
野畑 直之さん
沖縄で充実の翻訳生活
プロフィール
英日実務翻訳者。 広告代理店と外資系事業会社で消費者向け、ビジネス向けマーケティング・PRを担当し、その後フリーランスの翻訳者として独立。会社員時代は、マーケティングやPR業務の一環での消費者向け、顧客向け資料やコピーライティングの翻訳やチェックを行う日々を過ごし、同時に翻訳学校のゼミで10年間文芸翻訳を学ぶ。翻訳学校時代に小説の翻訳そのものよりも、原文から「読みやすい日本語を作る作業」に惹かれる自分に気づき、企業での経験と学校で学んだことを活かせる実務翻訳の道に進む。起業してまもなく夫婦で東京から沖縄に移住。現在は、正確性と読みやすさの限界に挑戦しながら、企業DXやスマートフォン等のIT分野、動画配信サービス等のエンターテインメント分野の翻訳を中心に活躍中。沖縄移住後に身についた習慣: 思い立ったらすぐ海水浴、ビーチで読書、橋の上から海ガメ鑑賞、カフェホッピング。
「意訳に逃げない」こと
加賀山 :今日は沖縄で産業(実務)翻訳をしておられる野畑直之(のはた なおゆき)さんにお話をうかがいます。
プロフィールの業務内容として、「デジタルメディアコンテンツのローカライズ(英語→日本語)」をあげておられますが、まずこれを少し具体的にうかがえますか?
野畑 :今ほぼ毎日翻訳しているのは、大手のIT企業と動画配信サービス企業の仕事です。後者に関しては、作品の字幕ではなくて、テキストの翻訳をしています。それぞれの作品を紹介する短いシノプシスがありますが、その一部を訳しています。
加賀山 :1番組を2〜3行で紹介している文章ですね。配信サービスでよく見ます。こちらの業務ではどのようなことが求められていますか?

自宅から車で10分のお気に入りビーチ
野畑 :以前翻訳会社さんからいただいたアドバイスのなかでもすごく憶えているのは、「意訳に逃げない」という言葉です。産業翻訳では意訳を好むクライアントさんもいらっしゃいますが、この仕事のように、単語一つひとつまで妥協せず、正確に訳すことが求められることもよくあります。たしかに、意訳に逃げると簡単になるんです。でも正確に訳すことの大変さが身に染みてわかって、ほかの仕事にも役立っています。良い修行になりました(笑)。
加賀山 :今はもう慣れて、すいすい訳しておられるのでは?
野畑 :相変わらず下調べには時間がかかります。いちばん時間がかかるのは人名で、たとえばスウェーデン人でカタカナ表記が見つからない場合は、YouTubeでその人の名前が発音されている動画を探して音声を拾うこともあります。
加賀山 :スウェーデン語は、アルファベットから想像がつかないような発音になりますからね。
野畑 :難しいです。ほかにトルコ人のケースもありました(笑)。YouTubeにも名前が出てこないような人の場合には困りますね。
加賀山 :もうひとつ毎日やっておられるというIT企業の翻訳のほうは、お客様向け、社内向け、どういった内容ですか?
野畑 :BtoC(Business to Consumer:企業から一般消費者向け)が多いんですが、BtoB(Business to Business:企業から企業向け)もあります。社内向けはあまりありませんね。
今やっているのが、スマートフォンの新商品に関する広告コンテンツや販促マニュアルの英日翻訳とレビューです。ほかには、教員を対象とした教育サポート用のデジタルツールや、動画クリエイター向けの販促ツール(フォロワーを増やすノウハウのようなもの)を訳しています。
トランスクリエーションも手がける
加賀山 :実績の次の項目の「ビジネスレター、メール翻訳(英語⇄日本語)」は、どういう内容ですか?
野畑 :最近はあまりありませんが、おもに日本企業が海外と交渉したりするときの手紙やメールの英訳ですね。
加賀山 :「企画書作成、レビュー(英語⇄日本語)」もあります。
野畑 :パワーポイントで作られた英語の企画書や社内向けのマニュアルを、日本人が理解できるように翻訳することが多いですね。
加賀山 :「SNSコンテンツ翻訳、コピーライティング、トランスクリエーション(英語→日本語)」や「リライト」もなさっています。
野畑 :それは海外のコンテンツを日本のSNS用に書き換える仕事です。リライトはトランスクリエーションと同じようなものですが、一度日本語にしたあと、掲載媒体にふさわしく書き直します。
加賀山 :「トランスクリエーション」というのは、クリエーションの要素が入った翻訳ということで、広告コピーのようなイメージがあります。たとえばどのようなものを手がけられましたか?
野畑 :BtoCで言えば、スマートフォンや動画配信プラットフォーム、ヘアケア製品、米系ホテルグループのサービスや製品の告知や新規ユーザー獲得のための広告コピーなどがあります。
加賀山 :ふつうわれわれが考える意訳をさらに進めた「超」意訳という感じでしょうか?
