラフィックのような作品で、映像が美しいのでお薦めです。WOWOWで放映されました。 加賀山 :ボイスオーバーを訳されたんですね。 木田 :はい。ボイスオーバーはふつう原語が小さい音で聞こえるのですが、これは原語がまったく聞こえない語り形式だったので、尺をあまり気にしなくていいと言われました。思い切った表現ができたりしましたが、長すぎると当然読みづらくなりますから、気をつけました。 加賀山 :『イングリッド ネットストーカーの女』は、検索で出てきました。すごく怖そうな内容で……。 木田 :いや、怖くはないですね。 加賀山 :あれ、そうなんですか? 木田 :日本語のタイトルは怖そうですけど、原題は“Ingrid Goes West”で、たんに「イングリッド、西へ行く」です。たしかに、憧れの人に接近していくという内容ではありますが、カリフォルニアの太陽が燦々と輝いて、むしろ雰囲気は明るい。サスペンスというより、主人公がちょっと痛々しいブラックコメディですね。 韓国映画の字幕も担当加賀山 :韓国映画の『パーフェクト・ボウル 運命を賭けたピン』の字幕も訳しておられます。 木田 :訳したのは2017年で、2018年の夏ごろようやくDVDになりました。主演はユ・ジテで、ボウリングの元スターがある事件をきっかけに落ちぶれているという設定です。 加賀山 :英語のスクリプトから訳されたのですか? 木田 :英語の字幕からです。英語の作品でも、たいていもらうのはスクリプトではなく、誰かが聞き起こした原稿がほとんどのようなんです。この作品のときも、文字に起こした韓国語と、それを英訳したものもいっしょに渡されましたが、基本は英語の字幕から訳しました。
加賀山 :(本題からはずれてすみません)最近の韓国映画でお薦めはありますか? 木田 :少しまえですが『あなた、その川を渡らないで』というドキュメンタリー映画を見ました。老夫婦の毎日の暮らしを追うだけなんですけど、これがすごく感動的で、映画館じゅうみんなが泣いていたという……。最新のものでは『パラサイト 半地下の家族』がすごくおもしろかったです。 加賀山 :それはぜひ見なければ。『極北のナヌーク』というドキュメンタリーの字幕も訳されました。 木田 :「ドキュメンタリー映画の父」と呼ばれるロバート・J・フラハティが1922年にイヌイットの生活を記録した映画で、サイレントです。 加賀山 :え、すると訳すところがないのでは? 木田 :いいえ。最初とか途中に、背景説明のような英語の長い文章が何カットか入るんですね。それを訳しました。
加賀山 :説明文のカットが長く出ているあいだに、字幕が何度か切り替わるのかな。 木田 :そうです。そこがふつうとちがいました。短めのハコで規定の文字数より1文字超えているのと、長めのハコで1文字超えているのとでは、短めのハコのほうがやや忙しく感じるんですね。そのとき、短いハコの時間を少し延ばし、長いハコの時間を縮めると、ちょうどいい具合になるということにも気づきました。人間が読むのにかかる時間は4文字でも14文字でもそれほど差はないと言いますか、読み終わったあと字幕が消えるまでの時間をそろえたのです。 加賀山 :なんとなくわかります。これは淡々とイヌイットの生活を撮っているのですか? 木田 :そうですね。セイウチ狩りの場面などでも、群れを見つけるところから、獲って海から引き上げて切って食べるまでをずっと撮っています。雪を切って積み重ねて家を作ったり、カヤックで交易所に行ったり、初めて見る暮らしですよ。
加賀山 :すでにほかの文化が入っていたということですね。いろいろな作品を訳されていますが、映像翻訳の仕事はどうやって始めたのですか? 木田 :最初は2012年、クローズドキャプションといって、耳の不自由なかたのために日本語の番組を聞いて字幕に起こす仕事をしました。その後、字幕に訳すまえに台詞を区切るスポッティングのみの仕事や、先輩翻訳者の下訳、チェッカーなどをして、本格的にデビューしたのは2014年です。これらの仕事は、どれも知人からの紹介がきっかけで、翻訳会社もさまざまでした。 加賀山 :修業時代ですね。 木田 :そのうち、最後に「翻訳:木田雅子」と出る大きめの作品をやらせていただけるようになり、いま継続的に仕事をいただいているのは2社ぐらいです。 『E.T.』に導かれてこの仕事に加賀山 :翻訳に興味を持ったそもそものきっかけは何でしょう。 木田 :中学生のときにテレビで『E.T.』を見て、映画が大好きになったんです。英語も好きだったので、そのふたつが合わさって、字幕に興味を持ちました。そこから戸田奈津子さんの著書を読みあさり、将来は字幕翻訳家になりたいと思ったのですが、高校に入ると別のことに興味が移って、翻訳のことは忘れていました。
加賀山 :学校より何よりアメリア登録が先だった(笑)。 木田 :でも、登録だけでは何も起きません。アメリアの事務局にメールで相談したところ、映像翻訳にはいろいろルールがあるので学んだほうがいいというアドバイスをもらったので、フェロー・アカデミーの通信講座をとって、次にアンゼたかし先生のゼミに6年通いました。いつのまにかハワイ子連れ留学のことはすっかり考えなくなっていました(笑)。 加賀山 :ゼミにいたころから仕事はされていたのですか? 木田 :していました。ただ、今日お話しした作品はどれもゼミを卒業してからです。
加賀山 :仕事のためにふだんから心がけているようなことはありますか? 木田 :誰かと話しても、テレビを見ても、日常生活のなかで「おもしろい」と思うことにはつねにアンテナを張っています。この表現いつか使おう、というふうに。それに、英語がまだ弱いと思っているので、時間があるときには解説書などを読んでいます。チェッカーの仕事は、英文を見ながら他のかたの訳文をじっくり見ていくので、とても勉強になって、「つかめた感」がありましたね。
加賀山 :それは文芸翻訳でも同じですね。得意分野とか、好きな分野はありますか? 木田 :コメディや個性的な人たちが出てくるものは見るのも訳すのも好きです。社会派ドラマやラブストーリーもやってみたい。ただ、なんにでもすぐにはまってしまうほうなので、仕事を引き受けるときに分野を絞っていません。アメリカの軍事ものを訳したこともあるのですが、そのときには同じような特殊部隊の映画をいろいろ見て訳語を拾ったりしました。 加賀山 :調べものが苦にならないんですね。 木田 :なりませんね。映像翻訳には本当にいろんなネタが出てくるので、車のドリフトとか、マヤ文明とか、伝書バトとか、それまで興味がなかったのに、仕事をいただいてすごく興味が湧いたことも多々あります。どんな分野でも飛びこんで訳したいと思っています。 ■楽しいお話をありがとうございました。ご本人は自分を「叩き上げ」とおっしゃいますが、いやいや、勉強好きの努力家でなければいまの業績はないでしょう。お薦めの感動老夫婦映画、近いうちに見てみます。 |