野畑 :そうですね。「もとが英文だったことがまったくわからないようにしてください」、つまり最初から日本語で書かれたようにしてほしいという要望にも応えます。
加賀山 :「一言一句忠実に」という要望とはかなり違いますね。忠実なほうと、クリエイティブなほうのどっちがやりやすいということはありますか?
野畑 :単純に比較はできませんね。理解するプロセスは同じですが、日本語を作る上では使う脳が別という感じがするくらい、ぜんぜん違いますから(笑)。
加賀山 :トランスクリエーションのほかに、校正もされているということですが?
野畑 :それはレビューというか、ほかの方が訳したものをチェックする仕事です。翻訳の報酬はワード単位ですが、レビューは時間単位です。といっても、必要な時間は先方がここまでと決めることが多いんですが、あまりにも負荷が多いときには、翻訳のやり直しが必要な箇所を具体的に指摘して交渉することもできます。
加賀山 :そこはリーズナブルですね。これまで説明していただいた仕事のなかで、分量的にいちばん多いのはどれですか?
野畑 :今お話した大手2社以外にサンフランシスコの新興IT企業の仕事もあります。コールセンターの対応を自動化するシステムを開発したところから発展して、システムでエラーが起きたときにどういう対応をとるかというリスク管理のソリューション(アラートから修正まで)を提供している企業です。そのビジネスパートナー向けサイトのブログ(企業向けの製品紹介、課題解決、基礎知識などの資料)や、ホワイトペーパーなどの内容を翻訳します。
加賀山 :その企業はこれから日本市場に参入するのですか?
野畑 :すでに参入しています。これらのほかには、会社員時代にアパレル業界で働いていましたので、ファッション、アパレルとか、広告代理店にいたときに担当していた航空会社などの仕事をいただくこともあります。
翻訳に会社員時代の経験が役立った
加賀山 :プロフィールの実績には、フライトシミュレーターゲームというのもありまして、これは異色だと思うんですが。
野畑 :25年ぐらいまえに会社を辞め、1年間旅行をして帰ってきたあと、就職するまでのあいだに携わった仕事です。今みたいにアプリではない時代で、Windowsのシミュレーションゲームをオンサイトで翻訳しました。
加賀山 :ゲーム内の説明とか台詞の翻訳ですか?
野畑 :そうです。1週間ずっと「雲」の説明を訳すとか(笑)。アメリカではセスナの免許をとるのにそれを使っていたくらい本格的なソフトウェアだったようです。
加賀山 :それ以外に、世界最大級のホテルグループの仕事もされています。
野畑 :メールマガジンなど、顧客向けのコンテンツの翻訳でした。
加賀山 :放送局のニュース動画素材の翻訳も?
野畑 :それは単発で入ってきた仕事で、ロシアがウクライナに侵攻した際、動画制作用のインタビューの書き起こし原稿を日本語に訳しました。
加賀山 :今は何社ぐらいの翻訳会社と契約されていますか?
野畑 :契約しているのは7社ぐらい、実際に動いているのは3〜4社です。
加賀山 :職歴、学習歴についてうかがいます。大学では英米文学を専攻して、そのあと就職されたんですか?
野畑 :はい。外資系の広告代理店に就職しまして、その後日本の広告代理店と合わせて13年ほど働きました。クライアントが外資だったので、英語を使う実務的なことを学びました。その後、事業主側の外資系企業でマーケティング、PRを担当していました。
加賀山 :その頃から翻訳のようなことはされていたんですね。
野畑 :というより、やらされていました(笑)。

沖縄北部には緑に囲まれたカフェもたくさんあります。
加賀山 :フリーランスになろうと思ったのはいつごろですか?
野畑 :もともと文芸翻訳に興味があって、仕事をしながらフェロー・アカデミーで2001年から10年ほど勉強していましたが、あまりにも会社仕事が忙しくなり、時間がなくて先生の下訳もできなかったりしたことから、文芸翻訳を続けるのは難しいと判断しました。
そこで、会社員を辞める少しまえから、産業翻訳であれば少しはできるかなということでトライアルを受けはじました。その頃から妻と相談して、会社を辞めて沖縄に移住することを決めました。
加賀山 :フェロー・アカデミーのゼミクラスで10年という学習歴は文芸翻訳だったんですね。実務翻訳については学校で学ばなかったのですか?
野畑 :学校ではやっていません。ただ実際に翻訳の仕事を始めてみると、文芸翻訳で学んだテクニックも役立ちましたし、外資系の会社でやっていたこととそれほど変わらなかったので、意外とすんなり入れました。
加賀山 :アメリアに加入されたのはいつですか?
野畑 :会社員時代から入っていました。仕事目的ではなくて、情報収集といいますか、記事などを読むために。トライアルも受けましたが、IT分野はぜんぜんだめで、どっちかと言うと文芸やノンフィクションのほうが評価が高かったりしました(笑)。
アメリアに入ってよかったのは、トライアルの課題で勉強ができたことと、最近では実際の仕事にもつながっています。あと自分には翻訳者の友人がいないので、皆さんもいろいろ苦労されているのがわかって安心する(笑)ということもあります。
加賀山 :翻訳者としてデビューするきっかけは何でしたか?
野畑 :3年前、LinkedInの「IT・マーケティング」分野での仕事に応募して、採用されたのが始まりでした。マーケティングの経験があるということで応募したんですが、その会社がIoT(Internet of Things、モノのインターネット)企業で、翻訳する内容自体がわからなくてものすごく苦労しました。マーケティングというよりIT技術そのもので。
そこで1年半ぐらい、ぼろくそに注意されながら(笑)、それでも根気強く仕事をしましたが、当時指摘されたことが今IT関連の翻訳をする上でとても役立っています。沖縄に引っ越して丸2年ですが、翻訳の仕事はその1年前の東京にいるときから始めました。
加賀山 :沖縄移住は大きな決断だと思いますが、もともとそちらにご縁があったんですか?
野畑 :昔から海外を含め島が好きで、沖縄にも旅行で訪れていたので、土地勘はありました。沖縄本島の北のほうに美ら海水族館がありますが、その近くです。那覇から車で2時間ぐらいかかります。
加賀山 :けっこう遠いんですね。引越し先に那覇とかは考えませんでした?
野畑 :那覇だと人が多くて、東京とあまり変わらないので。ここは今、画面の背景に出ているように、本当に海と緑しかありません(笑)。
ありえなかったようなコンセプトを訳す
加賀山 :今後取り組んでみたい分野とか増やしたい仕事はありますか?
野畑 :次々と出てくる新しいテクノロジーを消費者に伝えるのはとても楽しい仕事だと思っていて、それはもっと増やしたいです。ただ、自分の仕事のスピードに限界があるのと、今までなかったコンセプトを生活の場で使うような言葉で表さなければいけない難しさはあります。
今テクノロジーに関する翻訳は過渡期だと思うんです。AppleでもMicrosoftでもGoogleでも言えることですが、サイトを見ると、どうしても日本語が不自然に感じられるところがあります。まさに翻訳調なんですけど、それはおそらく、テクノロジーの進化があまりに速くて、こなれた日本語になる時間がないからかもしれません。カタカナがどうしても増えてしまったり。そういう状況でも、できるだけ自然な日本語で自然に伝えられたらいちばんいいかなと思います。
加賀山 :あらゆるところでAIが話題ですが、AIに関する仕事も増えていますか?
野畑 :増えています。IT企業の仕事は完全にAI中心で、これまでありえなかったような技術やサービス内容を訳さないといけません。BtoBは企業間ですからまだいいんですが、BtCになると、これで正しいという正解がないので悩みます。
加賀山 :前例がまったくないということですね?
野畑 :そうなんです。AIを使った新しい技術やサービスを伝えようとすると日本語がどうしても長くなってしまうところを、端的に表現しなければならない。そこがこの仕事のおもしろいところでもあるわけですが。
加賀山 :機械が訳した文章に手を入れるポストエディットの仕事もなさいますか?
野畑 :2年ぐらいまえにやったことはありますが、最近はやっていません。一度訳されているからといって、エディットの仕事がそう簡単になるわけでもありませんし、単価が安いこともあって(笑)。
加賀山 :あ、やっぱり安いんですか。今話題のChatGPTなども仕事で使われますか? 和訳ではなくむしろ英訳をするときに使えるとおっしゃる方もいます。英訳させたうえで、日本語のプロンプトを出しながらどんどん訳文をブラッシュアップするんだそうです。
野畑 :翻訳の仕事では使っていません。でもそれはいい方法ですね。
加賀山 :これまでのお仕事でとくに印象に残っているようなものはありますか?
野畑 :うーん……けっこう今の仕事がいちばん楽しいかもしれません(笑)。とくにIT関連は、毎回新聞に載るような新しい技術に触れられるので。
加賀山 :仕事が楽しいのがいちばんですね。
野畑 :始めて最初の1年半は、「あなただめです」と言われたりして、つらいこともありましたが、そういう経験も経て今があります。
加賀山 :沖縄移住も正解でしたか?
野畑 :自然が好きなので、そのなかで生活しているのは幸せですし、翻訳という仕事ができるのも最高の組み合わせだと思います。翻訳はこういう生活スタイルに合っていると思います。依頼元とのやりとりもメールか電話だけですし、外資系の仕事の多くはシンガポールや香港の翻訳会社や広告代理店からいただいていますが、まれにビデオ会議をするだけなので、ぜんぜん問題ありません。
■ 地方在住(しかも沖縄!)で翻訳生活というひとつの理想を体現しておられる気がしました。加えて、今のお仕事が楽しいという……。日々のご苦労はあるはずですが、ストレスフリーに見えてしまうところがすごいですね。